セウォル号惨事と「記憶と約束の道」【金曜日の夜に:26】
4月16日、2014年に起きたセウォル号沈没惨事から12年目を迎えた。
セウォル号惨事に関して、今月必ず何か書き残したいと思っていたが、なかなか筆が進まなかった。
ここ数年、毎年4月のこの時期は同じような時間を送っている。
安山市にある「檀園高4.16記憶教室」という施設で、来訪者の案内のお手伝いをする。そして、4月16日には安山の花郎遊園地(公園)で開かれる「記憶式」(追悼式)に参席する。
4月だけでなく、毎月第3土曜日に、記憶教室から檀園高校や花郎遊園地までを歩く「記憶と約束の道」という行事をやっている。2019年から参加しはじめたので、もう7年目になる。
私がなぜセウォル号に、なかでも犠牲者304人のうち生徒250人・先生11人が犠牲になった檀園高校にまつわる活動に関わるようになったのか。振り返ると自分でも不思議な縁だと思う。

2014年というのは、私が修士論文のために韓国で一人暮らしを始めた年だ。ワンルームに住んでひと月あまりたった頃、セウォル号という旅客船が珍島沖で事故に遭い沈没するという事件が起きた。
とんでもない事故だが、当然多くの人が救助されると思った。
しかし、韓国政府の救助は遅々として、いや、まったく、進まなかった。
そうして、当時韓国の人々は船とともに沈んでいった乗客をリアルタイムで目撃した。そのうちの8割以上が、修学旅行に行く17歳の高校2年生だった。
事故の原因は何年もの間究明されず、なによりも「なぜ救助できなかったのか」は今だもって明らかになっていない。処罰は海運会社や船を置いて避難した船長や船員などの一部にのみ課され、海難事故救助の最大の責任を負わなければならない国の責任者はついぞ処罰されなかった。
だから、セウォル号沈没を事故ではなく「惨事」と呼ぶ。
当時私は、いろんなことがわからなかった。まだ韓国社会も韓国語も不慣れで、情報を収集する力も足りなかった。一人で部屋で論文を書きつつパートタイムの仕事をしていたけれど、同僚といえる人もおらず、集団パニックのような重苦しい社会の空気と自分の気持ちを、言葉で分かち合うこともできなかった。
誰も笑うことができなかった4月。当時をそんなふうに記憶している。
その後、檀園高校のある安山市に、しかも檀園区に引っ越してきたのは、偶然でもあるし、奇妙なご縁でもある。
とはいえ、最初の数年はセウォル号の活動に関わったわけではなかった。
2018年頃、近しく関わっていた平和教育団体を通じて、檀園高校の生徒たちの教室を移転した施設でセウォル号を記憶する連続講座のプログラムがあると聞き、参加したのがきっかけだった。

生徒たちの生きた記憶をそのままアーカイブする「4.16記憶貯蔵所」という活動体が主催だったが、まさかそれが、亡くなった生徒の母親たち自ら運営しているものだとは思わなかった。当然、遺族にどう接すればいいか分からず戸惑った。
そのとき思ったのは、惨事の遺族の前で「本当に自分は無力だ」ということだ。
遺族が政府と大統領府に向かって路上で熾烈なデモを繰り広げているときに、一緒に闘い寄り添っていた市民たちと違って、私は何もしていなかった。だから今さら、どんな言葉をかけられるのか、何ができるのか、本当にわからなかった。
私が初めて参加した連続講座はその後も毎年開かれた。それに毎年、毎回参加することにした。せめて私ができることは、その席を一つ埋めることくらいだと思ったから。
その流れから、檀園高の生徒たちにゆかりのある場所を歩いて回る徒歩巡礼「記憶と約束の道」を有志で始めるようになった。
記憶教室から始まり、檀園高内のモニュメント「黄色いクジラの夢」(この文のタイトル写真)→街中にある小さな「記憶展示館」→花郎遊園地に設立予定の「生命安全公園」予定地まで歩く。

そうして年月を重ねていくうちに、いつの頃からか、
遺族であり活動家であるお母さんたちとふざけたり笑ったりしながら話せるようになっていた。
数えきれないほど通った記憶教室は見慣れた場所になった。写真のみで会う生徒のうちの何人かは、どんな性格で何が好きだったかも、お母さんたちを通じて知るようになった。一度も会ったことがないのに、知り合いの子のように彼らの名前を呼ぶ。
それでも
何年たっても決して消えない悲しさと悔しさがどれほど深いか
私はその淵にも立てていないという気が、毎回する。
惨事において、
犠牲者への追悼、祈り、同時に真相究明と真実の共有、責任追及は、二度と繰り返さないという約束のための行為だ。
だけど、実際には惨事はその後も繰り返し起きている。
忘れない、記憶し続けるというのは、とても大事なことだが、
当事者でない者にとってたやすく約束できるものでもない。
ときどき自問する。
私にとってはなぜセウォル号が特別なのか。それ以外の惨事はなぜ同じくらいの重みをもって心に留め置いていないのか。それはどうしようもないことなのか。
セウォル号のお母さんたちの活動を「手伝う」ことで、自分への免罪符にしていないか。
大きな質問への答えはない。
だからひとまず黙々と、去年と同じく今年も、先月と同じく今月も、出来る限りのことをするだけだ。
セウォル号惨事に心を寄せる方がいたら、
ぜひ安山市にある「檀園高4.16記憶教室」を訪れてほしい。そこでの話に耳を傾けてほしい。
日本語の音声ガイドもあるので。

