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チョコより苦い話を、静かに味わう夜

1.今年もまた、この夜が来た
カレンダーを見て気づく。ああ、今日はバレンタインらしい。
らしい、という言い方になるのは、もう長いことこの行事が自分の生活に直接関係していないからだ。
会社で配られる義理チョコも、気づけばずいぶん前に消えた。
家に帰っても、特別な予定があるわけでもない。
だから今夜も、いつも通りだ。
風呂に入って、部屋を少し暗くして、グラスをひとつ用意する。
甘いものより、今日は少し苦いものがいい。チョコレートではなく、話のほうが。
夜が静かだと、人はどうしても考えごとをする。
昼間は忙しさに紛れて気づかないことが、ぽつぽつと浮かび上がってくる。
うまくいかなかった仕事。言いそびれた一言。もう会わなくなった人の顔。
こういう夜に、無理に明るい酒を選ぶ必要はない。
軽快な音楽も、今日は要らない。
少し重たくて、苦味があって、余韻が長く残るもの。
口に含んで、すぐに答えが出ないような酒がちょうどいい。
グラスを傾けると、舌の上にじわりと広がる苦さ。
でも、不思議と嫌じゃない。むしろ、その苦味があるからこそ、落ち着く。
若い頃は、苦い話を避けてきた気がする。失敗も、後悔も、なるべく笑い話に変えようとしていた。
でも、年を重ねると分かってくる。苦い話は、消えない。消そうとするほど、どこかで形を変えて残る。
それなら、いっそ真正面から味わったほうがいい。酒と一緒に、静かに。
この年になると、「うまくいった話」よりも「うまくいかなかった話」のほうが、腹に落ちる。
誰かに話すほどでもないけれど、なかったことにもできない。
そんな話を、今夜はひとつ、グラスの中に落とす。


2.読書は、他人の苦味を借りる行為
こんな夜に読む本は、派手である必要はない。感動的でなくてもいい。希望に満ちていなくても、問題ない。
むしろ、少し不器用で、少し報われなくて、読み終わったあとに「まあ、そういう人生もあるよな」と思えるものがいい。
読書というのは、他人の人生を安全な距離で味わう行為だ。
自分の苦味だけでは、胸がいっぱいになる夜もある。
そんなとき、誰かの苦い話を少し借りる。
すると、不思議なことに、自分の苦さが薄まる。消えるわけじゃない。
ただ、「自分だけじゃない」と思える。
それだけで、今夜は十分だ。
バレンタインという行事が悪いわけじゃない。甘いものを贈る文化も、素敵だと思う。
ただ、この年になると、甘さが前面に出すぎる夜が、少ししんどい。
若い頃の甘さは、勢いで飲み込めた。でも今は、甘すぎると胸焼けする。
苦味があって、渋みがあって、飲み込んだあとに少し考えさせられるほうが、体に合う。
それは酒も、本も、たぶん人生も同じだ。


3.静かな部屋で、ページをめくる音だけが残る
時計を見ると、もうこんな時間か、と思う。
でも、急ぐ理由はない。テレビは消したまま。スマホも裏返して置く。
ページをめくる音と、グラスを置く音。それだけが、この部屋のBGMだ。
誰かと過ごす夜もいい。でも、こうして一人で、自分のペースで夜を終えていく時間も、悪くない。
むしろ、この年になってからは、こういう夜があるから、翌日もちゃんと生きられる。
グラスの底が見えてくる頃、本のページも、いいところまで進んでいる。
何かが解決したわけじゃない。答えが出たわけでもない。
それでも、心は少し静かだ。苦味をちゃんと味わったからだろう。
甘い夜は、すぐに終わる。でも、苦い夜は、あとから効いてくる。
明日の朝、コーヒーを飲みながら、ふと今夜の一節を思い出すかもしれない。
それでいい。

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