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意識の境界線で――貧血で死にかけた話【前編】

人は、どこまで具合が悪くなれば病院へ行くのだろう。

少し熱がある。

体が重い。

食欲がない。

たいていは、もう少し休めば戻るだろうと考える。

私もそうだった。

けれど、そのときの体は、私が思っているよりもはるかに深刻な場所まで沈んでいたらしい。

あとから振り返れば、いくつもの危険な兆候が出ていた。

それでも当時の私は、それが命に関わる状態だとは思っていなかった。

これは、私が貧血で死にかけたときの話である。

そして、その後も長く続くことになる、貧血との付き合いの始まりの話でもある。

水分しか受け付けなくなった

最初は、ただ体調を崩しただけだと思っていた。

体がだるい。

食欲がない。

何か食べなければと思っても、体が受け付けない。

食べ物を目の前にしても、箸を伸ばす気になれなかった。

どうにか口にできたのは、DAKARAやアクエリアスなどの水分補給飲料くらいだった。

液体なら、少しずつ飲める。

それで水分をつなぎながら、週末様子を見ていた。

しかし、休んでも体調は戻らない。

それどころか、少し動くだけでも息が上がるようになっていた。

どうやら、寝ていれば済む段階ではなさそうだった。私は、病院へ行くことにした。

今思えば、決断するのがずいぶん遅かった。

病院へ行く前に、風呂へ入る

病院へ向かう前、私は風呂に入った。

汗を流してから行こう。

少し温まれば、体も楽になるかもしれない。

その程度に考えていたのだと思う。

ところが、あとになってわかる。

このときの入浴が、かなりまずかった。

ただでさえ危うい状態だった体に、さらに負担をかけてしまった。

しかし、その時点では何も知らない。

風呂から上がり、支度を整え、病院へ向かった。

幸い、病院は近くにあった。

普段なら歩いて五分ほどの距離である。

五分なら、どうにかなる。

そう思って家を出た。

けれど、その日の五分は、あまりにも遠かった。

五分の道が、終わらない

足が前へ出ない。

少し歩いては止まり、また少し歩く。

呼吸を整えようとしても、うまく整わない。

体は鉛のように重く、普段なら気にも留めない道のりが、どこまでも続いているように感じられた。

歩いて五分の病院へ、なかなかたどり着けない。

私は体を引きずるようにして進んだ。

一歩。

また一歩。

それだけの動作に、ひどく時間がかかった。

結局、病院へ着くまでに三十分以上かかった。

距離は変わっていない。

変わっていたのは、私の体のほうだった。

踏み出してはいけない一歩

病院へ向かう途中、不思議な感覚があった。

体がきつい。

息が苦しい。

それだけではない。

歩きながら、意識がひどく薄くなっていくのがわかった。

そして、ある瞬間にはっきりと感じた。

次の一歩を、踏み出してはいけない。

もし大きく踏み出せば、その瞬間に意識を失う。

なぜそう確信できたのかは、今でもわからない。

けれど、そのときの私には、はっきりと境界線が見えていた。

こちら側には、まだ意識がある。

一歩先には、意識のない場所がある。

大げさな想像ではなかった。

体のどこかが、これ以上進めば倒れると告げていた。

私は、その一歩を踏み出さなかった。

そのまま道路脇に座り込んだ。

もう、立ったまま休むことさえできなかった。

近くに街路樹があり、その陰にベンチがある。

ほんの少し先だった。

それでも、そこまで歩くことができない。

私は座ったまま這いずるようにして、どうにかベンチへたどり着いた。

街路樹の陰で体を休めながら、ただ意識を失わないことだけを考えていた。

あれが、私が初めて触れた「意識の境界線」だった。

そんな状態なのに不思議とワクワクしたことを今でも覚えている。

ようやく病院へ

どれほど休んでいたのか、よく覚えていない。

少し動けるようになるのを待ち、また体を引きずるように歩き始めた。

そうして、ようやく病院へたどり着いた。

受付を済ませ、待合室の椅子に座る。

ひとまず、たどり着いた。

これで診てもらえる。

そう思っても、体は少しも楽にならなかった。

診察を待っている時間も、ひどくつらかった。

座っていることさえ苦しい。

横になりたい。

けれど、待合室で勝手に横になるわけにもいかない。

そんなことを考えながら、名前が呼ばれるのを待った。

やがて診察室へ通された。

どのように症状を説明したのか、細かなところは覚えていない。

食欲がないこと。

水分くらいしか受け付けないこと。

病院まで歩くだけで、ひどく時間がかかったこと。

おそらく、そんなことを話したのだと思う。

私の様子を見て、医師は何かを感じたらしい。

血液を採って検査することになった。

とにかく横になりたい

採血を終えると、結果が出るまで待つように言われた。

私は再び待合室へ戻った。

椅子に座り、検査結果を待つ。

しかし、もう座っているだけでも限界だった。

椅子で横になってもよいだろうか。

いや、待合室で横になるのはまずい。

でも、座り続けるのはあまりにもきつい。

横になりたい。

それでも、人のいる場所で寝転ぶわけにはいかない。

頭の中で、同じ自問自答を何度も繰り返した。

横になってよいだろうか。

いや、それはまずい。

けれど、もう限界ではないか。

考えているようで、まともには考えられていなかったのだと思う。

体を支えることだけで精いっぱいだった。

待合室の空気が変わった

しばらく、その状態が続いた。

そのときだった。

看護師さんが、奥から大慌てで飛び出してきた。

明らかに、それまでとは様子が違っていた。

「採集人Tさん、採集人Tさん、すぐこちらで横になってください!」

つい先ほどまで、横になってよいものかと悩んでいた。

それが突然、今すぐ横になるように言われた。

私は別室へ案内され、ベッドに寝かせられた。

ありがたかった。

とにかく、横になれる。

そのことだけで十分だった。

看護師さんからは、医師が来るまで待っていてくださいと言われた。

私は言われたとおり、ベッドに横になった。

すると、看護師さん達が入れ替わりにカーテンを開けて、こちらを確認するようになった。

カーテンが開く。

私の様子を見る。

また閉じる。

しばらくすると、もう一度開く。

どう考えても、何かがおかしい。

血液検査の結果が原因だろう。

明らかに不穏な空気が漂っていた。

けれど、あまりのきつさに、その理由を考える気力も残っていなかった。

長い付き合いの始まり

やがて、カーテンが開いた。

医師が入ってきて、私が重度の貧血だと告げた。

曰く「こんな数値は初めて見た」

曰く「この数値で生活ができていたのが信じられない」

曰く「普通の人がこの数値になったら泡を吹いて倒れる」

曰く「いつ気絶してもおかしくないから、車の運転は危なかった」

自宅で休んでいればよい。

薬をもらって帰ればよい。

その程度ではなかったらしい。

私の体は、想像していたよりもはるかに危険な状態にあった。

その詳細を知るのは、もう少し先のことになる。

そして、医師は最後に言った。

「このまま帰すわけにはいかないですね」

これが、貧血との長い長い付き合いの始まりだった。

それでは、次の採集で。
採集人T


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