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文豪異聞録 ウサギと亀編を終えて

『ウサギと亀』ほど、

知っているつもりになっている物語は、

少ないのかもしれません。

私も、

ずっとそう思っていました。

努力は才能に勝つ。

焦らず歩けば、

いつか追いつける。

子どものころから、

何度も耳にしてきた言葉です。

だから、

『ウサギと亀』という物語は、

もう読み終えたものだと思っていました。

けれど、

文豪たちは、

そうは考えませんでした。


太宰治なら、

兎はなぜ眠ってしまったのかを考えるでしょう。

芥川龍之介なら、

本当に亀は勝ったのかを疑うでしょう。

夏目漱石なら、

勝敗よりも、

競争のあとに残る人生を見つめるでしょう。

三島由紀夫なら、

勝利ではなく、

生命が最も美しく燃えた一瞬を書くでしょう。

宮沢賢治なら、

兎も亀も、

風も草も、

みな同じ生命として野原に立たせるでしょう。

同じ昔話なのに、

誰ひとり、

同じ物語にはなりませんでした。


書きながら、

私は一つのことに気づきました。

文豪たちは、

昔話を書き直したのではありません。

昔話の読み方を書き直していたのです。

物語は、

変わっていません。

変わったのは、

読む人の視点でした。

だから、

昔話は古くならない。

読む人が変わるたび、

物語もまた、

新しく生まれ変わるのです。


私は、

文豪たちを真似したかったわけではありません。

借りたかったのは、

文章ではなく、

世界を見る眼差しでした。

弱さを見る眼。

真実を疑う眼。

人生を見つめる眼。

美を追い求める眼。

そして、

生命を静かに見守る眼。

その眼差しを通して、

一つの昔話を眺めると、

見慣れていた景色が、

少しだけ違って見えました。


『ウサギと亀』は、

ここで終わります。

けれど、

物語は終わりません。

桃太郎にも、

浦島太郎にも、

舌切り雀にも、

笠地蔵にも、

まだ、

誰にも読まれていない景色が、

きっと残っています。

昔話とは、

答えを語り継ぐものではなく、

問いを語り継ぐものなのかもしれません。

だから、

時代が変わっても、

人が変わっても、

私たちは何度でも、

同じ物語を開きます。


もし、

この『文豪異聞録』を読み終えたあと、

本屋で昔話の本を見かけたとき。

あるいは、

子どもに昔話を読んであげる日が来たとき。

ほんの少しだけ、

「もし別の人が書いたなら、どんな物語になるだろう。」

そんなことを考えていただけたなら、

これ以上うれしいことはありません。

物語は、

読み終えたときに終わるのではありません。

新しい読み方と出会ったとき、

また、

静かに始まるのです。


あとがき

『文豪異聞録 ウサギと亀編』は、一つの昔話を五人の文豪の眼差しで見つめ直す試みでした。

太宰治は**「弱さ」**を。

芥川龍之介は**「真実」**を。

夏目漱石は**「人生」**を。

三島由紀夫は**「美」**を。

宮沢賢治は**「生命」**を描きました。

けれど、本当の主人公は文豪ではありません。

読む人自身の「読み方」です。




最後に

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