読書日記 『鍵のない夢を見る』辻村深月|逃げ場のない閉塞感。泣き言を言いながら現実を生きぬこう
はじめに:手に取ったきっかけ
S.Sさん、酒井信さんのnote書評を読んで興味を持ち、本作『鍵のない夢を見る』を手に取りました。
最初に読んだ辻村深月さんの作品は、新潮社のyomyomで連載されていた『ツナグ』(2010年)でしたが、今回読んだ『鍵のない夢を見る』は2012年の作品です。辻村さんの作品には最後に幸せな気分になるもの(白辻村系というらしい)と、人間の暗い側面を書いたもの(同、黒辻村)とで振れ幅がありますが、『ツナグ』は前者、『鍵のない夢を見る』は後者に属しています。書評にも書かれていたとおり、5編の短編の主人公はどこにでもいそうな「普通の人々」なのに、ちょっとしたボタンの掛け違いで事件や騒動に巻きこまれてしまいます。
『君本家の誘拐』:赤ん坊と二人きりで過ごすのはつらい
5連作の最後の作品『君本家の誘拐』は、神経質な乳幼児を世話したことのある方なら、どなたでも身に覚えのあるような心情がかかれています。自分の子供が0歳児の頃を思い出してしまいました。
寝つきの良い子とそうでない子、おそらく育て方の問題ではなく、子供自身の個性によって決まっていると思うのですが、我が家は後者だったので、保育園に通うまでの一年間はかなりしんどい思いをしました。なにせ、親が自由になる時間がほとんどない。連続的な睡眠時間を確保することができない。
育休前まで仕事をしていたので、毎日、大人同士の会話ができないのがつらいですし、昼間も夜中も始終泣き止まないのも気が滅入ります。たとえ乳幼児同士の「遊び場」に参加しても、同じ月齢の子供との発育の違いなどが気になるし、また、そもそも育休明けに保育園に通うことができるかという心配が常にあり(当時は保育園の競争率が非常に高く、フルタイムの正社員であっても認可保育園に入るのが難しかった)、「子育てをゆったりと楽しむ」という境地には至りませんでした。
物語の主人公の良枝は、友人の理沙から彼女の人生設計について、以下のよう評されます。
「良枝はさ、昔から人生設計が階段階段って感じで、踊り場がなかったのかもしれないね」
(中略)
「誰かと付き合いたい、―付き合った。付き合ったら一緒に住みたい、一緒に住んだ。住んだなら結婚したい、結婚する。常に先へ先へって進む感じで、その段階段階の遊び部分になる踊り場がない気がする。私なんかは子供への願望も薄いから、いまだに踊り場を楽しむことしか考えてないけど」
そんな性格の良枝が、大人の思い通りにならない赤ん坊と二人きりで過ごす日が続くと、理由のわからない焦りや不安に襲われるのも当然です。他人の子供でも同じだとは思うのですが、特に自分の子供の場合、誤った「自責の念」にかられてしまい、つらさに拍車がかかるのです。さらに、睡眠不足の日が続いていると、正常な思考ができなくなるので尚更です。
追い詰められた良枝は、とうとう、騒動に巻き込まれていきます。
「鍵のない夢を見る」とは
タイトルの『鍵のない夢を見る』について。現状から逃避しようにも、出口がみつからない閉塞感を表す比喩だと思いますが、私の場合、実際に眠りの中で「鍵のない夢」(避けようがないままに、出口がないトラブルに巻き込まれてしまう)をみることが時々あります。そこで精神のバランスを取ってきたのかもしれません。そして、多くの親達が『君本家の誘拐』に似た類の「悪夢」を見たことがあるのかもしれません。
現実世界では、周囲の方に頼ったり、家事をさぼったりするのが、生き抜くための知恵だったような気がします。組織の中でも家族でも、自分で自分を追い詰めず、気軽に泣き言を言えるような人間関係が作れるとよいですね。
