物語は、人を変える― 欅坂・櫻坂・日向坂と歩いた10年 ―
第〇章 プロローグ〜あなたはなぜ「推す」のか
あなたは、誰もを惹きつける笑顔の裏にある涙が、どれだけ流されたかを想うことはあるか。
人前に立って何かをする、ということは、その完成されたものを完璧にこなすことが求められる。とはいえ、どれだけの天才肌であったとしても、いきなりこれをやってくれと言われてその場で完璧にこなせる人は、ほとんどいない。
裏側に積み重ねられた努力の結晶がそこに表れるのである。
その過程を、私は「物語」と呼ぶ。
出来上がった完成品だけで感動するのではない。その過程にどれだけのドラマがあったのか、それを知るから感動するし、何度も通いたくなるのではないか。
「物語」という言葉は、どこか創作の世界のものだと思われるかもしれない。
小説や映画やドラマ。
そこに描かれる主人公の人生を追いかけることに「物語」という名がつけられたとして。
でも、本当にそうなのだろうか。
現実の世界には、「物語」は存在しないのだろうか。
そんなはずはない。
しかも、その「物語」は、彼女たちのような特別な人だけのものではない。
私たちのすぐ隣にもある。
そして、その「物語」は、人を変える力を持っている。
私が欅坂46を知り、櫻坂46を見届け、日向坂46にも心を動かされる中で、いつしかそんなことを考えるようになった。
アイドル論を書きたかったわけではない。
楽曲の解説を書きたかったわけでもない。
「このメンバーが素晴らしい」と伝えるのは、別の機会でもいい。
私が書きたかったのは、その先にあるもの。
なぜ、これほどまでに心を動かされるのか。
なぜ、会場へ足を運びたくなるのか。
なぜ、10年近く見届け続けているのか。
その理由を、自分自身の中で一度言葉にしてみたかった。
このnoteに書かれていることは、あくまで私一人の感じたことであり、私一人の結論である。
だから、これが正しいとは思っていない。
人には人の推し方があり、人には人の物語がある。
それでも、もしこの文章を読み終えたあとに、「自分にもそんな物語があったかもしれない」と思っていただけたなら、このnoteを書いた意味は十分にあったのだと思う。
あなたが何を推し、なぜそこまで惹かれるのか。その答えを、一緒に探していけたら。
第一章 なぜ私は欅坂46に出会ったのか
2016年4月6日。
欅坂46のデビューシングル『サイレントマジョリティー』発売日。
もちろん、その時点では「人生が変わる」などとは思っていなかった。ただ、新しく坂道シリーズの妹分がデビューするらしい、その程度の認識だった。
実際、私はそれまで「アイドルオタク」ではなく、アイドルを推す、ということは知らずにいて。
ただし、アイドルそのものに興味がなかったわけでもなかった。
小学生の頃には小泉今日子に憧れ、おニャン子クラブ全盛期には新田恵利や渡辺満里奈を応援していた。高校時代には南野陽子が好きだった。
大人になってからAKB48や乃木坂46を見る機会もあった。しかし、いわゆる「アイドルなら何でも好き」というタイプでもない。地下アイドルも含め、広くアイドル文化を追いかけるようなことは一度もない。
好きになるとき。それは、本当に心を動かされたとき。
乃木坂46についても、最初はバナナマンがMCの冠番組をバラエティとして、ただただ楽しんで観ていただけだった。
ある日、番組の最後に、「鳥居坂46オーディション開催」という告知が流れた。
当時は「ふーん、新しいグループができるのか」程度の印象しかなかった。
オーディションを経て、発表の場でいきなり「欅坂46」へと“改名”。
冠番組の開始。
そしてその数か月後、『サイレントマジョリティー』が世に出る。
知らず知らずのうちに、グループにフォーカスを当てて観るようになっていた。
確かにその兆しは最初からあった。
ミュージックビデオを見たとき、違和感しかない。アイドルというもののステレオタイプで見ていた証拠だ。そのステレオタイプに嵌まらない。だから違和感しかなかった。
しかも、冠番組で見せる彼女たちの表情とも、何かが違う。
確かにそんな違和感が原点だった気はする。
とはいえ、当時の自分に今の自分が予想できたかと言われれば、それは無理な相談だ。予想だにしていなかった。
こんなに、このグループから離れられなくなるとは。
なぜ50代になった今でも、これほどまでに欅坂46と櫻坂46を語り続けているのか。
正直に言えば、自分でも完全な答えはまだ見つかっていない。
それでも、この10年間を振り返ることで、少しずつその理由が見えてきたように思う。
このnoteは、その記録である。
『サイレントマジョリティー』は、初めて聴いた瞬間から、それまでのアイドルのイメージを覆した。
もちろん、かわいい子たちが歌って踊るグループではある。
でも、違う。何かが違うんだ。
楽曲のメッセージ。表情。ダンス。
そして何より、「何かを訴えようとしている」という強烈な意志。
「考えさせられる。」
そんな感覚を初めて覚えた。
当時、私は40代。
社会人として長く働き、多くの子どもたちと向き合ってきた。
年代的には、本来なら彼女たちが歌う「大人への反発」や「葛藤」は、自分とは距離のあるもののはずだった。
むしろ、彼女たちからすれば「大人は信じてくれない」と嘆く、信じてくれない人の一人。
そんな立場にいたはずである。
それなのに、不思議なくらい心を動かされた。
なぜなのか。
今でも、その答えを完全には説明できない。
ただ一つ思うのは、自分の思春期に、どこか置き忘れてきたものがあったのかもしれないということ。
もしそうだとすれば、欅坂46は、それを何十年も経ってから思い出させてくれた存在だったのかもしれない。
もちろん、その頃はそんなことを分析していたわけではない。
ただ夢中だった。
新しい曲が出れば聴き、テレビに出演すれば録画し、冠番組を欠かさず見る。
気が付けば、欅坂46が生活の一部になっていた。
世間から注目はされるようになった。それだけ与えたインパクトは大きかった。
しかし、それは決して明るい話題ばかりではなかった。
ただ、それでも当時はグループが立ち行かなくなるなんて考えもしなかった。
ずっと、このまま続くものだと思っていた。
そう願っていた。
いや、違う。
それが当たり前だと思っていた。それが正しい。
後になって冷静に振り返って初めて「あれではグループが長く続かなかったかもしれない」と思えるようになったのは確かだ。
でもそれは、ただの結果論。
事実に合わせた思考であるだけのこと。
それでも、あの時代だからこそ生まれた熱量があった。
誰にも真似のできない空気があった。
そして、その熱量に巻き込まれた一人が、私だった。
第二章 欅坂46という存在
振り返ってみると、私が惹かれたのは楽曲だけではない。
あのグループ全体が持っていた「空気」だった。
デビュー当時の欅坂46は、それまでのアイドルとは明らかに違っていた。
もちろん、後になって「坂道シリーズらしさ」と言われる部分はあったのかもしれない。
しかし当時の私には、そんなことは関係なかった。
ただ、「こんなグループは見たことがない。」
それだけだった。
アイドルといえば、笑顔。
ファンを元気づけ、夢を与え、かわいらしさを前面に出す。
もちろん、それでいい。
少ないながらも、それまで私が見てきたアイドルもそうだった。
ところが欅坂46は違った。
笑わないアイドル。
誰かがつけた、代名詞。
違和感に対する、一つの答え。
冠番組を見れば、あんなに笑顔の素敵な子たちはなかなかいないのに。
そう呼ばれていることが私たちにとって、少なくとも嬉しいはずはなく。
それでも彼女たちは、欅坂を「演じた」。
楽しさよりも葛藤。
「頑張ろう」という励ましより、「あなたは本当にそれでいいのか」と問いかけてくるような楽曲。そして、それでも立ち上がれない人に、そっと隣で寄り添うような楽曲。
そんなグループだった。
今なら「反骨精神」と表現されることもある。
社会への抵抗。
大人への反発。
自分自身との葛藤。
そうした感情を真正面から楽曲に乗せるアイドルグループは、それまで私は見たことがなかった。
だから衝撃だった。
歌詞だけではない。
ダンスもそうだった。
決して「きれいに踊る」ことだけを目的としていない。
身体全体を使って感情をぶつけるようなパフォーマンス。
そこには技術以上に、「伝えたい」という意志があった。
もちろん、今だからこそ言えることもある。
あれほど全力で走り続ければ、いつか限界が来る。
メンバーが倒れ、怪我をし、それさえ話題になる。
自分の体を守ることより、誰かに届けたいものをしっかり届ける、そのことを重視した結果だった。
冷静に考えれば、長く続けられる形ではなかったのかもしれない。
しかし、あの頃はそんなことは思わなかった。
いや、思いたくなかった。
毎回全力でぶつかる姿を見て、「今回もすごかった」、いやそれすら感じられないほどの凄絶さ、そしてそこはかとない空虚さ。
その場の多くがそんな感情に苛まれて。
私は後になってようやく気づいた。
欅坂46がすごかったのは、「完成されたグループ」だったからではない。
むしろ、常に危うさを抱えながら、それでも前へ進もうとしていたからだ。
だから目が離せなかった。
だから応援したくなった。
だから、あれほど多くの人の心を動かしたのではないか。
今でも「欅坂46とは何だったのか」と聞かれることがある。
私の答えは、とてもシンプルだ。
誰にも真似のできない、たった一つのグループだった。
形は真似ることができても、そのパフォーマンスの奥底にある魂を真似ることは、容易いことではない。
だからこそ、今でも語り続ける人がいる。
そして、その一人が私なのである。
第三章 平手友梨奈という存在
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noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。
