私たちは教えすぎている
私たちは、
教え合いながら成長していっています。
教えるといえば、
一番に思いつくのは学校ですね。
他にも、
会社やご家庭などで
教える場面があるかと思います。
教えることの意味とは何なのでしょうか。
①教えることは大切

物事を始めるとき、私たちは何も知らない状態です。
学校では勉強、会社では仕事、ご家庭でもあらゆることを教えられて成長してきたはずです。
教えられることで、できることが増えていくわけですよね。
現代では主体性に重きを置いて評価していく場面が増えましたが、これは何も教えないというわけではないですね。
学校現場で謳われている「主体的・対話的で深い学び」も、全部を生徒に任せるという意味ではありませんからね。
会社でも、自分がわかっているからといって部下に詳しく教えない上司がいますが、それでは若手が育ちません。
ご家庭でも、子どもが疑問をもったら積極的に教えてあげることが大切ですね。
教えることは、地図を渡すのと同じだと考えています。
②教えすぎているのかも

ただ、「教えすぎ」は危険です。
教えすぎてしまうと、どのようなことが起こってしまうのでしょうか。
ここでは、学校現場を例にとって見ていきます。
(例1)
説明が上手な有名教師がいた。その人の授業は、綺麗に板書をして教師が説明していくという授業スタイルなので、生徒は丁寧に板書を写して授業を聞く。テストは板書を暗記していれば取れるため高得点が続出したけど、「自分の意見を書く」という課題では手が止まる生徒が多かった。
(例2)
詩を扱う授業で、「詩はわかりにくいから細かく説明してあげよう」と考えて熱心に解説をする教師がいた。理解できたという生徒がいるいっぽうで、「解説を聞く前に自分はこう思っていたけど、それが間違っていたんだ」と感じるようになった生徒もいた。
私は小学生から高校生まで教えたことがあるのですが、どの段階でも教えすぎは危うい要素をいくつか含むと感じています。
まずは、思考の前取り。
生徒が考える前に、答えに直結する手順や観点を提示しすぎることです。あるいは、思考する場面すらない授業だってあります。
次に、支援の過剰固定。
支援は大切なのですが、それが過剰になると考えものです。板書やヒントなどの支援ありきで考えてしまうようになります。
そして、答えの絶対化。
先生の答えが絶対だと思いこみ、自分の考えが深まりません。また、常に正解か不正解かの二択に迫られ、間違えることに恐れを抱いてしまいます。
他にもいろいろありますが、とにかく学びの重さを教師がすべてもってしまうということは危険なのです。
会社やご家庭の「教え」でも、同じことがいえるはずです。
教えすぎると自分で考えなくなり、人に頼るだけになってしまいます。
その結果、成長が阻害されてしまう恐れがあります。
先述したように、教えることはもちろん大切です。
でも、教えすぎることで大切な何かを失わせてしまう危険性もあるのです。
0→1は教えるけど、0→10まで教える必要はないですよね。
地図を渡した後は、その人自身が進み方を考えていく。
そのほうが、学ぶ喜びも感じやすいはずなんです。
「どこまで教えるか」という境界線を見極めていきたいですね…!
まとめると
◎ 私たちは、
教え合うことでできることが増えていく
◎ 教えすぎると
自分で考えられなくなるかもしれない
◎ 適切な「教える程度」を考えていく
でした!
踏み出すための第一歩は、
教える必要があります。
でも、
「教えすぎていなかっただろうか」
と考え直してみることも
大切なのかもしれませんね🌟
*主体性は奥が深い…!*
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