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【おにまい】「お兄ちゃんはおしまい!」の面白さは、「なぜ、まひろが重度の引きこもりになったか」にある(約6500文字)

 ずっと気になっていた「お兄ちゃんはおしまい!」全12話を見た。原作は一巻のみ読んでいる。
 タイトル画に「引きこもりのダメニートがかわいい女の子に?!」と書いているあるが、このまんまの話である。
 コンビニにも行けない引きこもりのニートである兄が、天才の妹が作った薬によってTSしてJCになり、周囲から愛される話。アニメは、これ以上でもこれ以下でもない。

 以前、「少年漫画のバトルモノと少女漫画の恋愛モノは、過程(方法)が違うだけで同じ目的(自己実現)を目指している」という話を書いたことがある。
 バトルモノは敵と対峙することによって強さを獲得する、恋愛モノは相手と関係性を構築する手順を踏むことで愛情(愛される状態)を獲得する。
 そのため学生の恋愛モノは、相手と一緒に様々な行事を経験する。誕生日、クリスマス、初詣、バレンタイン、(修学)旅行など、少女漫画ではこれらのイベントを経て相手のことを知り理解を深め、関係性を深化させていくことで話が促進していく。

 そう考えると「おにまい」は、バトルモノにおける「チートモノ」「強くてニューゲームモノ」である。
 周りの人間は、まひろに最大限の理解と好意を示している「無条件に愛され状態」で始まるからだ。関係性を深化させていく必要がない。

 可愛い女の子が好き、そんな女の子同士が意味もオチもなく起伏なく(つまりストーリー性がほぼない中で)ただひたすらイチャイチャする話にまったく飽きない、無限に観ていられる、もしくは「TSしたニートの愛され無双が観たい」という人にはおススメである(逆にサムネ画やあらすじから想像がつくような描写に引っかかりを感じそうな人にはまったくススメない)

 自分は元々チートモノや愛されマウントモノが好きではないので、まひろが中学に入ってからは正直見ていて退屈だった(一応全部見たけど)中学に通うようになってからは、TSモノである意味もかなり薄れているので自分の中の興味のフックがほぼなかった。
 まひろがとにかく可愛く背景の描写も良いのだが、さすがにそれだけで楽しむには限界がある。

 ただ、まひろが中学に行くまでは「神作品だ」と思って観ていた。
 特に第一話と第二話は、観ていて泣けて仕方がなかった。

 それは何故かということと、自分が「おにまい」に期待していた方向性について話したい。

※以下ネタバレ注意。



◆まひろの状態はかなり深刻である。

 自分が「おにまい」で一番興味を引きつけられたのは(TSモノという以外では)そもそもまひろはなぜここまで重度の引きこもりになったか、である。そしてなぜ、みはりは兄を強引にTSするという方法を取ったのか。
 この二つの点をまったく考えなければ、この話は「ただ美少女になって女性にケアして欲しい、無条件に愛されたい願望を投影した話」である(もちろんそれでも構わないのだが)

「引きこもり」と一口に言っても色々なケースがある。学校や仕事には行けないが知っている場所に買い物には行けるという人から、自分の部屋から一歩も出られない場合もある。
 物語開始時点で、まひろは近所のコンビニすら行けなかった。TSする前は、唯一の同居人であるみはりともほとんど会話がなかった。

(「お兄ちゃんはおしまい!」1巻 ねことうふ 一迅社)
(「お兄ちゃんはおしまい!」1巻 ねことうふ 一迅社)

 ネットゲームもソロプレイを好んでいたので、継続的にコミュニケーションを取る相手はいなかったのだと思う。精神的にも引きもりに近く、そうとう深刻な状態だ。

 まひろはなぜ、ここまで重度の引きこもりになってしまったのか。
 本人の独白では「文武両道の優秀な妹へのコンプレックスが原因」と語られ、一見「尤もだ」と思える。

(「お兄ちゃんはおしまい!」1巻 ねことうふ 一迅社)

 だが考えてみると「カイン・コンプレックス」において王道の選択は、カインがそうであるように相手を潰す(殺す)である。
 相手が明らかに自分より優秀であっても(むしろそうであるほど)「兄より優れた弟など存在しねえ」と相手を抑圧する兄はいくらでもいる。
 女性向けの創作では愛情や評価を奪う妹、自分に正当な(?)評価や愛情を与えない親を悪役として、自分を正当に評価してくれる人間(強者男性が多い)に選ばれる(愛や評価を与えられる)ことで自尊心を回復するストーリーがパターンとして確立している。
 
つまりまひろの状態に陥った時に一番ありがちな行動は、みはり(妹)が実力を発揮できないように抑圧する、もしくは価値を傷つけようとする(本人に『お前は大したことはないんだ』と思わせようとする)そのことによって自分の価値を相対的に回復しようとする、というものだ。

 カインコンプレックスは、親に代表される周囲(社会)からの愛や承認、評価の奪い合い、無価値感の押し付け合いの戦いの中で生まれる。
 評価というのは競争や比較によって生じるものなので、どちらかの評価が上がればどちらかの評価が下がり無価値感を味わう。
 誰もが「自分という存在」の価値を認められたい。「自分など価値が無い」という感覚は味わいたくない。そう思うのは当然だ。
「相手の価値を落とす行動」はもちろんしていいものではないが、心の動きとしては自然だ(だから創作のパターンとしてよく出てくる)

 ところがこの「当然のこと」「自然な心の動き」に反して、競争の場に立たされた時に自分が無価値感を引き受けてしまう人間がいる。


◆まひろは「自分が無価値であること」を証明するために、二年間部屋に閉じこもっている。

 物語を見た限りでは、まひろは元々は怠惰でも無能でもない。
 子供のころは妹の面倒を見ており、描写を見るとむしろ根はしっかり者のようにさえ見える。

(「お兄ちゃんはおしまい!」1巻 ねことうふ 一迅社)

(中一の内容とはいえ)勉強も普通にできている。TSした後の周囲の反応を見れば、男だったころから容姿も良かったのだと思う。

 そんなまひろが何故、物語開始時点では家事もせず、他人どころか自分の面倒もろくに見ないセルフネグレクト状態になってしまったのか。
「自分には生きる(生活する)価値がない」という地点まで、まひろが自分で自分の価値を下げているからだ。
 怠惰な引きこもり生活をしているからまひろの中に無価値感が生じているのではない。
 逆である。
 自分の中に無価値感を生じさせるために、まひろは怠惰で無能な引きこもりのニート生活を送っているのである。
 自分がいかに無価値な存在であるかを自分に証明し続け、そんな自分はケアされる価値がないとして、ネグレクトという罰を与えているのである。
 
控え目に言って地獄のような状況だ。

(「お兄ちゃんはおしまい!」1巻 ねことうふ 一迅社)

「無価値感(無力感)」は人を強力に蝕む。だから(↑で色々と例を上げたように)人に押し付けよう、そこから何とか逃れようとするのだ。
 一体、まひろは何のためにそれほどの負荷を引き受けて、二年間も部屋に閉じこもっているのか。

 妹のみはりのためだ。
 まひろが「近所のコンビニすらいけない」「五日間も風呂に入らないなど、自分のケアをまったくしない」ほどの無価値感に蝕まれているのは、妹のぶんまで無価値感を背負っているからである。


◆まひろは「怠惰なダメニート」でいることで、みはりのぶんの無価値感を背負っている。

 みはりの元々のモチベーションは、まひろに褒められることだった。

(「お兄ちゃんはおしまい!」1巻 ねことうふ 一迅社)
(「お兄ちゃんはおしまい!」1巻 ねことうふ 一迅社)

 まひろが褒めてくれるから、認めてくれるから、勉強もスポーツも頑張ってきた。
 みはりは愛情、評価、承認を求める人間であり、自分(の頑張り)を受け入れ、認めてくれる対象として兄を選んでいる。
「自分を認めて欲しい」「兄に褒められたい」そう考えているみはりのために、まひろは自分は競争をすることをやめて、みはりの頑張り(有能さ)を全面的に受け入れる側に回った。

 評価、承認は競争によって相対的に獲得されるものであるため、まひろが無能であればあるほど相対的にみはりは有能である(能力を発揮し認められる)ことになる。
 だから、まひろはしっかり者(有能な人間)であることをやめた。みはりの頑張りを受け入れ、際立たせるために、無能で怠惰で無価値な存在へと自分を落としたのだ。
 まひろは自分を無価値の状態に置くことで、みはりに最大限の評価(価値)を与えているのである。
 自分から見ると、まひろは信じられないほど優しく愛情深い兄だ。妹のために自分の人生をすべて犠牲し続けている。

 自分は「お兄ちゃんはおしまい!」の物語の根底にはこういう構図があると思っているが、みはりも無意識下ではこの構図に気付いていると思う。
 表面だけ見れば引きこもりの駄目ニートでしかない兄にみはりが強い愛情を持っているのは、兄がかつて優しかったからではない。
 今でも、兄が自分自身を犠牲にして、妹である自分に大きな愛情を与えていることに気付いているからだ。

「兄をTSすることで強引に干渉する余地を作る」という一見するととんでもない方法をみはりが取ったのは、「このままでは兄は自分のために人生をすべて犠牲にしてしまう」という危機感を持ったためではないか。


◆みはりがまひろを強引に「妹」にした理由

「このままではまひろは、自分を無価値なものとしてネグレクトし続け、人生のすべてを犠牲にしてしまう」
 仮にみはりがこう明確にわかっていたとしても、兄が兄のままではこの状態をどうにかすることは難しい。
 まひろが二年間も引きこもっていたことを考えると、一般的に思いつくような働きかけは全部していると思う。
 そもそもまひろもみはりも(物語自体がそうであるように)この構図を明確には認識していない。

 そういう状況の中でみはりが考え出した策が「お兄ちゃん改造計画」→兄を妹にするという方法である。
 男のままであれば妹の干渉を必要としなくても、女の体になれば妹の助けが必要になる。セルフケアの方法を一から教えることができる。
 みはりは兄を妹にすることで、「兄が妹である自分に助けを求めざるえない状況」を強引に作ったのだ。
 
本人の意思に反してTSしてしまうというのは確かに問題だが、こうでもしなければまひろは際限なく自分を放置して傷つけていく。

 みはりは女性の体はどうなっているのか、どういう風に扱うのかをまひろに教えていく。
 男よりも不便で、色々なことに気をつけなければいけない女の体になって、まひろは初めて自分の体の状態に関心を持ち、ケアの方法を学ぶようになる。
 毎日、みはりに体の状態を診てもらい、鏡を見て装い、風呂に入れば男だった時の何倍も手間をかけて髪を洗い、生理の不調の時は横になる。
 そうやって自分の体の状態に注意を払って、大切にする方法をひとつずつ学んでいく。

「おにまい」を見ていると気付くが、女性の体は不自由であり大変で、それゆえに常に注意を払っていなければいけない。
 反面、男性の体は多少放っておいても何とかなる面があり、世の中でも男が自分の体や容姿についてあれこれ言うのはみっともないと思われる。自分の状態など多少雑に考え、鈍感なくらいが良しとされている節さえある。
 容姿について女性が「装え」という圧力を受けている反面、男性は「容姿を気にしすぎるのはみっともない(男らしくない)」という圧力を受けている。男がセルフケアが下手なのは、こういう風潮も大きく影響している。
 加えて男の自他の評価軸は「有能であるか否か」が未だに最も大きい。
 女に比べて男がセルフネグレクトに陥りやすいのは、
①自分の状態を気にしすぎると男らしくないと思われやすい
②有能でなければ価値がないという価値観を内面化しやすい
 
この二点が大きいと自分は考えている(令和になって、ようやく男が日傘を差しても違和感がない世の中になった)

 アニメのオリジナルで、初めての生理痛に対する不安から泣くまひろに、みはりがお腹を温めるように(たぶん)電子ホッカイロを渡すシーンがある。
 自分にとっての「おにまい」は、このシーンにすべて凝縮されている。
 まひろの心も体も、本来はこういう風に扱われるべきものなのだ。「あなたの不安な気持ちはわかる。体を大切にして欲しい」と言われるべきものなのだ。
 それがあんな風にゴミのようにずっと扱われ(扱い)続けて……と涙が止まらない。

 まひろが女の子になることで、みはりはようやく兄に「お兄ちゃんの心も体もケアしなければいけない、その価値がある大切なものなのだ」と伝えることが出来た。
 みはりが「女性の体はこういうもので、こういう風にしなければいけない。こういう風にしたほうがいい」と教えることのひとつひとつが、まひろが自分の価値を回復させ、無価値感を克服していく過程なのだ。
 そうして女性の体を知ることで、まひろもみはりが自分の見えないところでも頑張っていた(生理痛に耐えて日常を過ごしていたことなど)を知る。
 女性になったことで女性(他人)を知り、他人を知ることで自分の価値を回復させ、人生を取り戻していく。
 他人を知ることと自分を知ること、他人を尊重することと自分を尊重することは表裏一体なのだ。
 そういうことが伝わってくる。


◆みはりは兄に、自分が与えられた愛情を返していく

 ここまででもだいぶ素晴らしいのだが、さらにいいのはみはりが兄に教える「ケアの概念」は、決してみはりがまひろに一方的に与えるものではないところだ。
「風呂で体を洗う」などのケアの(自分を労わり大切にする)概念は、まひろが幼いみはりに教えたことである。
 かつて兄から愛されたい、認められたいというモチベーションから、兄の愛情を一方的に受け取り続けてきたみはりは、兄を愛する側、支える側、受け入れる側に回る。
 
まひろが自分の人生に立ち戻る過程は、みはりにとっては兄から一方的に愛情を受け取る立場からの脱出、自立の過程でもあり、幼いころから受け取り続けた愛情を返す過程でもあるのだ。
 一見コメディチックに見える「お兄ちゃんはおしまい!」というタイトルが、みはりからまひろへの「もう十分だよ、お兄ちゃん。『お兄ちゃん』をおしまいにしても大丈夫だよ」というメッセージだと考えると、涙で画面が見えなくなる。


◆まとめ

 この構図を根底に見ると「おにまい」は、まひろが今までの人生で放棄し、兄として妹に譲ってきた「愛される価値」を回復する話だとわかる。
 アニメだとこの構図が原作よりも強調されている。
 自分は「おにまい」の開始当初のこの構図に、強く心を打たれたので(第二話なんてずっと泣いていた)できればこの兄妹愛がメインの構図で話が進んで欲しかった。

 みはりがまひろに理解と愛情を与えるのは、今まで受け取ったぶんの愛情をまひろに返しているからだが、周囲の他人全員が無条件にまひろを理解し、愛してしまうと単なる「愛され無双」の話になってしまう。
 それだと「おにまい」の最もいい部分が、むしろわかりにくくなってしまう。自分の中では、この話を単なる「愛され無双」の話にしてしまうのはとてももったいない(好きな人には申し訳ないが)

 ただここに書いたことが特に気にしなくても、まひろの可愛さだけで十分楽しめる話なので、二期が作られたらたぶん見ると思う。キャラも増えそうだしね。


◆余談

「おにまい」と同じ構図で、兄がキレて関係性が破綻したのが、発表当時話題になった「天を夢見て」
「お前は無能だと抑圧してくる(疑似)父親」と「愛してくれくれ優秀妹」に人生を食いつぶされそうになっていた主人公が、「悪い裏切者」になって自分の人生を取り戻す話。
 まひろは超優しい兄貴で自分は好きだが、行動としてはライアンのように相手を振り切ってでも自分の人生は自分の手で取り戻すほうが好きだな。


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