50代 無職|立ち飲みに通う理由
こんにちは。
54歳で約30年間のサラリーマン人生にいったん幕を降ろし、無職生活2回目の夏を迎えます。
そんな私ですが、10年ほど前から、角打ち・立ち飲み巡りを趣味のひとつにしています。
今回はそのあたりを書いてみます。
なお、『角打ち』とは、購入したお酒を店内の一角でそのまま飲めるスペースを併設した酒屋さんのこと。
『立ち飲み』とは、その名のとおり、立ったままお酒を飲む店。
角打ちも立ち飲みの一つ、という感じですかね。
さて、今回はお酒の話のようで実質的にはお酒の話ではありません。
よろしければ、しばしお付き合いください。
〈週末、仕事から離れたかった〉
今から10年ほど前、私が40代半ばだった頃のこと。
当時、金融関係の上場企業の管理部門で、私は管理職として、たぶん傍目にはそれなりに順調にやっているように映っていたと思います。
しかし私にとって、責任をキッチリ果たし、周囲の期待に応え続けることへのストレスは増すばかり。そんな時期でした。
そんなこともあって、私は週末になると、仕事モードをオフに切り替え、束の間、少しでも仕事と距離をとることに、ある意味必死になっていました。
具体的には、銭湯やサウナを巡ってみたり、車やバイクで走ってみたり、普段行かない街をぶらぶら歩いてみたり。
そんなある日、街をぶらぶら歩いている途中に、酒屋さんの前を通りかかりました。
何気なく店内に目をやると、何人かの人が立ってお酒を飲んでいました。
「ほう、この酒屋さんはここで飲むこともできるのか」
そう思い、興味本位で、ふらっと入ってみました。
それが、初めて角打ちに入ったきっかけでした。
〈立ち飲みの空気〉
立ち飲みには、一人で来る人がたくさんいます。
ふらっと入って、一杯だけ飲んで、さっと帰っていく人もいます。
極端な話、滞在時間5分、みたいな人も稀にいます。
もちろん知人同士で来ている人もいますが、一人客の割合が大半だと思います。
混んでくれば、少し詰める。
隣にいた人が帰ったかと思えば、また別の人がそのスペースに入ってくる。
そんな中で、偶然居合わせた人と、自然に会話が始まることがあります。
天気の話。
たまたま店内で流れているテレビ番組の話。
スポーツの試合結果の話。
本当に、どうでもいいような話です。
でも、そのどうでもよさが、当時の私には心地よく感じました。
〈会社とは関係のない人たち〉
普段、仕事で接している人たちとは、まったく違う人たちがそこにはいました。
年齢も、仕事も、バックグラウンドも、置かれた環境も、何もかも違う。
おそらく、もし立ち飲みで会わなければ、一生話すこともなかったであろう人たちです。
私はそこで、自分語りをしたり、想いを吐露するわけではありません。
また相手について、深く聞くわけでもありません。
ただ、その場に居合わせ、少し話す。
それだけです。
それでも、よく知らない人たちと、まったくどうでもいいような話をしていると、不思議と気持ちが軽くなることがありました。
自分は会社という狭い世界の中で、必要以上に神経がすり減っていたのかもしれない。
会社の外には、会社とはまったく関係なく生きている人たちが、当たり前のようにたくさんいる。
そんな当然のことを、思い出させてくれる場所でもありました。
〈利害関係のない会話〉
仕事での人間関係には、どうしても役割があります。
上司と部下。
売り手と、買い手。
評価する側と、評価される側。
仕事を通じているからこその、濃厚な関係もあります。
ただ、仕事上の関係である以上、どこまで行っても、利害から完全に自由になることはできません。
一方、立ち飲みでたまたま隣り合った人とは、基本的に何の利害関係もありません。
相手に評価される必要もありません。
自分を大きく見せる必要もありません。
何か有意義な話をしなければならないわけでもありません。
話したければ話してもいいし、何も話さず、ただ飲んでいてもいい。
そんな、目的も役割もない緩さが、私には心地よかった。
〈話してもいいし、話さなくてもいい〉
私は、人見知りではありません。
初見の人からでも、話しかけられれば普通に話しますし、会話自体は好きな方だと思います。
ただ、自分から積極的に距離を詰めていくタイプでもありません。
たくさんの人が集まるコミュニティに入って、みんなで一緒に何かをする。
そういうことを好むタイプでもありません。
その点、立ち飲みの距離感は、自分に合っています。
話したければ話せばいいし、黙って飲んでいてもいい。
帰りたくなったら、帰ればいい。実に気楽なものです。
何度か同じ店に通えば、顔馴染みができたりします。
一度だけ話して、それきり二度と会わない人もいます。
それはそれで構いません。
深く関わることを求められない。
でも、完全に一人というわけでもない。
〈会社を辞めれば、会話が減ることは想像していた〉
会社員であれば、好むと好まざるとにかかわらず、毎日誰かと話します。
上司や部下、同僚、取引先。
会社という大きなコミュニティの中にいれば、嫌でも人との接点が刻々と発生します。
けれど、会社を辞めれば、その関係から一気に切り離されます。
そんなことは、退職前からわかっていました。
果たして実際に会社を辞めてみると、やはり想定通りの状況になりました。
私は今、妻以外に日常的にコミュニケーションをとる相手は、ほぼいなくなりました。
〈会社を辞めて、立ち飲みの存在が大きくなった〉
私はあちこちの立ち飲みにふらっと立ち寄ることを楽しみの一つにしています。
その中で、もう10年近く通っている店があります。
少なくとも、2週間に一度くらいは顔を出すようにしている店です。
私がそこで常連と思われているかどうかはわかりませんが、行けば顔馴染みの人が誰かしらいます。
会社員時代には、そうした店が後々、自分にとって大きな存在になってくるとは正直思っていませんでした。
仕事でもない。
家族でもない。
学生時代からの友人でもない。
でも、そこへ行けば、少し話せる人が誰かいる。
少し飲んで、少し話して、笑って帰る。
波長が合えば、案外深い話もする。
そして、なんとなく信頼関係も生まれる。
たったそんなことで、生活の中に小さな風穴が開くような感じがします。
〈私に必要だったのは、緩いつながりだった〉
立ち飲みを、コミュニティと呼んでよいのかは、よくわかりません。
基本的には店の中だけでの緩いつながりです。
私は昔から、一人で行動することが好きです。
一人の時間はまったく苦になりません。
おそらく、孤独には相対的に強い方だと思います。
それでも、家族以外の誰とも話さない日が何日も続けば、あれ、ちょっとマズいかな…と思うことがあります。
人によって、必要な人間関係の量は違うでしょう。
大勢の人に囲まれていたい人もいれば、一人で過ごす方が楽な人もいます。
私は後者です。
だからこそ、毎日誰かと集まるような濃いコミュニティではなく、立ち飲みのような、近すぎないつながりが自分には合っているのでしょう。
つまり私が立ち飲みに通う理由は、お酒が好きだからだけではありません。
肩書も名刺もない、何者でもない自分のまま、ひとりの人間として、誰かと少しだけ言葉を交わせる。
そんな場所が、たぶん私には大切なのです。
