見出し画像

米寿母とのゆるい日々 いつもの正月

正月三が日のどこか。毎年、実家で家族がそろう日。といっても、家族は母と私と弟の三人。

この三人が揃うのさえ、最近になってからのこと。その前は長く、私も弟も実家には寄り付かなかった。人を見ては全否定する両親が大嫌いだったから。機能不全家族。

三人が揃うようになったのは、父が亡くなり、母が健康を害してからだ。ここ5~6年のこと。周りに毒をまき散らしていた母の、毒が少し弱まったので、寄り付く隙ができた。

「じゃー、正月は何日に会う?」という電話から始まる。今年は三日ね。

去年、散歩を習慣にして、足腰の弱っていた母もしっかり歩けるようになったので、今回は初めて、実家の氏神である神社に集合するはずだった。みんなで初詣をしよう。家から徒歩約30分。だけど、

「あーひかる、昨日床掃除をしたらね、腰が痛くなってね、ちょっと遠くまで行くのは無理だわ。だからひかる一人で行ってきてよ。」

ということで、結局毎年のごとく、私一人で、実家へ向かう電車を途中下車して氏神様に赴き、母の代わりに初詣をして、新しい熊手をゲットし、母に手渡す。そして実家から帰るときに、家にある古い熊手をひきとり、また氏神様の駅で途中下車して、お焚き上げに捧げる。めんどくさ。

往復とも途中下車するから、乗り放題の切符を買う

別に信心深いわけではない。そもそも宗教なんか持っていないし。ただ、そうすることが、父がいた頃からの唯一の家族行事参加だから、毎年、惰性でやっているだけ。

母の代わりにお参りして
まずは新しい熊手をゲット

実家に着く。「食べるものないよ」なんて電話で言っていたにもかかわらず、なんかいろいろとごちそうが並んでいる。母がいつも作るごった煮のほか、なんだかよそで買ってきたっぽいおせちが、大皿にドーンと。

「んーお母さん、私が前に送っといた、柔らかいおせち二人前、は?」

(最近、母の負担を減らすため、日持ちする出来合いのおせち少量セット、というものを、事前に郵送している。家族はみな少食だし。)

「あーそうだった。でももうこんなにたくさんあるから、これ先に食べてよ。一番少ない量買っても、こんだけあるんだよ。」だからこんなたくさん買わなくていいように、送ったのに!なぜ買う?残るでしょ!

「じゃあ、薫(弟)がまだだけど、乾杯する?」見ると、母が飲みもしないチューハイやワインが何本も、テーブルに置いてある。私や弟に飲ませたいらしい。こんなにたくさん、私も弟も飲まないんだけどね…いつもいらないって、言ってるのに。

乾杯して、食べ始める。相変わらず味の濃すぎる母のごった煮と、これまたしょっぱい市販の昆布巻き、松前漬け、甘すぎる栗きんとんと黒豆。

いつものように私が作って持って来た、紅白なますとたたきごぼうを、母は噛みきれなかった。「ああ、もう、硬くてダメねえ。」そうか残念。去年までは、食べられたのにね。じゃあ、このヤツガシラの煮物、どうぞ。

そうこうするうちに、寝坊して遅れて来た弟が参戦。といっても、いつものように、「あけましておめでとうございます」と言って、年賀を渡し、ただ座ってちょっとしゃべるだけ。ほとんど食べない。一時間もすれば、「じゃ仕事があるし」と帰るだろう。

薫、みんなでお隣さんにご挨拶に行こうと思ってたんだけど、行かない?去年、すごくお世話になったから。そう弟に誘うと、いや、俺は行かないよ、二人で行って来れば?と、いつもの答え。

それで、母が用意した近所用菓子折りを持って、母の入院時にとてもお世話になったお隣さんに、新年のご挨拶に。

ピンポン。「はーい?」ああ、風です。娘と一緒にご挨拶に。「はい、ちょっとお待ちください…」いつものように、幼馴染のしんちゃんが玄関に出てきた。

「昨年は、お世話になりました。これご挨拶です。お母様のお具合はいかがですか?」母が菓子折りを差し出すと、しんちゃんはいつものように笑顔で、「ああ母は、今、寝ています。寒い季節は、寝る時間が長くなって。寝るのが仕事ですね、ははは」と言った。お母様は重度の障害を持っておられるのだ。いつもおうちにこもっておられて、見かけたことがほとんどない。

「今年もどうぞよろしくお願いいたします。困ったことがあったら、何でもおっしゃってくださいね!お隣さん同士ですから。」お互いに同じようなことを言い合って、ご挨拶を終え、うちに戻る。「あいかわらずねえ、しんちゃんのおうちは。」そうだね。お母様、元気になるといいね。

おせちをつつきながら、ひとしきり三人で歓談。母はいつものように入院中の武勇伝を繰り返し、「退院したけど、脳梗塞はいつ再発してもおかしくありませんって言われたのよ。」で締める。それに対して弟や私が「だからいい加減タバコやめなよ!」と突っ込む。母が「だって、夜は寂しくて眠れないのよ。お父さんのタバコに比べたらもう微々たる量よ!」と応戦し、「肺水腫で苦しんで死んだお父さんと比べちゃダメ!」とさらに突っ込んでようやく話が終わる。多分母はタバコも酒もやめない。酒は百薬の長だから少しはいいかもだけど。今日みたいに。

近況などを交換した後、話すこともなくなり……なんか困ってることない?と聞くと、母がおもむろに、「このモップ、なんか柄が伸ばせなくなっちゃって、掃除に使えないんだけど、捨てたほうがいいかねえ」と、モップを持ってくる。それを弟がサクッと直し母に使い方を説明する。道具とか機械とかそういうのは、理系の弟の領分だ。

そしていつも通り、弟が腰を上げ、「じゃーお母さん、お大事にね。」と、帰っていく。「あんた、ちゃんと食べなさいよ」と母。おせち、いつもほとんど食べないから。好き嫌いが激しいのだ。なますとヤツガシラだけは食べてくれるから、それはうれしいんだけど…

私も、じゃあ、そろそろ、と片付け始める。母と二人で台所に立ち、相変わらずの洗濯してない感満載の布巾やタオルや汚いトイレに私が苦情を言い、母が知らん顔をして流す。この清潔感の違いが、私が実家を出た理由の一つだって、いつも言ってるのに。

片付いた後は、退院後に始めた「介護保険記録ノート」を開き、毎週お世話になっている看護師さんや言語療法士さん、マッサージ師さんが書き残してくださっているメモに目を通して、母の日常に変わりがないことを確かめる。そして、新しいページを開け、「昨年は大変お世話になりありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。娘のひかるより」と、書き残す。このノート、本当にいつもありがたい…

じゃあお母さん、来週は、今年初の編み物教室で忙しいんでしょ?だから次は、二週間後に来るね。一緒に、ボロ市に行くんだったでしょ?覚えてる?

「ああ、そうだったね。じゃ、カレンダーに書いとくよ。」そう言いながら、カレンダーに記入する母。多分、十中八九は、また、腰が痛い、とか言って、中止になりそうだ… イレギュラーな計画はいつもそうだから。

じゃあ、帰りに神社に寄って、この古いほうの熊手を納めるからね。

あれ、どっちが新しい方?どこも変わりないじゃん!

「ああ、よろしくね。きょうはありがとね。じゃあ、またね。」

母が私や弟に「ありがとう」というようになったのは、ここ数年のことだ。母もケガや病気をして、心細くなったのだろう。人の気持ちを考えるようになったのだろう。

そんなことを感じながら、神社に寄って旧熊手をお焚き上げに放り込み、帰途に就いた。


相変わらず、いつもの正月だった。毎年毎年、同じパターン、同じことの繰り返し。何も、変化がない。

去年は母が脳梗塞で長期入院して、無事退院したけれど。私も退職して無職になり、手術療養したりしたけど。いろいろあった一年間だったけれど。

いつもと同じ、変わり映えのしない、繰り返しの正月。

それで、良かった。

後日談はこちら
米寿母とのゆるい日々 ボロ市散歩|風ひかる

お隣のしんちゃんの話、良かったら読んでね
人に頼るという発想がなかった|風ひかる

脳梗塞退院前後にお世話になった方々のお話、良かったら読んでね
脳梗塞母 リハビリ病院退院す|風ひかる













いいなと思ったら応援しよう!