マレーシアLEAP Market─「もうひとつのスタートアップ上場市場」─
はじめに──ASEANにも「プロ投資家限定」の成長市場がある
日本でスタートアップのIPOというと、東証グロース市場が真っ先に浮かぶでしょう。しかし、もうひとつの選択肢として近年注目を集めているのが、東京プロマーケット(TPM)です。J-Adviserという民間のアドバイザーが上場審査を主導し、投資家を特定投資家等に限定することで、中小企業やスタートアップにも上場の門戸を開いています。
実は、このTPMと驚くほど似た仕組みの市場が、東南アジアにも存在します。マレーシア証券取引所(Bursa Malaysia)のLEAP Marketです。
私は長年にわたり内部監査・内部統制・コーポレートガバナンスの実務に携わり、現在はスタートアップのIPO支援を専門とするコンサルティング会社を運営しています。そこでASEAN各国の類似市場を調査した結果、LEAP Marketの制度設計にTPMとの共通点が多いことに気づきました。
本稿では、LEAP Marketの仕組みを日本のTPMと比較しながら解説し、日本のスタートアップや中小企業がASEANでのIPOを検討する際の参考となる情報を提供します。
1. マレーシアIPO市場の全体像
Bursa Malaysiaの3ボード構成
マレーシアの証券取引所であるBursa Malaysiaは、企業の成長段階に応じた3つの市場を運営しています。
Main Marketは、大規模で実績のある企業向けの最上位ボードです。上場には3~5年の継続的な利益実績(税引後利益累計RM2,000万以上、直近年度RM600万以上)か、時価総額RM5億以上が求められます。日本でいえば東証プライム市場・スタンダード市場に相当します。
ACE Marketは、成長ポテンシャルを重視するスポンサー主導型の市場です。利益実績の要件がなく、赤字企業でも上場可能です。スポンサー(証券会社等)が適格性を評価し、一般投資家も参加できます。日本のグロース市場に近い位置づけです。
そしてLEAP Market(Leading Entrepreneur Accelerator Platform)は、2017年7月に創設された中小企業・新興企業向けのアドバイザー主導型市場です。利益実績要件はなく、投資家は適格投資家(Sophisticated Investors)に限定されています。日本のTPMに最も近い市場です。
2025年のマレーシアIPO市場
2025年、マレーシアのIPO件数は59件で、東南アジア地域で件数トップとなりました。これは2006年以来の最高水準です。調達額は約14億米ドルで、内訳はACE Market 44件、Main Market 10件、LEAP Market 5件でした。
Deloitteの報告書によれば、マレーシアのIPO市場は「強いセクター多様性、ポジティブな投資家心理、支援的な規制環境」が特徴であり、東南アジアにおける「レジリエントで魅力的な資本市場のハブ」と評価されています。
2. LEAP Marketの仕組み
基本設計
LEAP Marketは、以下の基本設計に基づいています。
LEAP Marketに上場できるのは、マレーシアで設立された公開会社で、明確に識別可能な中核事業を持つ企業です。利益実績や営業実績の最低要件はありません。公開株比率は最低10%で、Main MarketやACE Marketの25%と比べて緩和されています。
投資家はCapital Markets and Services Act 2007に定める適格投資家(Sophisticated Investors)に限定されます。これには、純資産RM300万超の個人、年間総収入RM30万超の個人、機関投資家などが含まれます。
Approved Adviser制度
LEAP Marketの最大の特徴は、アドバイザー主導型(adviser-driven)の上場審査制度です。
上場を目指す企業は、Bursa Malaysiaに登録されたApproved Adviserを選任しなければなりません。Approved Adviserは、上場候補企業の適格性と商業的実現可能性について合理的なデューデリジェンスを行い、情報メモランダム(Information Memorandum)と上場申請書を作成します。
Approved Adviserになるためには、マレーシア証券委員会(Securities Commission Malaysia, SC)のライセンスを取得し、Bursa Malaysiaに登録される必要があります。また、コーポレートファイナンスの実務経験を持つ有資格者(Qualified Person)の配置が求められます。
実際に活動しているApproved Adviserは、Thinkat Advisory Sdn Bhd、Eco Asia Capital Advisory Sdn Bhdなど、マレーシア国内のブティック型コーポレートファイナンス会社が中心です。
上場後はContinuing Adviserの継続的な関与が義務づけられており、上場時のApproved Adviserが最低1事業年度はContinuing Adviserを務めなければなりません。さらに、上場後最低3年間はContinuing Adviserを維持する義務があります。
上場承認権限の所在
ここが制度設計上の重要なポイントです。LEAP Marketでは、Approved Adviserが適格性評価とデューデリジェンスを行いますが、最終的な上場承認権限はBursa Malaysiaが保持しています。Bursa Malaysiaが「唯一の上場承認機関(single approving authority)」です。
なお、SCの事前承認は不要ですが、情報メモランダムのSCへの届出(deposit)は必要とされています。
3. 日本のTPM J-Adviser制度との比較
J-Adviserとは
東京プロマーケット(TPM)は、2009年に東京証券取引所が開設した特定投資家向けの市場です。上場審査は、東証が認定したJ-Adviserが実質的に行います。J-Adviserは上場候補企業のデューデリジェンスと上場適格性の判断を担い、東証は基本的にJ-Adviserの判断を追認する形をとります。
J-Adviserにはフィリップ証券、HS証券など証券会社のほか、コンサルティング系の企業も含まれています。
共通点
TPMとLEAP Marketには、以下のような構造的な共通点があります。
第一に、アドバイザー(スポンサー)主導型の上場審査という点です。取引所が直接審査するのではなく、民間のアドバイザーが適格性を評価する仕組みは、両市場に共通する最大の特徴です。
第二に、投資家を限定している点です。TPMは特定投資家等、LEAP Marketは適格投資家のみに取引を限定しています。一般の個人投資家は直接参加できません。
第三に、利益実績要件がない点です。両市場とも、赤字企業やスタートアップでも上場が可能です。
第四に、上場後のアドバイザー継続義務です。TPMではJ-Adviserが継続的に担当企業を監督し、LEAP Marketでも最低3年間のContinuing Adviser維持が義務づけられています。
第五に、上位市場へのステップアップ制度があります。TPMからグロース市場への市場変更制度、LEAP MarketからACE Marketへの移転フレームワーク(2023年4月導入)と、いずれも成長企業の段階的なステップアップを制度として設計しています。
相違点
一方で、いくつかの重要な相違点もあります。
最終承認権限の所在が最大の違いです。日本のTPMでは、J-Adviserの判断がほぼそのまま上場承認に直結し、東証はJ-Adviserの判断を実質的に追認します。つまり、J-Adviserにかなり大きな権限と責任が集中しています。これに対し、LEAP Marketでは、Approved Adviserが適格性評価を行いますが、Bursa Malaysiaが最終的な上場の可否を判断します。この点で、Approved Adviserの権限はJ-Adviserよりも限定的であり、取引所によるチェック機能が一段階加わっていると言えます。
アドバイザーのライセンス要件も異なります。日本のJ-Adviserは東証が独自に認定する資格であり、証券会社でなくてもコンサルティング会社がJ-Adviserになることも可能です。一方、LEAP MarketのApproved Adviserは、SCのCapital Markets Services Licence(CMSL)という国の証券規制ライセンスが前提となっており、参入障壁がJ-Adviserよりも高くなっています。
上場主体の国籍要件にも違いがあります。LEAP Marketはマレーシアで設立された公開会社に限定されており、外国法人がそのまま上場することはできません。日本のTPMも日本法人が対象ですが、外国企業の東証上場制度は別途存在します。
ブミプトラ株式配分は、マレーシア固有の制度です。Main MarketやACE Marketでは上場時に発行済株式の12.5%をブミプトラ(マレー系)投資家に配分する義務がありますが、LEAP Marketではこの要件が免除されています。これはLEAP Marketの参入障壁を下げる要因のひとつです。
比較表
以下に、主要な比較項目を一覧にまとめます。

4. LEAP Marketの課題と展望
流動性の問題
LEAP Marketは、適格投資家限定という制度設計から、取引量と流動性の低さが構造的な課題として指摘されています。2017年の開設以来53社が上場した一方で、流動性不足やこれに起因する株価形成の困難さを理由に、5社が上場を取り下げています。
この点は日本のTPMとも共通する課題です。TPMも特定投資家等に限定されているため、グロース市場と比較すると取引量は格段に少なく、「上場しても株が動かない」という声は少なくありません。
制度改革の動き
マレーシアの規制当局は、この課題に対して積極的に改革を進めています。
2023年4月には、LEAP MarketからACE Marketへの移転フレームワークが導入されました。これにより、LEAP Market上場企業がACE Marketへ「卒業」するための明確なルートが整備されました。併せて、Recognised Approved Adviser制度も導入され、LEAP Marketで3件以上の新規上場実績を持つApproved Adviserが、ACE Marketでも活動できる資格を申請できるようになりました。
また、適格投資家の定義の拡大(所得・資産要件だけでなく、C-suiteの経歴や特定の資格保有者も対象に含める方向)や、アドバイザーの報酬手法の多様化なども検討されています。
2026年には、SCがMain MarketとACE Marketの上場要件の大幅改定を予定しており、市場全体の活性化が期待されています。
外国企業の上場事例
2025年には、韓国の家電メーカーCuckoo Holdings社の現地子会社であるCUCKOO International (MAL) Bhdが、Bursa MalaysiaのMain Marketに上場しました(約3.95億リンギット調達)。これはLEAP Marketの事例ではありませんが、外国親会社のマレーシア子会社が現地取引所に上場するスキームが実際に機能することを示す重要な先例です。
また、シンガポール取引所に上場しているUMS Integrated Limitedが、Bursa Malaysiaに二次上場を果たすなど、クロスボーダー上場への門戸も広がりつつあります。
5. 日本企業にとっての可能性
なぜLEAP Marketに注目すべきか
マレーシアには約1,600社の日系企業が進出しており、製造業から非製造業まで幅広い業種をカバーしています。近年は消費市場の拡大を背景にサービス業の進出が増加しており、中には現地事業が親会社の規模に匹敵するほど成長しているケースもあります。
こうした日系現地法人にとって、LEAP Marketは以下のような場面で検討に値する選択肢になり得ます。
第一に、マレーシアで独自に成長した日系現地法人が、事業の所在地で資金調達と知名度向上を図るケースです。日本のTPMやグロース市場に上場するよりも、事業基盤のあるマレーシアでの上場が合理的な場合があります。
第二に、ASEAN展開のハブとしてマレーシアを選んだスタートアップが、現地での信用力を高めるためにLEAP上場を活用するケースです。ハラル関連、フィンテック、ヘルステック等の分野が候補となるでしょう。
第三に、日系製造業の現地子会社がカーブアウト上場を検討するケースです。CUCKOOモデルの応用として、現地子会社の独立性を高めながら資金調達を行うスキームは、検討に値します。
現実的なハードル
ただし、日系企業がLEAP Marketを活用するにはいくつかのハードルがあります。
LEAP Marketはマレーシア法人のみが上場できるため、まずマレーシアで公開会社を設立する必要があります。日本の親会社がそのまま上場することはできません。
また、情報メモランダムを含む開示書類はすべて英語またはマレー語で作成する必要があり、マレーシアの会計基準(MFRS)に準拠した財務諸表の作成と監査も必要です。
さらに、Approved Adviserの選定や、現地の法律事務所・会計事務所との連携など、マレーシアの資本市場に精通したプロフェッショナル・ネットワークの構築が不可欠です。
6. ASEAN域内の比較──成長企業向け市場の位置づけ
LEAP Marketの位置づけをより明確にするために、ASEAN主要国のスタートアップ・SME向け上場市場を簡単に比較します。
シンガポールのCatalistは、SGX(シンガポール取引所)のスポンサー主導型成長市場です。LEAP Marketと異なり、一般投資家も参加可能で、外国企業の上場も認められています。利益要件はなく、スポンサーが適格性を判断します。国際的な認知度は高いものの、上場コストはLEAP Marketより高くなります。
**タイのmai(Market for Alternative Investment)**は、中小・成長企業向け市場ですが、2025年は政治的・経済的不確実性から過去25年で最低のIPO水準に落ち込んでいます。
ベトナムは、IFRS導入や新興国市場への格上げが期待されており、今後IPO市場が急成長する可能性がある市場です。ただし、制度がまだ発展途上です。
インドネシアはASEAN最大の人口を擁し、Acceleration Boardという中小企業向け市場がありますが、独自の規制環境と言語の壁があります。
これらの中で、「アドバイザー主導型」かつ「投資家を限定」という日本のTPMに最も近い構造を持つのは、マレーシアのLEAP Marketです。シンガポールのCatalistもアドバイザー(スポンサー)主導ですが、投資家制限がない点でTPMとは異なります。
おわりに──「見えないリスクに光を当てる」ことの価値
LEAP Marketの制度を調べていて強く感じたのは、「アドバイザー主導型」の上場市場において、ガバナンスと内部統制の整備がいかに重要かということです。
利益実績要件がない市場では、取引所による定量的なスクリーニングが弱くなります。その分、Approved AdviserやJ-Adviserが行うデューデリジェンスの質が、市場の信頼性を左右します。そして、そのデューデリジェンスの実質的な中身は、内部統制の構築状況、コーポレートガバナンス体制の整備度合い、不正リスクの評価といった、まさに「見えにくい部分」の検証です。
日本のTPMでもマレーシアのLEAP Marketでも、上場準備企業に本当に必要なのは、華々しいビジネスプランの策定だけではありません。地味ではあるけれども、企業の持続的成長を支える内部の仕組みづくり──それこそが、アドバイザー主導型市場でのIPO成功の鍵を握っています。
TPMとLEAP Marketの両市場を理解し、その共通点と相違点を踏まえた上で、日本とASEANの架け橋となるガバナンス支援を提供すること。それが、これからのスタートアップ支援の新しいフロンティアではないかと考えています。
本記事は、公開情報に基づく筆者の調査・分析であり、投資助言や法的助言を目的とするものではありません。マレーシアでの上場を検討される場合は、現地の法律事務所・Approved Adviser等の専門家にご相談ください。
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