やりがいのない仕事を探していた 第五話 ハローワークと南の島
会社に行けなくなったあと、僕は失業者になった。
言葉にすると簡単である。
失業者。
求職者。
雇用保険受給資格者。
役所の書類には、人生を平らにする力がある。
昨日まで、中央官庁の案件だ、入札だ、見積もり合わせだ、全国八都市だと走り回っていた人間が、ある日からハローワークの椅子に座る。番号札を持って、窓口に呼ばれるのを待つ。
不思議なものだった。
銀座の店を閉めたときも、会社に行けなくなったときも、僕はどこかで自分の人生を大げさに感じていた。終わった。壊れた。失敗した。そういう言葉が頭の中で大きく鳴っていた。
でも、ハローワークに行くと、僕の失敗は番号札の一枚になる。
待合の椅子には、いろいろな人がいた。
若い人もいる。中年もいる。年配の人もいる。疲れた顔の人もいるし、妙にきちんとした格好の人もいる。みんな、それぞれの理由でそこにいる。
僕だけが特別に壊れたわけではない。そう思うと、少し楽だった。
失業保険の説明を受け、求職活動の話を聞き、求人票を見る。
四十を過ぎた男の仕事は、思ったより限られていた。
もちろん、ゼロではない。仕事はある。ただ、選べる仕事は多くない。
ハローワークの端末に条件を入れる。年齢、勤務地、未経験可、正社員。画面に求人が並ぶ。そこには、妙に明るい言葉が踊っていた。
アットホームな職場です。
やる気のある方歓迎。
モチベーションを大切にします。
未経験でも全面的にサポートします。
僕は画面を見ながら、少し笑った。
いい言葉ほど、危ない。経営者をやっていたから、そう思うのかもしれない。
本当に仕組みのある会社は、仕組みを書く。
教育制度があるなら教育制度を書く。休日が取れるなら休日を書く。残業代が出るなら残業代を書く。福利厚生があるなら福利厚生を書く。
アットホームという言葉で人を呼ぶ会社は、たいてい家族のように働かせようとする。
やる気を強調する会社は、仕組みの不足を個人の気合いで埋めさせようとする。
モチベーションを大切にする会社は、モチベーションが落ちた人間を大切にしないことが多い。
全面的にサポートします、という言葉も怖い。本当に全面的にサポートできる会社は、そんな大きな言葉を使わない。
求人票は、どれも同じ顔に見えた。
もちろん、すべてが悪い会社だったわけではないと思う。僕の目が濁っていただけかもしれない。それでも、その頃の僕には、求人票の明るい言葉が、だいたい蛍光灯の下の嘘に見えた。
就業相談の窓口で、いくつか仕事を紹介された。
営業。現場管理。イベント関係。人材系。
どれも、できないわけではなさそうだった。
でも、できそうな仕事ほど怖かった。また同じことをやる気がした。
任される。
張り切る。
工夫する。
勝つ。
疲れる。
壊れる。
その流れが、求人票の向こう側にうっすら見えた。
仕事を探しに来ているのに、仕事に近づくのが怖い。なかなか面倒な状態である。
僕は一度、画面を見るのをやめた。
今すぐ別の仕事に飛び込めば、また同じように自分を削り殺す気がした。仕事を探さなければならないのはわかっている。でも、その前に少しだけ時計を止めたかった。
そんな時期に、ふと思い出したことがあった。
僕たちは、新婚旅行に行っていなかった。
店をやっていたからである。銀座の店は、休むことができなかった。
正確に言えば、休もうと思えば休めたのかもしれない。でも当時の僕たちは、休むという発想をうまく持てなかった。店を開ける。客を呼ぶ。女の子を入れる。売上を作る。支払いをする。
その繰り返しの中で、新婚旅行は後回しになり、そのままどこかへ消えた。
会社に行けなくなって、皮肉なことに時間ができた。
金はない。でも、時間はある。
それなら、遅い新婚旅行のようなものに行ってもいいのではないかと思った。
ハワイは高い。グアムは、なんとなくありきたりな気がした。
そうやって考えているうちに、マレーシアの離島が目に入った。
レダン島。
海が綺麗で、物価も比較的安い。コスパがいい。コスパで新婚旅行を選ぶあたりが、僕たちらしかった。
大学生のころ、僕は海外を少し放浪していた。だから、海外旅行については、妙な自信があった。
行けば何とかなる。
これは、若いころの旅行者が持ちがちな、根拠のない信仰である。そして、中年になっても、なぜか残っている。
飛行機を取り、マレーシアに向かった。
途中までは、まあまあ順調だった。問題は、島へ渡る船着き場に着いたときである。
人がいなかった。
南国の船着き場である。
もっと人がいて、船があって、売店があって、呼び込みがいるようなものを想像していた。ところが、そこには妙な静けさがあった。
嫌な予感がした。
カミさんが僕を見た。
「あんた、ホテルの予約とかちゃんとした?」
「いや……」
短い会話だった。そこに、すべてが詰まっていた。僕は、行けば何とかなると思っていた。 カミさんは、行けば何とかならない場合があることを知っていた。
しばらくすると、バイクに乗った若者が通りかかった。
カミさんが彼を捕まえた。こういうときのカミさんは強い。
銀座のママだった人間は、知らない土地でも人を捕まえる。言葉が多少通じなくても、なんとかする。僕が地図や時刻表を見て固まっている間に、カミさんは現地の人間に話しかけている。
若者は、今日の渡し船はもうないと言った。
終わった。
いや、旅は終わっていないが、その日の予定は終わった。カミさんの視線が痛かった。
僕は、できるだけ視線を海のほうに逃がした。
若者に近くのホテルを聞くと、案内してくれることになった。
連れて行かれたのは、引くほど立派なリゾートコテージだった。
想像していた安宿とは違う。
入口からして立派で、敷地も広く、南国の緑が妙に手入れされている。僕は内心、財布のことを考えていた。
でも、もう仕方がない。
船はない。今夜はここに泊まるしかない。
カミさんはプンプンしていた。
当然である。
ただ、完全に怒り切っているわけでもなかった。僕たちは、どこかで少しワクワクしていた。予定が崩れると、人は不安になる。
でも、予定が崩れたからこそ、旅になることもある。
僕たちは奮発して、ディナービュッフェも頼んだ。
料理の味は、正直、細かく覚えていない。
ただ、ピンク色の甘い飲み物だけは覚えている。果物の自然な色ではなかった。明らかに人工的なピンクだった。
ムスリムの国のホテルにある、甘いシロップの飲み物だったのかもしれない。ローズのようでもあり、いちごのようでもあり、でも果物そのものではない。氷が入っていて、やたら甘くて、やたら冷たかった。
高級リゾートのディナービュッフェで飲むには、少し安っぽい色だった。
でも、その安っぽいピンクが、妙に旅らしかった。
僕は今でも、あの飲み物の色を覚えている。
そのホテルで、翌日の渡し船と島の宿を予約してもらった。
僕が行けば何とかなると思っていた部分を、ホテルの人が本当に何とかしてくれた。
そういう意味では、僕の考えも完全に間違っていたわけではない。
ただし、何とかしたのは僕ではない。
だいたい、こういうことが多い。
翌日、僕たちは船でレダン島へ渡った。
島のコテージの周りには、本当に何もなかった。
海があり、砂があり、木があり、空があった。
店もない。
やることもない。
だから、シュノーケリングをした。
海の中には、魚がいた。
当たり前だが、海の中に魚がいると、なぜか嬉しい。
僕たちは数日、だらだら過ごした。
朝起きて、海を見る。
適当に食べる。
泳ぐ。
寝る。
また食べる。
何もしない。
失業者には、何もしない時間がよく似合う。
働いていたころ、僕は全国を移動していた。でも、どこにも着いていなかった気がする。
新幹線で移動し、ホテルに泊まり、会場に入り、終わったらまた次の場所へ行く。身体は動いているのに、心はずっと現場と次の案件の間に挟まっていた。
レダン島では、どこにも行かなかった。だから、ようやくどこかに着いた気がした。
ある日、ジャングルの細い道を抜けて、島の裏側へ行ってみた。
木の間の道を歩く。湿った空気がまとわりつく。虫の音がする。
南国の緑は濃い。しばらく歩くと、突然、景色が開けた。
そこには、巨大なホテルがあった。土産物屋もあった。人も多かった。
一大リゾートである。
僕たちが泊まっている側の、何もないコテージとはまるで別の島だった。
「なんだ、こっち側すごいじゃん」
僕が言うと、カミさんは呆れた顔をした。
「あんた、ほんと調べないよね」
その通りだった。でも、調べなかったから驚けたのだとも思う。
そう言うと怒られそうだったので、言わなかった。
帰国してから、国内の山にも行くようになった。
関東の山を、あちこち登ってみた。この歳になって、初めて高尾山にも登った。
高尾山なんて、東京に住んでいればいつでも行けると思っていた。
いつでも行ける場所ほど、人はなかなか行かない。
実際に登ってみると、よかった。
高尾山は観光地であり、信仰の山でもあり、散歩道でもあり、ちゃんと山でもあった。人は多い。店もある。ケーブルカーもある。それでも、自分の足で登ると、身体の中の何かが少し整う。
小仏城山まで歩いた。
茶屋で食べたかき氷が、やたらうまかった。特別なかき氷だったのか、ただ汗をかいていたからうまかったのかはわからない。
たぶん、両方だろう。
冷たい氷が、身体の中に降りていく。それだけのことが、妙にありがたかった。
働いていたころ、僕は移動していた。
失業してから、僕は歩いていた。
同じ移動でも、ぜんぜん違う。
電車や飛行機や新幹線で運ばれているとき、人は自分の速度を持っていない。
山道を歩いていると、自分の速度が戻ってくる。僕には、その速度が必要だったのかもしれない。
とはいえ、いつまでも旅行と山歩きだけをしているわけにはいかない。
失業保険には終わりがある。
生活にも金がいる。
僕はまた、仕事を探し始めた。
ただ、ハローワークの求人票を眺めていても、埒が明かなかった。
営業。管理。人材。イベント。
どれも、前の自分に戻る入口に見えた。
そこで僕は、また入札公告を見るようになった。
懲りない人間である。
友人の会社で何か取れないか。自分が正社員としてどこかに入るのではなく、案件を見つけて、取って、回す方法はないか。そう考えて、いろいろな公告を見ていた。
そこで、橋梁点検という文字が目に入った。
橋の点検。
最初に見たときは、地味な仕事だと思った。
かなり地味である。だが、過去の発注金額を確認するとなかなか大きい。それなりの規模感のあるイベント運営の金額くらいある。
橋梁点検は、土木系の仕事である。積算上の人件費も、土木寄りだからだろう。
とはいえ、道路工事のように重機が必要なわけではない。コンクリートやアスファルトを大量に仕入れるわけでもない。材料費で大きく金が出ていく仕事ではない。
必要なのは、体と目とカメラと報告書。
もちろん、そんな簡単なものではない。
橋は大事なインフラである。点検には知識も経験もいる。資格も必要になる。過去の実績も問われる。役所から直接受けるには、参入障壁が高い。
友人の会社でいきなり取れるような仕事ではなかった。
でも、構造としては面白かった。
設備投資が少ない。材料費が少ない。人件費が中心。
仕様書を読み込めば、イベント会社時代のように、何か別のリソースと組み合わせて原価を詰める余地があるかもしれない。会場を大学にずらしたり、印刷を出力屋に変えたりしたときと同じで、仕様の中にはいつも隙間がある。
しかも、橋は全国にある。それに点検は一度やれば終わりではない。定期的に回ってくる。
僕は、公告を見ながら思った。
これは、直接取るのは無理だ。
でも、どこかの会社に入って覚えることはできるかもしれない。
そう思って、ハローワークで検索してみた。
橋梁点検。
求人は多くなかった。ただ、いくつか出てきた。
経験者歓迎。資格者優遇。土木経験者。若手育成。
そういう言葉が並ぶ。
その中に、四十過ぎの未経験でも、面接してもらえそうな会社があった。
場所は九州だった。
遠い。かなり遠い。でも、その遠さが少しよかった。
近場で似たような仕事に戻るより、まったく違う場所で、まったく違う仕事を始めたほうがいい気がした。
ハローワークの担当者に相談した。
「未経験なんですけど、年齢的に難しいですかね」
担当者は求人票を見ながら言った。
「一度、聞いてみましょうか」
その場で会社に電話してくれた。
僕は隣で待っていた。電話口の声は聞こえない。ただ、担当者の表情で、悪い反応ではなさそうだとわかった。
「はい。はい。四十代です。未経験ですが、イベント関係の現場経験はあるそうです。出張も大丈夫とのことです」
出張も大丈夫。
その言葉に、少し苦笑した。
出張で壊れた人間が、また出張大丈夫と言われている。ただ、橋梁点検の出張は、前の出張とは違う気がした。
少なくとも、寸劇の台本を新幹線で直す仕事ではない。役所のロゴ位置に怯える仕事でもない。橋を見る仕事である。
まだ何も知らないのに、そう思った。
電話を終えた担当者は言った。
「面接はしていただけるそうです。東京からの交通費も出すそうですよ」
好印象だった。求人票の向こう側に、初めて少しだけ人の顔が見えた気がした。
家に帰って、カミさんに話した。
「九州に、面接に行こうと思う」
カミさんは、しばらく黙っていた。
「九州?」
「うん」
「また急に遠いね」
「橋梁点検って仕事。未経験でも面接してくれるみたい」
「橋?」
「橋」
自分で言っても、少し変だった。
銀座の店を閉めた男が、イベント会社で中央官庁の寸劇を作り、会社に行けなくなり、次は橋を見ると言っている。
人生は、なかなかまっすぐ進まない。
カミさんは弱く反対した。強くではない。弱く、である。
九州まで行ってどうするの。
また変な会社だったらどうするの。
単身赴任なんて続くの。
あんた、また壊れるんじゃないの。
そういう反対だった。もっともな話である。
僕は言った。
「ダメだったら戻るよ」
カミさんは、少し笑った。
「それ、だいたいダメだったときは壊れて戻ってくるやつじゃん」
その通りだった。反論できなかった。
もしまた僕が壊れたら、この人はまた何も言わずにトーストを焼き、コーヒーを淹れるのだろう。そう思うと、その静かな諦めのような覚悟が、今の僕には重く、ありがたかった。
でも、今回は違う気がした。いや、違うと思いたかっただけかもしれない。
僕はもう、やりがいのある仕事を探していなかった。
勝てる仕事も、面白すぎる仕事も、少し怖かった。欲しいのは、人生を全部持っていかれない仕事だった。
毎日、自分を証明しなくていい仕事。誰かの機嫌を読み続けなくていい仕事。
華やかでなくていい。人に説明しても、あまり羨ましがられないくらいでいい。
ただ、生活できて、身体が壊れず、少しだけ外の空気が吸える仕事。そういうものを、僕は探していた。
橋梁点検が本当にそういう仕事なのかは、まだわからなかった。
たぶん、そんな甘い仕事ではない。
橋の下は暗いだろうし、夏は暑いだろうし、冬は寒いだろう。高いところもある。汚れるだろうし、覚えることも多い。四十過ぎの未経験者が楽に入れる世界ではないはずだ。
それでも、求人票の明るすぎる言葉より、橋という無口なもののほうが信用できる気がした。
橋は、アットホームとは言わない。やる気を求めてもこない。モチベーションを大切にします、とも言わない。
ただ、そこにある。
壊れていないか見ろ、と黙っている。それくらいの距離感が、今の僕にはちょうどよかった。
カミさんは最後まで賛成とは言わなかった。
でも、止めなかった。
「まあ、行くだけ行ってくれば」
そう言った。
僕は面接のために、九州へ行くことにした。
南の島へ行き、高尾山に登り、ハローワークで求人票を眺め、入札公告の端で橋を見つけた。
ずいぶん遠回りしたと思う。
でも、僕の人生は最初からずっと、遠回りでしか進まなかった。
銀座の地下から、役所の会議室へ。
役所の会議室から、ハローワークへ。
ハローワークから、九州の橋へ。
つながっているようには見えない。でも、あとから振り返ると、たぶん全部つながっていた。
僕は面接の準備をした。
たいした準備ではない。
履歴書を書き、職務経歴書を整え、交通手段を調べる。
職務経歴書には、広告、店、イベント、公共案件と、まとまりのない経歴が並んだ。
そこに、橋梁点検はまだない。当たり前だ。これから始めるのだから。
白い欄の向こうに、見たことのない橋があった。
僕はそこへ向かうことにした。
