ビル・セットフォードのライフ・ストーリー㉞(最終回)
ヘレン・シャックマンさんと共に奇跡講座の生みの親であるビル・セットフォード博士の数奇な人生について、本人が語った記事を翻訳しています。
元の記事はこちら→ William Newton Thetford, Ph.D. - Life Story • Foundation for Inner Peace: Publisher of A Course in Miracles (ACIM)
ビルは1982年にインタビューを受け、その中からこのライフストーリーが生まれました。1982年から1988年に亡くなるまで、彼を知る私たちは、彼の驚くべき変化を目の当たりにしました。
~最晩年のビル~
ビルはライフストーリーを書き終えてから、さらに最晩年の6年間、コースの勉強と実践を続けました。彼の喜びと平安の状態への究極の進歩は目に見えて明らかでした。
1981年、ビルは体調を崩していました。頸動脈を修復する手術が必要で、回復には助けが必要となりました。親友のパトリシア・ホプキンスは、快くその役割を引き受け、1982年から1986年まで、彼女とビルは一緒に暮らしました。パトリシアはビルのことを、親切で優しく、内向的で、誠実でユーモアのセンスがある人物だったと評しています。パトリシアは、ビルと一緒に過ごした数年間、毎日1時間、友人たち(フランシス・ヴォーン、ロジャー・ウォルシュ、ジェリー・ジャンポルスキー)とテキストを読み、ワークブックのレッスンをしていたと語っています。ビルはまた、毎週開催されるコースのミーティングにも参加しました。毎晩、彼は自分の形而上学的な蔵書の中から、何かを熟読していたそうです。「この一日の終わりの読書は、ほとんど儀式のようなものでした。たとえ夕方から外出していて、帰宅が遅くなっても、決して怠ることのないものでした。」
1986年までに、ビルはカリフォルニア州ラホヤに住む友人たちととても親しい関係を築いていました。彼は、あまり堅苦しくない生活に憧れていたため、そこに一人で移住する決断をしたのです。以下の情報は、キャロル・ハウ著『Never Forget to Laugh』から引用したものです。
“ラホヤでビルは、楽しいことが大好きなジャックとオイラリアのラケット夫妻が運営していた、毎日開催されるコースのスタディ・グループに参加しました。内なるワークが進むにつれて、より遊び心のある明るいビルが現れてきたのです。学者として、知識人として、そしてコースの共同筆記者として担ってきた防御が薄れ始めたのです。彼はそれらの役割を捨て、より自由になったのでした。彼のホモセクシュアリティでさえ、よりオープンなものになりました。キャロルの本には、こう書かれています。「ビルは、静かだが強烈な磁力を持ち、男性だけでなく女性にも強い印象を与え、惹きつけていた。彼の過去の恋人たちも、気の置けない友人たちも、最後まで忠実で尊敬に値する人ばかりだった」”
彼はいつも、驚くほど発達したユーモアのセンスを持っていました。しかしまた同時に、パトリシア・ホプキンスは、このユーモアの下に、まるで生き続けることの価値を天秤にかけているような痛ましさがあると感じていました。けれども晩年に、彼は花が開くように明るく、軽くなったのです。ジャック・ラケット氏は、ビルの65歳の誕生日パーティーを「ビルの経験的段階の頂点だった」と評しています。「その日ビルは、70人近い人たちから感謝の気持ちを伝えられ、順番に一人一人を1分以上抱きしめていきました。」このような人前での抱擁は、かつての彼なら逃げ出したくなるようなことだったのです。
多くの目撃者の証言によると、ビルのこの世界での生活の終わりには、地上生活により積極的に関わるようになっていたそうです。彼は柔軟で、楽しくて、自由でした。彼のユーモアの多くは今や、恐怖には実体が無いということ、自分自身を真剣にとらえすぎることの愚かさを認識することに由来するものとなっていました。
ビルは、もはや誰からも何からも逃げる必要はなく、動揺を訴えることなく、悪夢として脇に置いておくことができることを認識しました。彼は自分を幽閉しないことを選択しました。彼は、不満や恐れ、古い習慣パターンを取り消すことを自分に許し、今や、自分の存在についての真実を体験するようになったのです。彼は、「もっと良いやり方」というゴールを採用することで、「愛」そのものの中心へとまっすぐにつながる道を歩んでいることを自覚したのです。ヘレンが世の中のために書き残したものが、彼の家路となったのです。
エピローグ
ジュディス・スカッチ・ウィットソン著
1988年7月4日、ビルはカリフォルニア州ベルヴェデーレにいる私の夫、ウィットと私を訪ねてきました。私たちはビルを迎えたお祝いに7月4日の独立記念日パーティーを開くつもりでした。彼の友人たち36人ほどが来る予定でした。
ビルは前日の午後、サンディエゴから到着しました。ジェラルド・ジャンポルスキー博士が空港に迎えに行ってくれました。家に着いたとき、私はジェリーが驚いた顔をしているのに気づきました。彼は驚いた様子でビルを見つめていたんです。私もびっくりしました。親しみやすいけれども、控えめで、どこか堅苦しい感じだった普段のビルの様子とは違っていたんです。ジェリーが帰った後、私はその謎を解き明かさなければと思いました。
「ビル、いったい何があったの?」私は、部屋の中をくるくると踊り回っている彼に尋ねました。彼は自分の内なる音楽に合わせて体を揺らしながら、喜びで両腕を振りかざしてこう叫びました。「私は自由だ、完全に自由だ!」
ウィットと私は、彼に何が起こっているのか話してくれるようお願いしました。彼は、もう罪悪感も不満も非難もなく、すべての人間関係と自分自身を許したのだと、顔を輝かせながら私たちに教えてくれたのです。
これは大変なことが起こっている、と思いました。
「これはいつから続いているの?」と尋ねると、「そうだね、2、3週間くらいかな」と彼は答えました。この重大な態度の変化の原因を探ることが重要でした。
「どうやってそれを達成したの?」と私たちは質問しました。
ビルは、「奇跡のコース」を何年も実践しているうちに、もうこれ以上遅らせるわけにはいかないと決心したのだ、と説明してくれたのです。そして、怒りや反感を抱いている人たちに電話をかけ、自分の誤った感情を伝え、許しを請うたというのです。
「簡単だったよ」と彼は言いました。みんな彼からの連絡を喜び、「許すべきことは何もない」と言ってくれたそうです。
ビルのことをよく知っている私と夫は、彼が電話で話した人たちの名前を一人ずつ挙げていき、その一人一人に対する彼の「訂正された知覚」について説明してもらいました。そして、ついに「グランドフィナーレ」を迎えました。
「ヘレンに関してはどう?」と私は尋ねたのです。「彼女との関係性は完了したと感じられる?」
ビルは目を潤ませ、急に真剣な様子になりました。そして、数日前の夜に見たという、時間を越えたところでヘレンと共にいたというビジョンについて語ってくれたのです。そのビジョンの中で彼女は両手を広げ、ブロンドの髪が美しい輝きを放っていました。二人の手が触れ、彼は 「癒されました、癒されました、癒されました」という言葉を心の中に感じたのです。彼は言いました。「私は彼女をとても愛していた。そして無限の感謝だけがあった。」
引き続き、その夜も驚くべき素晴らしい時間を過ごしました。ビルはウィットに、自分がついに 「Flexible(柔軟)」になったと語りました。ビルはダジャレの達人だったので、Flexi-Bill、つまり「柔軟なビル」とかけたのかもしれません。心理学的手法への深い関心を共有していたウィットに、自身の人格に劇的な変化があったのだということを、ヘレンと共に長年取り組んできた性格診断システムの用語を用いてそう伝えたのです。そして私たちはその変化を目の当たりにしたのでした。
翌朝の朝食時、私はビルがまだ喜びで輝いているのを見て取りました。私は彼に尋ねました。「あなたはまだ自由を感じているの?」 「もちろん 」と彼は答えました。「今日は7月4日じゃないか(アメリカ合衆国独立記念日) 」と。その後、私は彼を誘って、その日に開くパーティに必要なものを買いに市場まで一緒に行くことにしました。彼は、私だけ先に車で行って、自分は朝の散歩がてら歩いていくので、店で落ち合うことにしようと言ったんです。彼が遅れてくるかもしれないと思って、私は少し顔をしかめたのでしょう。 そんな私を見て、ビルは「心配しなくてもいいよ。もし僕が来なかったら、僕を置いて家に帰ればいい」。突然、私は寒気を感じて凍り付きました。私は衝動的に彼の腰に腕を回し、彼の胸に頬を寄せてこう言ったのを覚えています。「ビル、私はあなたと一緒でないと、絶対に帰らないわ!」
ビルは散歩に出かけました。私は車の鍵を取って、夫にすぐに戻るからと告げ、車に乗り込むと、救急車が隣の家の前に停車しようとしているのが見えたのです。ビルが仰向けに倒れていて、隣に住んでいる外科医がそのそばにいるのが見えました。ショックで呆然としながら近づくと、ビルは崩れるように倒れ、即死だったと聞かされたのです。
私は茫然としたまま彼を病院に運び、最終的な診断をしてもらう段取りをしました。ウィットが駆け付け、私たちはビルが安置された光の差し込む部屋で一緒に座りました。私たちは、彼の親しい友人たちを呼び、祈りのために来てもらいました。ジェリー&ダイアン・シリンシオーネ・ジャンポルスキー博士、フランセス・ヴォーン博士、ロジャー・ウォルシュ博士、そして私たちはビルの遺体に寄り添い、「コース」からいくつかの文章を選んで読み上げました。それから静かに座り、彼の愛と友情、そして偉大な奉仕に感謝を捧げました。
午後のパーティをキャンセルするにはあまりに遅すぎたので、私たちはまだ信じられない思いを胸に家に戻り、準備をしました。到着したゲストに事情を話し、即席の追悼として、ビルへの尊敬の気持ちを皆で語ることにしました。みんな、私たちが目撃したビルの劇的な変化について思い巡らせていました。夕食会は、その日に起こったことを友人一同で振り返り、静かな雰囲気に包まれていました。私たちは、サンフランシスコを見下ろす湾に面した素敵なバルコニーに集まりました。突然、夜空に独立記念日を祝う花火が上がりました。「ビルは栄光のうちに旅立つのだ」と、私たちは皆、確信したんです!
ビルは実際に「幸せな夢」を体験したのでしょうか。彼はここでの「機能」を果たし、ヘレンとの関係は癒されたのでしょうか。彼はコースの実践を成功裏に終え、「別の道 」への探求に答えを見出したのでしょうか?
ウィットと私は、そうだ、彼は確かにやり遂げたのだ、という結論に達しました。ビルは、自分自身と世界を許し、愛の光に満たされ、至福と平安をはっきりと証したのです。
"あなたは、まず最初に平安の夢を見るだろう。そしてその後、それに目覚めるだろう。あなたが作り出したものからあなたが望むものへの最初の交換は、悪夢を愛の幸せな夢へと交換することである。聖霊は、すべての知覚が存在する場所である夢の世界を訂正するからである””(T-13.VII.9:1-3)
"父があなたに求める贈り物は、あなたへの父の贈り物の輝く栄光を、すべての被造物の中に見ることだけである。神からの完全な贈り物である神の子を見なさい。神はその中で永遠に輝き、すべての被造物は神の子のものとして与えられている。神が持っているからこそ、あなたに与えられるのであり、神の子の中にそれがあるところに、あなたの平安を見なさい。あなたを取り囲む静寂は神の子の中に宿り、この静寂から、あなた方の手が無垢性の中でにばれる幸福な夢が生まれるのです。" (T-29.V.5:1〜4)
親愛なるビル、この奇跡を私たちみんなに共有してくれてありがとう。あなたとヘレンが完璧なワンネスを知ることができますように。
ビルの人生についてもっと知りたい方は、彼の友人であるキャロル・ハウが書いた伝記「Never Forget to Laugh」を読むとよいでしょう。
Copyright © 1983, 2009, 2018, 2019 Foundation for Inner Peace
※※今回でビル・セットフォードのライフ・ストーリーは完了です!
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