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映画『爆弾』と倫理観 スズキタゴサクから社会は守れるのか


 映画『爆弾』は危険だ。
 原作小説のスズキタゴサクの奇妙な魅力に加え、俳優佐藤二朗さんの匂い立つほど凄まじい演技力がスクリーンを飛び越して我々の日常に侵食してくる。

 この感覚はホワキン・フェニックス主演の『JOKER』の時に近い。
 だが『JOKER』と『爆弾』は当然時代も国も違う。
 日本はありがたいことに拳銃が入手しづらい。その代わり爆弾は誰でも作れることが作中でも示される。

 さらに問題だと思われるのは『JOKER』は『バットマン』がのちに登場するであろう希望が待っているが、『爆弾』の場合ヒーローと思われる存在が設定されていない点だ。


 本稿の試みは映画と原作小説『爆弾』からこの社会の不確実さについて浮き彫りにすることです。スズキタゴサクの動機や倫理観を探りながら、我々が社会を棄てずに人を傷つけずに生きられるのはなぜかを明確にしていきます。

 以下の文章は原作小説と映画『爆弾』の内容に触れます。
 ご了承ください。




◯動機不鮮明の怖さ


 例えば『JOKER』は解決策が分かりやすい。
 社会から貧困が無くなれば。経済格差が無くなればアーサー(ホワキン・フェニックス)はきっと拳銃をぶっ放さなかった。もちろん彼の持病が女性恐怖症・女性嫌悪を引き起こしフェミサイドに転じる可能性はあるが、女性敵視も社会デザインの見直しで軽減が可能だ。

 ではスズキタゴサクはどうか。
 彼がなぜ爆弾事件を起こしたのか最後までわからない。
 類家(山田裕貴さん)がスズキタゴサクの心理を読み犯行動機を推理しますが、おそらくそれは正解ではない。原作小説を読むとその推理が違うことが分かりやすく記されています。

 なぜスズキタゴサクが爆弾事件を起こしたか。
 それは「自分の方がもっと上手に出来るから」です。
 さらに言うと「悪意を自分に向けたいから」です。

 知能の高い男が、仕掛けられた爆弾を会話の種にしながら、自身に悪意を向けさせている。
 クイズを出しながら警察を挑発し、解けなかった場合は死者が出る。


◯「仲間を殺すな」と言うルール


 スズキタゴサクは誰が死んでも「爆発したって別に良くないですかぁ?」と無邪気に言う。


 なぜ人を殺してはいけないのか。
 なぜ僕たちは「人を殺してはいけない」と思い込みながら社会を営めるのか。

 スズキタゴサクが作中で言うように僕たちの社会では「仲間を殺すな」と言うルールが守られてきた。
(もう一つは「仲間のために敵を殺せ」だ。戦争などがそれ)
 さらに指摘されているように、「仲間を殺すな」と言っても仲間と仲間以外の境界線が無くなってきている現代の問題がある。

 昔は「日本人」と言うだけで仲間だと信じられた。
 でも今は誰も彼もと仲間認定しづらくなっている。
 金のために老人を殺すような奴もいるし、知的障害者を大勢殺傷した事件も忘れられない記憶として日本に刻まれている。

『爆弾』はその「仲間」を揺るがす。僕たちが地面だと思っていたものが液状化してずぶずぶと沈んでいく。もがけばもがくほどその「社会だと思っていた地面」に沈んでいき、自分の命が大事でそれ以外は大事じゃないだろ?と地面の上からスズキタゴサクがニタァとささやく。


 社会学的に考えてみよう。

 昔は世間が狭かった。そして狭い世間の中で子供の頃から大人になるまで過ごした。だからその世間の中が「仲間」だった。
 言い換えると「世間を守ることと社会を守ること」がイメージしやすかった。
 でも現代は世間が広くなった。都会は特に。もう二度と会わないような人と毎日すれ違う。仲間だと思うための時間や関係性の蓄積が無い。
 だから仲間が誰だかイメージしにくい。


 でも僕たちは「仲間じゃないから殺す」とはならない。
 なぜか。
 それはこの社会を生きるためだ。
 これは作中では類家の考えに当たる。

『爆弾』より引用
類家がスズキタゴサクに返すセリフ


 この作品を観て「類家」に感情移入するだろう。「類家」はギリギリ社会の良心として機能する。
 社会を壊すより社会を守ることの方が難しい。そして社会を壊すのはめんどくさい。類家はそのようにスズキタゴサクに告げるが、彼の言葉は心なしか力が無い。
 なぜなら類家はスズキタゴサク側の人間だからだ。
 そこにこの作品の危険さが立ち現れている。
 類家を観ている僕たちにも、類家だったらより巧妙に、より国民の視線を惹き付けながら、最大限の被害を出すことが可能だろうことが伝わってくる。
 でも類家はそれをしない。ほとんどの人はポークステーキ丼で明日も生きようと思えるからだ。


 仲間がわかりにくい社会で誰も傷つけずに生きるために。
 ささやかな幸せを提供してくれる社会を生きるためには人を傷つけてはいけない。そして、類家のような仲間と思える人物がどこかにいるかも知れないこの社会を壊してはいけない。
 とても頼りなくて細い理由ではあるが、ほとんどの人はこれだけで生きていける。

 問題は社会を棄てようとしている存在だ。


◯社会がもろいことが露呈した


 ここまでを軽くまとめたい。

・スズキタゴサクの犯行動機は不鮮明で多くの人には共感できない
・仲間を殺すなというルールの「仲間」は不鮮明になった
・かろうじて類家的な生き方で社会が保たれている


 爆破テロがなぜ怖いのか。『爆弾』を観ることで僕たちに刻み込まれたことでしょう。
 爆破テロは安価で最大限の被害を出すことが可能です。
 スズキタゴサクがクイズを出したおかげで被害を食い止めた爆弾もありましたが、もし彼が捕まらずに傍観していたら。都内各地の爆弾が全て爆発し、被害者がかなり多かったはずです。

 スズキタゴサクは自身に悪意を集中させるのが目的だった。
 では、ただ爆発させるのが目的の人物が爆破テロを起こしたら。
 この社会はあっさり壊れます。
 電車に乗ることはもちろん、コンビニに入ることも、公園で休むことも、何もかもが怖くなります。

 社会への恨みとか、経済格差とか、悪徳企業への復讐とか、そう言ったわかりやすい理由があればそれを解消すればいい。
 だけど爆破テロ自体が目的となった場合どうしようもない。

 裏を返せば、僕たちはそんな「いつでも壊れてしまうような社会」を奇跡的にうまく回しながら生きています。

「隣の人も社会を壊そうとは思っていないだろう」と言う共同幻想を抱きながら生活しています。

 だから『爆弾』は危険なのです。
 その共同幻想が打ち砕かれるほど面白い。
 そして『爆弾』に感化され実際に社会という共同幻想が壊された人物が爆破テロに踏み出すんじゃないかと不安になります。


◯まとめ じゃあどうすれば良いのか


 この社会を爆破テロ犯にならずに生きるにはどうすればいいか。
 そして爆破テロ犯を生み出さないためにはどうすればいいか。
 それはスズキタゴサク自身が言っています。
 つまり「仲間」と思えれば良い。
 さらに「仲間」だと思ってもらえるように振る舞えば良い。

 言うは易く行うは難し。

 SNSで日々炎上を楽しんだり参加したりするような人たちを「仲間」だと思えるだろうか。そんな人たちは僕たちのことを「仲間」だと認識するだろうか。


 僕たちは薄氷のごとき社会を奇跡的に運用している。
 いつ爆破されるかも知れないその愛すべき社会は、「みんな社会を壊したくないだろう」という共同幻想によって成立している。
 その共同幻想はいともたやすく壊されかねない。
 それが『爆弾』にはとてもわかりやすく、僕たちにとても効果的に、最短距離で刺さるように構成されている。

 この社会を守る術はとてもわかりやすい。でもそれを達成するのはとても難しそうだ。

 できることは「対話」だと僕は思う。
 一人でも多く「対話」をする。
 あなたの対話が社会を棄てようとしている人物を引き留められるかも知れない。

 でももしスズキタゴサクと出くわしてしまったら。
 やはり対話を重ねて是が非でもクイズに正解し続けていただきたい。



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