50代 無職|銭湯で、私は知らない誰かを演じていた
1年余り前、私は54歳で30年ほど続けたサラリーマン生活をいったん降り、セミリタイア生活を始めました。
私は在職時、金融関係の企業で管理職をしていたのですが、私なりにいろいろな葛藤や大きなストレスを抱えながら40代後半を過ごしていました。
そんな私は、週末になると自分の精神状態をリセットしたくて、街歩きをしたり、車やバイクで走ったり、立ち飲み屋へ行ったり、サウナや銭湯を巡ったり。
そんなことを毎週のルーティンにしていました。
中でもサウナや銭湯は、自宅から片道1時間半くらいの範囲で目星を付け、毎週のように違う銭湯へ行っていました。
馴染みのない駅に降り、住宅街や商店街を歩いて、その街の銭湯を訪ねる。
そういうことがとても気分転換になったのです。
そんなことを繰り返すうちに、
「ここはまた来よう」
と思える銭湯が、いくつか見つかりました。
〈今も通っている銭湯〉
最近はもう、毎週新しい銭湯を開拓することはしていません。
無職なので曜日に関係なく、かつての週末銭湯巡りで見つけたお気に入りの銭湯やスーパー銭湯を、ランダムに巡っている感じです。
その中の一軒に、いわゆる昔ながらの街銭湯があります。
自宅からは徒歩と電車で1時間ほど。
少し遠いのですが、私は土曜か日曜の開店直後を狙って、少なくとも2週間に一度は行くようにしています。
その時間にそこに行くのには、理由があります。
顔なじみになった人たちが何人もいるのです。
毎回まったく同じ顔ぶれではありませんが、そこに行けば誰かしら話をする人がいます。
湯船につかりながら、もしくはサウナで、何でもない日常会話をするのです。
ただそれだけなのですが、これが結構楽しいのです。
〈会社を辞めて思うこと〉
会社を辞めると、日常的に人と話す機会はかなり減ります。
そんなことは、分かっていました。
それに私はもともと、一人で過ごすことが好きな性格です。
いつも誰かと一緒にいたいとは思いませんし、むしろ長い時間ずっと誰かと一緒にいる方が疲れてしまいます。
だから、会社を辞めて人との関わりが減ったこと自体は、特に苦痛ではありませんでした。
とはいえ、ずっと人と話さずに過ごし続けたいわけではありません。
よく行く立ち飲み屋もそうなんですが、この銭湯も、今の私にとっては、人と緩くつながる小さなコミュニティの一つなのだと思います。
しかし、そんな緩いつながりが、いつも気楽なものとは限りません。
今回は、その銭湯で起きた、少し珍妙なお話です。
〈少しずつ、会話がかみ合わなくなった〉
この銭湯の顔なじみの中に、私より二回りほど年上の、わりとガッチリした体格のおじいさんがいました。
私の父親くらいの年代かな。
最初は、挨拶を交わしたり、天気の話をする程度の間柄でした。
そんなある日、その人が私に言いました。
「よう。この前、あそこで見かけたよ」
どこかのスーパーの名前を言ったように聞こえたのですが、私はそこへ行った覚えがありません。
あまり滑舌のよい人ではなかったので、聞き違いかと思って二度ほど聞き返したのですが、結局どこだかよく聞き取れませんでした。
まあ、よく分からないけど、どこかで目撃されたんだろうと思うことにして
「おっと、そうでしたか~」
なんて、適当な相槌を打ってその話は終わりました。
ところが、その後も銭湯で会うたびに、少しずつ会話がかみ合わなくなっていきました。
「彼女は元気にしてるの?」
彼女とは誰のことだろう、と思いました。
妻のことだろうか。
しかし、そのおじいさんと妻に面識はないはずです。
ただ、妻も一緒にこの銭湯へ来たことはあるので、もしかしたら店先ですれ違ったことくらいはあったのかもしれません。
少し疑問に思いながらも、
「ええ、元気ですよ」
と答えました。
なぜ、そこで素直に
「彼女って誰のことですか?」
と聞かなかったのでしょう。
なんというか、相手はお年寄りですし、あんまりそういうことを突き詰めちゃいけない気がしていたのかもしれません。
そして、その後もなんとなく違和感のある会話が続きました。
そしてある日、こう聞かれました。
「まだ、あそこのアパートに住んでるの?」
「大家さん亡くなったんだって?」
そこでようやく、私は確信しました。
完全に人違いをされている、と。
〈今さら、本当のことが言いにくい〉
もっと早い段階でちゃんと気づけていれば、
「いや、誰かと間違えていますよ」
と、普通に言えたと思います。
ところが、今やもう、それまでに積み重ねた長い時間があります。
会うたびに挨拶をし、相槌を打ち、彼女も元気だと答えてしまっています。
今さら、
「実は、私はその人ではありません」
と言ったら、この人はどう思うのでしょう。
彼女が元気だという話は何だったのか。
なぜ、もっと早くカミングアウトしなかったのか。
いろいろ説明しなければならなくなってしまいます。
私は少し迷いました。
「たまにしか会わない人だし、もうこのまま行っちゃえよ」
「訂正したら、おじいさん悲しむよ」
そんな悪魔のささやきが聞こえてきました。
そして私は、もう訂正することを諦めました。
こうなったら、その人になりきることにしました笑
以来、そのおじいさんと会うたびに、私は見ず知らずの誰かとして会話をするようになりました。
といっても、私には、その誰かに関する情報がほとんどありません。
アパートに住んでいたらしい。
彼女がいるらしい。
そのくらいです。
何か具体的なことを聞かれたら、化けの皮が剥がれてしまいます。
そのため、相手の話を否定も肯定もせず、何となく話を合わせる。
そして、なるべく具体的な話にならないように、私が先制して話題を振る。
そんな妙な技術だけが身についていきました。
お気に入りの銭湯へ行くはずなのに、向かう途中で、
「今日は、あのおじいさんがいなければいいな…」
なんて思うこともありました。
行けば、だいたい2回に1回くらいは会いました。
会えば、必ず話しかけられます。
そうすると私はまた、知らない誰かに変身するのです。
〈別人としての歴史の長さ〉
そんなことを何度か繰り返すうちに、やはり本当のことを言った方がいいのではないか、と思うようになりました。
しかし、別人として過ごした歴史が長くなればなるほど、告白のハードルも上がっていきます。
最初の段階なら、ただの人違いです。
でも、何度も話を合わせた後では、少し事情が違います。
今さらすべてを説明することを考えると、なかなか言い出せません。
〈結局、最後まで本当のことを言えなかった〉
そのおじいさんは、少し前から銭湯に来なくなりました。
体調を崩されたのかもしれません。
入院したのか、施設に入ったのか、それとも来店の時間帯を変えただけかもしれません。
他の常連さんに、あえて消息を尋ねることもしていないので、今どうしているのかは分かりません。
おじいさんが来なくなり、私はもう、知らない誰かになりすます必要がなくなりました。
正直、少しホッとしたような気もします。
その一方で、もっと早く人違いだと伝えておけばよかったのかな、という後味の悪さも残っています。
今度もし、また銭湯で会ったらどうしよう。
今度こそ、本当のことを言うのか。
それとも私はまた、
「あ、どうもどうも。お久しぶりです」
なんて言いながら、知らない誰かに戻るのでしょうか。
たぶん、そうなるのでしょう。
***最後に***
立ち飲み屋やこの銭湯のような緩い横のつながりは、会社を辞めた私の生活の、ちょっとした支えになっている気がします。
一人の時間をどう感じるのか。会社以外に、どんな人とのつながりがあるのか、ないのか。
感じ方も、必要な量も人それぞれですが、結構大切なポイントかもしれません。
YouTubeに「早期退職やセミリタイアに向いている人、向いていない人」というテーマで動画を投稿しました。
今回は、初めて声でナレーションを入れてみました。もしよろしければご覧ください。
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