noteは人を写しまくる
「文は人なり」 とか 「筆は心を写す」とか言うが
「noteは人を写しまくり!」
だと私は思う。
先日、こちらの記事を読んで、私はキュンキュンしてしまった。
こちらの著者、みのりさんの文章は、よくある「今日はこんなことがありました〜」という“他人からするとどうでもいい日記”(失礼)とは一味違う。
みのりさんのnoteを一言で言うと、
スイッチを切ったあとも、じんわり温かさが残っているこたつ
みたいな。
鋭いことを書いていても、その奥から「ほわっとしたもの」を感じる。
私はいつも、フフッとしたり、感心したり、「わかるわかる」と笑ったり。
漂う心地よい温かさに、つい、ぬくぬくしてしまう。
だからこそ、この記事の中で語られていた、
「楽しいのに絶望する」という感覚には、少し驚いた。
こんなに魅力的な文章を書く人でも、そんなふうに感じるんだ、と。
でも同時に思った。
あぁこの人、やっぱり素敵だな、と。
自分の弱い部分を、飾らず言葉にできること。
それをそのまま文章として差し出せること。
失礼を承知で言わせてほしい。
なんてかわいいんだ!!
ねるとん紅鯨団の告白タイムで
「お友達からお願いします!」と手を差し出したくなる。(この比喩、伝わる人どれくらいいるんだろうか)
さらに、みのりさんはほぼ毎日noteを更新されている。
このクオリティの文章を、ほぼ毎日。
正直、すごすぎる。
私なんて、ひとつの記事を書くのに3〜4日くらいかかる。
ばーっと書いて、AIに感想を聞いて、推敲して、また聞いて、また直して。
それくらいかけて書いたのに、投稿を躊躇したまま下書きで眠っている記事もわっさりある。
ちなみにこの記事も、書きながら何度も
「私いま、ちょっと気持ち悪いラブレター書いてない?」と我に返って、ChatGPTに感想を求めている。
スポーツでも、勉強でも、文章でも。
丁寧に考えることも大事だけれど、結局は何度もバッターボックスに立った人が強いに決まっている。
わかっている。
わかっているけど……
私、できないんだよなーーー!!
「ちゃんとしたものを出したい」
「完成した状態で見せたい」
そう思ってしまう私は、きっと見栄っ張りなんだろう。
きれいに整えられた言葉より、
飾らない言葉に、誠実さを感じる。
そう思うのに
「私なりの完成品」を世に放ちたい、と思う自分が勝ってしまう。
完璧主義で、慎重で、見栄っ張り。
自分の好きではない部分でもあるから、直した方がいいのかもしれないが
これはこれで、私のスタイルなんだろうなと、どこか開き直ってる自分もいる。
いろんなスタイルがあっていい。
いろんなスタイルが認められるのがこの場所。
noteでも実生活でも
私は、私にないものに惹かれてしまうが
私が私のスタイルをも受け入れられるようになったとき
もっと楽〜に呼吸ができるようになる。
そんな気がする。
…と、
今日も、あれこれこねくり回しながら、時間をかけて書いている。
今日のタイプのnoteは、自分以外の人をも巻き込んでいる内容だから、
公開を押す指がいつも以上に震えるぜっ!
