サウナと私と、タオル一枚のプライド
思うところがある。
昨今のサウナブームである。
サウナそのものに文句はない。
好きな人は好きでいいし、私も設置されていれば「入ろうかな」と思う程度には嫌いではない。
サウナのためだけに遠征することはないけれど、誘われれば「まぁ、いいか」と付き合う。
そんな、ほどほどの距離感でサウナと付き合っている。
だがしかし。
サウナには、どうしても越えられない壁がある。
そう、風呂場である。
そして、タオルである。
私も、世間的にはすっかり「おっさん」と呼ばれる年齢になった。
花も恥じらう年頃ではない。
今さら局部を隠すほどの価値も、私の局部にはない。
……なのに、恥ずかしいのである。
なぜなのか。
考えてみると、理由は二つあった。
まず一つ目。
私の武器──正式名称【バーモンタースカンジナビアンスプリッティングアックス】。
長いので、以後【金剛】とする。
【金剛】は非常にコンパクトだ。
持ち運びに便利。
収納に便利。
普段使いにも最適。
だが、有事にはちゃんと展開する。
ロマンしかない。
しかし、風呂場で有事になることはない。
むしろ展開していたら、それはそれで事件である。
つまり、他人の目に触れる【金剛】は、常に収納形態なのだ。
それが、なんだか恥ずかしい。
「大事なのは大きさじゃないよ」
などと宣う人に限って、だいたい最初から立派なサイズなのは何故なんだぜ。
次に二つ目。
【金剛】は非常に照れ屋である。
控えめで誠実。
寒冷地に強い。
革ジャン着用。
革ジャン反抗期。
もちろん、有事にはちゃんと脱ぐ。
しかし昨今の世間を見渡すと、どうにも「ズル剥けこそ正義」みたいな空気を感じる。
いやいや。
不衛生なのはよくない。
そこは異論がない。
だが、こちとら毎日ちゃんとムキムキしてキレイキレイしている。
普段しまっているか、出しているか。
違いなんて、それくらいではないか。
真性なら保険適用。
仮性は適用外。
ということは、制度上も「病気」とは言い切れない程度の違い、ということなのだろう。
だったら、そんなに肩身の狭い思いをしなくてもいいじゃないか。
そもそも。
古代ギリシャ・ローマの彫刻をご覧いただきたい。
みんな包んでいるではないか。
しかも、それは「節制」「知性」「理性」の象徴だったらしい。
だとしたら現代のズル剥け至上主義は、「放逸」「無知」「本能」の象徴ということになる。
……決して涙目ではない。
あと、名前が悪い。
「仮性包茎」。
このネーミングが、もう負けている。
「自然茎」でいいじゃないか。
逆にあちらは「積極露出茎」。
これでようやく五分五分である。
ふう。
嫌んなっちゃうぜ。
それでも、今の日本で生きている限り、やっぱりズル剥けのほうがいいのかな、なんて思ってしまう自分もいる。
結局のところ、私はこれからもサウナに誘われれば行くだろう。
そして風呂場で、誰にも頼まれていないのに勝手に恥ずかしくなり、タオルで前を隠すのだ。
そんなこと、たぶん誰も気にしていない。
……でも、自分だけは気になる。
困ったものである。
