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歴史┃幕末┃会津藩に学ぶ「什の掟」─ならぬことはならぬものです

はじめに

「ならぬことはならぬものです」──会津藩に伝わる「什(じゅう)の掟」の最後に唱えられた一文です。
現代でいえばコンプライアンス遵守に近いかもしれません。しかし、そこには単なる規律以上の意味がありました。藩士の子どもたちに徹底され、人格形成の基礎をつくり、やがて藩全体を支える精神となっていったのです。
実直で誠実に生きる姿勢は、組織や社会のあり方を考える現代の私たちにも大切な教えを与えてくれます。

会津藩の歴史ー京都守護職から会津戦争まで

会津藩は幕末期、徳川幕府を支えるために奔走しました。
1862年(文久2年)、第9代藩主・松平容保は幕府から京都守護職を任じられ、新選組を配下に置き治安維持に尽力します。財政難を抱えながらも任務を引き受けたのは、忠義を重んじる会津の気風でした。

松平容保

やがて大政奉還を経て徳川政権が崩壊すると、会津は「朝敵」とされ、戊辰戦争で官軍と戦うことになります。1868年の会津戦争で敗北し、領地は没収。藩士たちは厳寒の陸奥下北へ移され、斗南藩として再興しますが短命に終わりました。

「什の掟」とは?

「什の掟」は会津藩士の子ども(6歳から9歳ほど)が学んだ生活の心得です。
内容は以下の七ヶ条でした。

年長者(としうえ)の言うことには背いてはなりませぬ

年長者にはおじぎをしなければなりませぬ

虚言をいふことはなりませぬ

卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ

弱いものをいぢめてはなりませぬ

戸外で物を食べてはなりませぬ

戸外で金銭のやり取りをしてはなりませぬ

これらを毎日唱和し、日常生活の中で自然に身につけさせました。
さらに最後にまとめとして唱えさせたのが、「ならぬことはならぬものです」 という言葉。
「絶対にしてはいけないことは、どんな理由があっても許されない」という強い戒めを示し、子どもたちの人格形成に大きな影響を与えました。

「什の掟」を貫いた会津藩士たち

藩主松平容保は、美濃高須藩の出身で会津生まれではありませんでした。
しかし、会津の教えを自ら体現し、藩士や藩民に慕われました。財政難にもかかわらず京都守護職を引き受け、徳川への忠誠を守り抜いた姿勢には一徹な精神を感じます。

会津戦争では敗色が濃厚となってもなお、忠誠心を貫いた藩士たちの姿は強さと哀しみを帯びた歴史として語り継がれています。

会津藩降伏の日

会津戦争を象徴するエピソード

白虎隊

16〜17歳の少年藩士で編成された白虎隊は約300人。戸ノ口原の戦いで敗れ、飯盛山に退却した20名が城下の炎を見て「落城した」と誤解しました。
彼らは誰一人逃げずに次々と自刃し、助かったのは飯沼貞吉ただ1人。少年たちの忠義と悲劇は、会津戦争の象徴として後世まで強く語り継がれています。

娘子隊(中野竹子)

女性でありながら薙刀を手に奮戦した中野竹子。戦場で銃弾を受け倒れ、妹の優子が介錯しました。竹子の潔さと妹の行動は、女性の勇気と義の心を示す逸話として残っています。

西郷頼母一族

頼母が城外へ退却した後、母や妻、娘らが自害。史料によって人数は異なりますが、20人前後が命を絶ったとされます。娘の細布子は助け出され生き延びました。忠義と悲劇の象徴であることは変わりません。

新島八重

スペンサー銃を手に鶴ヶ城を守り抜いた女性。後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれ、会津魂の象徴となりました。

明治に活躍した会津出身者

敗戦後も会津魂は消えることなく、多くの人材が新しい時代で活躍しました。

新島八重:会津戦争を生き延び、同志社英学校を支えた。

山川健次郎:東京帝国大学総長を務めた理学者。

山川捨松:鹿鳴館の華として国際舞台に立った。

中野優子:姉竹子の志を受け継ぎ、教育活動に尽力。

筆者の想いと現代社会への教訓

現代社会で「忠誠心」という言葉は古く感じるかもしれません。
しかし、誇りを持って生きる姿勢や、組織のために尽くす覚悟は今も変わらず価値があります。

「ならぬことはならぬものです」という教えは、単なる禁止ではなく、人を導き、一体感を生み、温かみのある教育を根付かせたものです。
リーダーが「言いっぱなし」や「押しつけ」では誰もついてきません。むしろ部下や仲間を信じ、共に汗を流すことで初めて信頼が築かれます。

会津藩の教えは、現代の組織に必要なリーダーシップとコンプライアンスの根幹を示しています。

そして…薩長へのわだかまりは、いまも少し残っているでしょうか(笑)。

おわりに

会津藩の人々は戦いには敗れました。しかし、「什の掟」を胸に生き抜いた姿勢は今も称賛に値します。
厳しさの中に温かみを持つ会津の精神は、現代に生きる私たちに「誇りを失わず、正しいことを守る大切さ」を教えてくれます。
敗者の歴史にこそ、未来へのヒントが隠されているのです。

会津藩ゆかりの地

鶴ヶ城(会津若松城):白虎隊や新島八重の記憶が刻まれる城。

鶴ヶ城(会津若松城)

飯盛山:白虎隊自刃の地。今も彼らの墓が残る。

白虎隊十九士の墓

会津武家屋敷:会津藩士の生活と什の掟の精神を体感。

日新館:藩校。藩士の子どもが「什の掟」を学んだ教育の場。

阿弥陀寺:西郷頼母一族の墓が残る。忠義の象徴を偲ぶ場所。

史跡を巡るたびに、藩士たちの覚悟と誇りを肌で感じることができます。

ならぬことはならぬものです

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