握る手変われば味変わる #マスクドnote企画 _15

米と、塩と、具さえあれば、おにぎりは成立する。
それなら同じ銘柄、同じ具材を用意すれば、誰が作っても同じ味になるのか?と問われたら、答えは否だ。
おばあが作ったおにぎり。
機械が作る形の整ったおにぎり。
仲の良い友人のお母さんが握ってくれたおにぎり。
ビールと一緒に味わうおにぎり。
食べる場所やシーン、付け合わせ、だけじゃなく、食べる時の感情によっても味は違ってみえる(だろう?)
同じものを使っても、作り手が変われば出来るものは変わる。
ああ、これって文章も同じじゃないか。
使っている言葉や具材は限られているのに、出来上がったものに違いが出る。なんでだろう。
それは力加減だったり、込めた想いの強さだったり、経験や知識によっても変わるからだと、私は思うんだ。
私は普段、どんなおにぎりを握り、誰に食べてもらいたいんだろう。
自分が美味しいと思えるものになっているのか。見た目だけ美味しそうに見せて、具がない、なんてことになっていないか。そうだとしたら、足りない中身はどこにあるんだろうな。
けどさ、おにぎらず、なんてものもあるくらいなんだから、「正しい形」なんてものはおにぎりにも文章にもないのかもしれない、けど。
少なくとも、「どうせ誰も見てない」とにぎるおにぎりより、「あなたのためににぎりました」の方が美味しいのは間違いないと思うんだ。
たったひとりの人に向けた文章や、
たったひとりの誰かに握ったおにぎりに
「これはうまい!」
なんて言われたら、いつもよりビールが美味くなるんだよねぇ。
ああそうか。
握る手、綴る手だけじゃなくて、もらった言葉でも味って変わるんだな。
今日も私は、誰かの言葉をつまみに、美味いビールをごくりと飲む。明日はきっと、私から誰かに「うまい」を送りたい。
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