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おにぎりから愛を排除する試み #マスクドnote企画_19

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おにぎりについて語る時、そこから愛を排除することは極めて困難だ。
そもそも、素手で食品を成形しそのまま食す文化は、愛が無ければ成立しない。作り手の愛、食べる者の愛。人はそこから、自由になることは出来ないのか。おにぎりから、「愛」を排除することは出来ないのか。

この、確実に愛のこもったおにぎり記事が集結するだろう企画に於いて、愛なきおにぎり記事の実現をめざしていく。

まず、おにぎりの定義について。相当な苦戦が予想されるため、おにぎりの定義を極限まで簡略化したい。

「コメを、握る」。

これを以て、おにぎりとしたい。
定義についての認識を共有したところで、愛を排除していく。
まず、炊いてはならない。コメを浸水し適切な水分量で加熱する時点で、もう愛だ。
精米してはならない。生米でも、食べることは可能だ。まだ愛の片鱗を感じる。籾殻に包め。
脱穀はして良い。稲穂にはノギという棘があり、握ると痛いからだ。

握った時痛くないように配慮する、それは愛じゃないのか、という幻聴が聞こえる。君にも分かるように説明するが、これは自分本位ゆえの脱穀である。人を殴っておいて「拳が痛んだじゃないか」と言う理不尽を耳にしたことは無いだろうか。それである。「脱穀前のコメ握ったら流石に痛いだろ、怪我させたいんか?」という、私の自分本位の象徴である。愛などない。自己愛は読者に愛を感じさせないから、ノーカウントとしたい。

コメの状態が決定したところで、握りに入っていきたいが、これはもうシンプルだ。脱穀後のコメを容器に集め、五百円玉つかみ取りよろしく握り持ち上げる。おにぎりの完成だ。

話はここで終わらない。場所の問題である。はっきり言おう、室内に籠っている場合じゃない。建造物は、設計師や施主、工務店の愛の結晶だ。例え設計事務所や施主の家庭や工務店のメンバーがギスギスし合っていたとしても、それは「愛憎」という愛である。書を捨てよ、コメを握れ、町へ出よう。
いや、町に出てもいけない。建造物の集合体が街である。山もいけない。海もいけない。生命の営みに、愛を感じないのか。

私は荒野に立つ。そしておもむろに、掌に握りしめたおにぎりを、崩す。僅かに残された愛を、地面に放ち、愛を排除


ちょっと待ったーーー!!!

……お前(私)、今、母なる大地に、種籾を捲いたな。
生命という愛を、始めようとしたな。

やはり人は、おにぎりから愛を排除することは出来ないのだ。



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