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なぜ事実は小説より寄なりなのか、少しだけ考えてみた

現実には時間という逃げ場もない普遍的なルールが、刻一刻と状況を変化させていく。

殊更、普通に生きていくだけでも、奇妙奇天烈と盛る冒険譚であっても、心の片隅では、心当たりがあると感じる人が殆どだろう。

事実は恐怖そのものだ。

リズムが悪化へと領下していく。

残りの人生を正確に読み上げる術を取得完了したものは、ミコトの様に罪状を読み上げる裁判官と法務大臣に重責せしる、平和を愛する某。

その遥か雲上に、純粋な力の存在感が治世している。

小説には事件を肴に楽しむ湯取りがあるから、いい塩梅に仕上がる頃には、すべてがちぐはぐで滅び去っている。

小説を盛り上げた舞台装置や仕掛け、人物描写と至る所までも古めかしくなり、推理小説ともSF小説とも、一緒くたに時代小説という扱いで書架の中で静かに眠る。

ミステリー大賞に選ばれる作家がいない理由は、再現性に乏しい大風呂敷を物語性を強めるために広げてしまう仕組みが起因となっている。