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ローカル線の終着駅で飲む酒

1.終着駅には「急ぐ理由」がない
ローカル線の終着駅に降り立つと、不思議と歩く速度がゆっくりになる。
改札は一つだけ。
駅前には古びた商店が数軒並び、タクシーが二台ほど客を待っている。観光地というほどではない。かといって何もないわけでもない。
「ここで一日を終えてもいい」
そんな気持ちになる町だ。
私は終着駅が好きだ。
線路がそこで途切れているというだけで、人の気持ちまで一区切りつくような気がするからだ。
都会では電車は次から次へとやって来る。
乗り遅れても数分待てばいい。
しかしローカル線は違う。
一本逃せば一時間。
時には二時間待ちになる。
だから人は慌てない。
駅に降りた瞬間から、時間の流れまで町の速度に合わせてくれる。
そんな場所で飲む酒は、少しだけ人生を優しくしてくれる。


2.暖簾の向こうにある土地の時間
駅前を五分も歩けば、小さな居酒屋が見つかった。
赤い暖簾は少し日に焼け、入口には「営業中」と手書きの札。
こういう店は外れが少ない。
戸を開けると、カウンターには地元らしい常連さんが二人。
「いらっしゃい。」
女将さんの柔らかい声が迎えてくれた。
瓶ビールを一本。
それから、その土地でしか飲めない日本酒を一合。
つまみは冷奴と焼き魚。
旅先では無理に名物を探さない。
その町の人が普段食べているものが、一番その土地を教えてくれる。
カウンター越しに女将さんが言う。
「終着駅まで来る人は、最近少なくなりましたね。」
その一言に、この町の時間が詰まっている気がした。
便利になればなるほど、人は途中駅で降りなくなる。
速い列車ができれば、終着駅はますます遠くなる。
便利さは、ときどき町を静かにしてしまう。
私は酒を一口飲みながら、そんなことをぼんやり考えていた。
年齢を重ねると、「終わり」を意識する場面が増える。
定年。
子どもの独立。
親との別れ。
役職を離れる日。
人生には、小さな終着駅がいくつもある。
若い頃は終わることが怖かった。
終着駅とは敗北のようにも思えた。
けれど今は違う。
終着駅まで来たからこそ見える景色がある。
そこまで走り続けた人だけが知る静けさがある。
役所勤めをしていた頃、私は「計画」を作る仕事をしていた。
十年後、二十年後の町を描き、未来を数字で考えていた。
もちろん、それは大切な仕事だった。
しかし退職して一人の市民になってから気づいた。
人生は計画通りには進まない。
だからこそ面白いのだと。
ローカル線もそうだ。
遅れる日もある。
雪で止まる日もある。
それでも最後には終着駅へたどり着く。
焦らなくてもいい。
寄り道があってもいい。
人生は快速列車だけではない。
各駅停車にも、それぞれの景色がある。


3.酒は旅を締めくくる儀式
店を出る頃には、外は茜色に染まっていた。
駅舎のホームには、一両編成の列車が静かに停まっている。
乗客は数えるほど。
車掌さんがホームを歩き、運転士さんが発車の準備をしている。
夕暮れのホームには、都会にはない静けさが流れていた。
缶ビールを買って帰りの列車で飲もうかとも思った。
でも、やめた。
今日の酒は、あの居酒屋で終わりにしたかった。
旅には「締め」がある。
酒もまた、終わり方が大事なのだ。
余韻を残して終える一杯ほど、記憶に残る酒はない。
ホームのベンチに腰掛け、ゆっくりと空を見上げる。
雲がゆっくり流れていく。
風がホームを抜ける。
遠くで踏切の音が鳴る。
何もしない時間が、こんなにも贅沢だったとは。
終着駅は、列車が終わる場所ではない。
忙しかった心が、ようやく休みに着く場所なのかもしれない。
帰りの列車では本を開かなかった。
ページをめくるよりも、今日一日の景色を思い返していたかったからだ。
家に帰ってから、グラスに少しだけ酒を注ぎ、旅の続きを読むような気持ちで本を開こう。

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