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【創作大賞2026応募作品】引き寄せの法則を通じて神様の宿題を50歳で終わらせた件。〜心の「内側」を整えたら、人生の無理ゲーが終了した〜

第一章:39歳最後の夜の呪いと、3つのがん

50歳の年を迎えたある日、ふと思い出した記憶がある。

それは、ちょうど10年前の「39歳最後の夜」に、私がベッドの中で声を上げて大泣きしていた姿だった。

当時は、なぜあんなに涙が止まらないのか自分でも分からなかった。 ただただ、40歳という年齢になるのが嫌だったのだ。

「40代は間違いなくおっさんじゃん……」

そんな恐怖と拒絶のなかで、私は「40代なんて嫌だ!」と泣き叫んでいた。

誕生日の前日という日がいかに大切な日か、高度なエネルギーが動く日なのかも知らず、自分の放つ言葉(言霊)がどれほど未来の現実を作ってしまうのか、当時の私は知る由もなかった。

あの夜、私は自分で自分の40代の運を、すべて手放してしまったのだ。

「40代なんて嫌だ」という強烈な拒絶の願いは、数年後、恐ろしいほど忠実に叶うことになる。 40代半ばを迎えた頃から、私の身体はまるでガタガタと崩れるように、次々と悲鳴を上げ始めた。

それは、3つもの「がん」の恐怖に同時に襲われるという、壮絶な日々だった。

始まりは、町医者で「肺がん」を疑われたことだった。 生きた心地がしないまま半年が経過しても影は消えず、総合病院へ。結果は幸いにも「経過観察」で終わったが、ホッとしたのも束の間、今度は胃酸による激しい胃の炎症を起こし、「胃がん」を疑われる。 これも結果は陰性だったが、私の心はすでに限界だった。

さらに追い打ちをかけるように、会社の健康診断で今度は「大腸がん」の疑いがかかる。 検査で見つかったポリープを摘出したところ、それは「悪性のポリープ」だった。

医師からは「もう少し摘出が遅ければ、完全に癌細胞になっていた」と告げられた。

ギリギリのところで命は助かった。 けれど、次から次へと襲いかかる病魔の恐怖に、私の心は完全に折れ、鬱のように暗く沈み込む日々が続いた。

「どうして自分ばかりがこんな目に遭うんだろう」 「私の人生は、なんて無理ゲーなんだろう」

心の内側が真っ暗な闇に飲み込まれ、八方塞がりになっていた。

ーーだが、このどん底の苦しみこそが、神様が私に用意した「最大の宿題」だったのだ。 それに気づき、私の人生が180度ひっくり返ることになるのは、48歳で「引き寄せの法則」に出会ってからのことである。


第二章:50冊の書籍と、先立つもののない焦り

もともと若い頃から、スピリチュアルな世界にはどこか惹かれるものがあった。 しかし、本気で自分の人生と向き合わざるを得なくなったのは、48歳の10月のことだった。

度重なる病気の恐怖から逃れるように、私は夢中で調べ始めた。 まず手にしたのは、九星気学の本2冊。自分の星を確認して、愕然とした。

「なんと、来年は大凶……」

このままではいけない。私は藁をも掴む思いで、50歳の元旦、毎年初詣に行く神社へと向かい、丁寧にお祓いをしていただき、お札を大切に抱えて帰ってきた。

そんなある日、何気なく見ていたYouTubeの画面に、強烈な言葉が飛び込んできた。

『願えば、何でも叶う法則!』

ーーはぁぁぁぁ~っ! 何でも、だって!?

衝撃だった。40代であれほど苦しい思いをしたのだ。50代こそは絶対に幸せになってやる。心からそう思った。

けれど、現実は甘くない。 何をするにも、まずは「先立つ物(お金)」が無いのだ。欲しいものはたくさん溢れてくるのに、それに見合うだけのお金がついてこない。

「だったら、この引き寄せの法則とやらで、50代は意地でも幸せになってやる!」

私は意気込み、手当たり次第に「良い」とされる書籍を、Amazonや書店を巡って買い漁った。 気がつけば、1年弱で50冊を超える本を読み耽っていた。

九星気学、引き寄せの法則、風水、手相、縁起物、エンジェルナンバー……。 当時の私は、外側から来る情報にすがり、目で見て、触って、音を聴いて、見えるアイテムを増やしては、必死に自分の機嫌を取ろうとしていた。

今思えば、それは全部「外側の自分」のためだった。 部屋にはたくさんのスピリチュアルグッズが溢れた(もう、今の私には必要のないものばかりだけれど!)。

本を読めば読むほど、私は「外側の条件」ばかりを追いかけていた。

本当の引き寄せとは、外側を変えることではなく、自分の「内側」を整えること。 その神様からのギフトとも言える大いなる閃きが降りてきたのは、50歳の秋のことだった。


第三章:神様の宿題が、終わった日

秋とは名ばかりの、まだ掛け布団すら要らない暑い日の夜だった。 私は何気なくベッドに横たわっていた。

「自分が選んだ『今』を、そのまま生きられたら、どんなに楽しいことだろう」

ふと、そんな思いが頭をよぎった瞬間、いつものネガティブ思考が顔を出した。

「私は一体、いつまで頑張ればいいのだろうか……」

ダメだ、ダメだ。負の感情に引っ張られてはいけない。 私はその負を打ち消すように、毎日の日課であるアファメーション(肯定的な宣言)を心の中で唱え始めた。

その時だった。

一瞬、頭がクラッとした。 暑さのせいだろうか? いや、違った。

思い出したくもない、あの40代の「負の連鎖」の毎日の記憶が、濁流のように蘇ってきたのだ。

どんなに苦しかったか。 家でも、仕事場でも、どこにいても、何をしても、常に不安に押しつぶされそうになりながら、「早くこの負の連鎖を断ち切りたい」と願うだけだったあの日々。

すべて綺麗に切り捨てたつもりだったのに、なぜ、今頃になって蘇ってくるのか。

パニックになりそうだった。アファメーションに集中しようとしても、心がざわついて繋がらない。

「今日も一日、無事に終わりました。ありがとう。今日も私の運は良かった、ツイてる……」

ダメだ、集中できない。今はあんなに毎日が楽しいはずなのに、どうした? その時、脳裏のパズルが、カチリと音を立てて繋がった。

「あ……言葉だ」

私たちは、自由に言葉を発することができる。 どんな言葉を紡ぐのも、どんな思いを抱くのも、すべて私たちの自由だ。

その自由の果てに、あの「39歳最後の夜」の記憶が、時空を超えて私に手を差し伸べていた。

あっ!と声が出そうになった。

あの夜の私は、これから40代を生きる未来の私に対して、なんて酷い呪いの言葉を吐いてしまったのだろう。 40代を拒絶し、「おっさんになるなんて嫌だ」「40代なんて要らない」と大泣きした私の言霊が、そのまま40代の私から運を奪い、病気を引き寄せていたのだ。

50歳という節目を迎え、私はようやく、あのボロボロだった40代の自分を、本当の意味で受け入れる準備ができたのだと悟った。

40代の私に、どれほど多くの苦労を背負わせてしまっただろう。 そう思うと、暗闇を一人で歩かせてしまった申し訳なさと愛おしさで、目から涙が溢れて止まらなかった。

「またこれでは負の連鎖が始まってしまう」

一瞬、不安がよぎったが、今の私は50冊の本から「引き寄せの法則」を学んだ私だ。 私は湧き上がる負の感情から目を背けず、その涙を、その痛みを、自分の内側でぎゅっと優しく抱きしめた。 前を向いて、過去の自分と、ちゃんと真正面から向き合った。

「40代の私。今までたった一人で、毎日毎日頑張ってくれて、不安を一人で抱え込んでくれて、本当にありがとう」

「もう、怖がらなくていいよ。もう、大丈夫だよ」

「君が諦めずにいてくれたから、神様の宿題は、もう終わったんだよ。本当に、ありがとう」

心の「内側」が、温かい光で満たされていくのが分かった。 その瞬間、私の中の無理ゲーは、完全に終了したのだった。


第四章:500円のラッキーと、神様への「なんちゃって」

今、私は猛烈に感謝している。 直接会えるなら言いたい。引き寄せの法則というものを作ってくれた先人たちに、心からのありがとうを。

それがあったからこそ、私は変われた。 たくさんの学び、喜び、優しさ、そして美しい涙をもらい、幸せを怯えることなく感じられるようになった。

外側でいくら機嫌を取っても、それは一時の雑音を消すだけだ。 大切なのは、自分の内側を見て、今の機嫌を確認すること。

「少し嫌なムードだな」と思ったら、ほんの1ミリでいいから、良いことを考える。

「今日は気持ちの良い日だな」 「このあとお昼ご飯だ」 「家にシュークリームがある!」 「夜はあのゲームで遊ぶんだ」

そうやって内側を少し良い気分で満たしてあげると、外側から何が来ても怖くなくなる。いや、むしろ何も来なくなるのだ。世界が良い場所にしか見えなくなる。

財布に500円しかない。 「500円もあったから、こんなに財布が重かったのか! ラッキー!」

お腹が痛くて苦しい。 「私の身体さん、痛いよ、苦しいよって教えてくれてありがとう。早く薬を飲むね」

知り合いと喧嘩した。 「私のことを考えて、心配してくれたからこそ怒鳴ってくれたんだね。ちゃんと謝ろう」

欲しいものが買えなかった。 「今は買うタイミングじゃないんだ。私の勘がそう教えてくれている。ありがとう」

どんな結末が来ても、それを受け入れ、認め、ありがとうと言える。

引き寄せのワークを始めたばかりの頃は、心が付いていかない「形だけのありがとう」だった。 けれど今では、朝起きた瞬間から、目に見えるものすべてに自然と感謝が溢れ出す。

朝起きて目を開けて動けることに、ありがとう。 部屋の観葉植物に、今日も元気でいてくれてありがとう。 日課のトイレ掃除を終えて、今日も綺麗になったありがとう。 会社へ向かう車に、今日も元気に走ってね、ありがとう。 強引に割り込んでくる車に、気を付けて運転してね、無理しないでね、と願う。

そして仕事が終わり、帰りの道中で綺麗な夕日を見るとき。

「今日も一日、無事に勤まりました。そして今日も一日、最高に幸せでした。ありがとう」

そう呟きながら、車の運転席で一人、ボロボロと涙を流している。 50歳のおやじのくせして、面白いほど欲が消え、何を見ても何を実行しても、楽しくて楽しくて仕方がないのだ。 今なら宝くじを買っても、一瞬で執着を手放して高額当選させてしまう自信がある。

本当に無理ゲーをクリアしたのだろうか?

現実は、決して何も増えていない。お金が大金持ちになったわけでもない。 だけど、もう十分すぎるほど幸せなのだ。

欲を言えば、まだクリアしたくなかったな、とさえ思う。 もっとたくさんの本に出会って、もっと苦戦して、少しずつ自分が変わっていく様を、もっと神様に見ていて欲しかった。

それに、なんだか次は「裏ルートの裏ステージ」が始まりそうな予感もしていて、少し怖い。 ……まっ、それでも全然怖くないけれど! 自分という、こんなに素晴らしい器と魂を持った私なのだから、次は何が来てもへっちゃらだ。

今、人生が苦しくて、絶望の無理ゲーの中にいるあなたへ。

現実を無理に変えようとしないでほしい。 無理に良くなれと願っても、心が付いていかなければ無理なのだ。 それをごり押ししようとすると、かつての私のようにお札を買い漁り、身体が悲鳴を上げて病気になってしまう。

そんな時は、「神様が、もう少しこの無理ゲーを楽しめって言っているんだな」と思ってみてほしい。 だったら、とことん楽しんでしまおう。

人に相談できない苦しみ、私にもよく分かる。 だけど、時には少しばかりのギフトが、あなたの元にも届いていたはずだ。 私たちをこの世に送り出したからには、神様にだって責任がある。 ちゃんとクリアした最後には、素敵なギフトを準備して待ってくれている。それが早いか遅いか、ただそれだけだ。

私たちは、神様のちょっとした好奇心から、この現世に降り立った魂なのかもしれない。 だとしたら、とことん神様に見せてやろうではないか。この人間世界というものを!

たくさん苦しんで、たくさん怖がって、たくさん泣いて、たくさん怒って、たくさんいじけて。 そして、それ以上に、たくさん楽しんで、最高に幸せになってやるのだ。

この世で「人」として生きる権利を貰えたのだから、この一瞬を全力で楽しみたい。 たまには、空を仰いで神様にたくさんの愚痴を言ってやろう。

「こんなに生きにくい時代に送り込みやがって! あんたは一体、どれだけ変態んだよ!」って、思いっきり怒鳴ってやるのだ。

そして、その直後に、最高の笑顔でこう付け加える。

「……なんちゃって! 神様、ありがとう! 私は今、めちゃくちゃ幸せです!」


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