八月六日、静かな酒を飲みながら思ったこと
1.午後六時、缶ビールを開ける音
八月六日になると、毎年少しだけ酒の味が変わる気がする。
もちろん、ビールの銘柄は昨日と同じだし、冷蔵庫から取り出した温度も変わらない。それなのに、この日だけは缶を開ける「プシュッ」という音が、妙に静かに聞こえる。
窓の外では蝉が最後の力を振り絞るように鳴いている。
テレビでは夕方のニュースが流れ、広島で行われた平和記念式典の映像が映し出されていた。毎年見る光景なのに、今年も自然と箸を止めてしまう。
私はテレビの音量を少し下げた。
静かなままで見ていたかった。
そんな日が、一年に一日くらいあってもいい。
若い頃は、酒は騒ぐためのものだった。
仕事帰りに仲間と飲み、笑い、大声で語り合い、終電を気にしながら店を出る。
あれはあれで、楽しかった。
でも年齢を重ねると、酒との付き合い方も少しずつ変わってきた。
今は、一人で飲む時間が好きだ。
誰かと競うわけでもなく、酔うことが目的でもない。
一日が無事に終わったことを確かめるように、一杯だけ飲む。
今日も仕事が終わった。
今日も家族は元気だった。
今日も夕飯がおいしかった。
そんな当たり前を確かめるために飲む酒は、不思議と心を落ち着かせてくれる。
八月六日は、その「当たり前」が決して当たり前ではないことを思い出させてくれる日でもある。

2.想像することしかできない
私は戦争を知らない世代だ。
両親から聞いた話、学校で学んだ歴史、本や映像。
知っていることは、その程度でしかない。
だから「分かったつもり」にはなれない。
あの日を生きた人の苦しみも、失った人の悲しみも、本当の意味では理解できない。
理解できないからこそ、想像し続けることが大切なのだと思う。
もし今日、この部屋が突然なくなったら。
この缶ビールも、本棚も、夕飯の匂いも。
そんな想像をほんの少しするだけで、胸の奥がざわつく。
人は想像することで、人に優しくなれる。
歴史を学ぶ意味も、そこにあるのかもしれない。
ビールは二本目には進まなかった。
今日は一缶で十分だった。
グラスには少しだけ氷が残り、ゆっくりと溶けていく。
その音さえ聞こえそうなくらい、部屋は静かだった。
本棚から文庫本を一冊取り出す。
ページをめくる音は、小さい。
それでも、この静けさの中では存在感がある。
読書という時間は不思議だ。
作者と言葉を交わしているようでいて、自分自身と向き合っている時間でもある。
今日は特に、文字がゆっくり胸に入ってくる。
急いで読む必要はない。
結末を急ぐ必要もない。
静かな夜には、静かな速度が似合う。

3.明日も普通の日でありますように
外では近所の子どもたちが花火をしているらしい。
「きれい!」
そんな声が風に乗って聞こえてきた。
その一言だけで、少し笑顔になる。
子どもたちが安心して花火を見上げられる夜。
仕事帰りに冷えたビールを買える夜。
好きな本を選び、好きな椅子に座って読める夜。
どれも特別な出来事ではない。
けれど世界には、それがかなわない場所が今もある。
だから私は、今日だけは酒を飲みながら願ってみる。
来年の八月六日も、この静けさがありますように。
誰かの食卓にも、笑顔がありますように。
本を読む時間がありますように。
酒を「今日もお疲れさま」と飲める夜がありますように。
そんなささやかな願いを胸に、グラスの最後の一口を飲み干した。
冷たさが喉を通り過ぎる。
その感覚を味わえること自体が、きっと平和なのだ。
時計を見ると、夜はまだ始まったばかりだった。
私はもう一度、本を開いた。
静かなページをめくる音だけが、部屋にゆっくりと響いていた。

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