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「好きなキャラ」を言えない人々――ある高潔なる回り道について

まずは原文を。

「ふーん、で、君は涼宮ハルヒのキャラで誰が好きなの?」

「オウフwwwいわゆるストレートな質問キタコレですねwww おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww まあ拙者の場合ハルヒ好きとは言っても、いわゆるラノベとしてのハルヒでなく メタSF作品として見ているちょっと変わり者ですのでwwwダン・シモンズの影響がですねwwww ドプフォwwwついマニアックな知識が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www まあ萌えのメタファーとしての長門は純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww 私みたいに一歩引いた見方をするとですねwwwポストエヴァのメタファーと 商業主義のキッチュさを引き継いだキャラとしてのですねwww 朝比奈みくるの文学性はですねwwww フォカヌポウwww拙者これではまるでオタクみたいwww 拙者はオタクではござらんのでwwwコポォ」

「君は涼宮ハルヒのキャラで誰が好きなの?」


実に清潔な質問である。


余計な装飾がない。


春の日差しのように率直だ。


ところが、この質問を受けた人物は答えない。


いや、答えられないのではない。


むしろ答えへ向かおうとしている。


向かおうとしているのだが、その道中で学問に寄り道し、思想に寄り道し、文学に寄り道し、気づけば答えから数キロ離れた場所で「オウフ」と鳴いているのである。


これは一見すると滑稽な光景だ。


しかしよく眺めると、そこには妙な気高さがある。



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世の中には二種類の人間がいる。


好きなものを「好き」と言える人間と、


好きなものを好きと言う前に、その好きの構造を説明し始める人間である。


後者の人間は、しばしば遠回りをする。


花を見ても花と言わない。


まず花の歴史を語る。


次に花を取り巻く社会構造を語る。


そのあと花を眺めている自分の視点について語る。


そして最後に疲れ果てて帰宅する。


花には触れない。



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このコピペの人物も同じである。


長門が好きなら長門と言えばいい。


みくるが好きならみくると言えばいい。


だが、それでは何かが足りない気がする。


ただ好きと言うだけでは、自分の感情が裸で放り出されてしまう。


それが少し怖い。


だから理論を着せる。


思想を着せる。


文学を着せる。


気が付けば感情は見えなくなり、服だけが巨大になっている。



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だが、ここで重要なのは、この人物が決して冷笑家ではないということだ。


本当に冷めている人間は、そもそも語らない。


ここまで熱心に回り道をしない。


これだけ膨大な言葉を積み上げるということは、その奥にかなり大きな「好き」が埋まっている証拠なのである。


好きだからこそ、そのまま触れられない。


大切な陶器を持つとき、人は素手ではなく布で包む。


それと同じだ。


問題は、その布が分厚くなりすぎて陶器が見えなくなっていることである。



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近代以降の人間には奇妙な癖がある。


感情そのものよりも、


感情をどう扱うかを気にしてしまう。


好きであることより、


好きである自分の姿勢を気にする。


感動することより、


感動の仕方を考える。


その結果、人はだんだん自分自身の解説者になる。


人生を生きる人間であると同時に、


人生の実況者にもなる。



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このコピペの人物は、その傾向が少し極端なだけなのかもしれない。


彼は作品を見ている。


しかし同時に作品を見ている自分も見ている。


さらに、その自分を見ている自分も見ている。


鏡の前に鏡を置いたような状態である。


その果てに生まれるのが、


「コポォ」


なのだろう。



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私はあの鳴き声を嫌いになれない。


あれは敗北の音である。


知性が感情に勝てなかった音だ。


難しい言葉をいくら積み上げても、


結局は「好き」という単純な感情の前で立ち尽くしてしまう。


その照れ隠しが、


オウフであり、


ドプフォであり、


コポォなのである。



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だからこのコピペは、オタクを笑う文章でありながら、どこか人間全体の姿にも見えてくる。


誰もが少しだけ、自分を美しく見せたい。


誰もが少しだけ、自分の感性を特別なものとして扱いたい。


誰もが少しだけ、好きなものを好きと言う前に、理由を並べてしまう。


その小さな虚栄と、


その小さな誠実さが、


不思議な具合に混ざり合った結果がこの人物なのだ。


まるでモダンな洋館の応接室で、最新の思想書を読みながら紅茶を飲み、その三時間後には駄菓子屋でラムネを買っているような精神である。


高尚なのか。


子供っぽいのか。


知的なのか。


滑稽なのか。


おそらく本人にも分からない。


ただ一つ確かなのは、


彼は最後まで好きなキャラを答えられなかったということである。


そしてそれこそが、彼の最も人間らしい部分だったのかもしれない。

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