自分への旅路、その先で見つけた「私」
こんにちは、菜桜(さいさくら)です。
この記事に触れて下さりありがとうございます。
今、あなたの心は穏やかですか?
それとも、かつての私のように、何かに追い立てられるようにして、必死に走り続けている最中でしょうか。
私は、乳がんの再発という予期せぬ出来事をきっかけに、立ち止まらざるを得なくなりました。
それは、35年間会社員として、走り続けてきた私に訪れた、あまりに静かで、過酷な「自分への旅路」の始まりでした。
仕事、育児、そして「ちゃんとしなきゃ」という目に見えない呪縛。それらを手放し、自分に戻るまでの1年間を綴りました。
もし今、あなたが「本当の自分」を見失いそうになっているのなら、少しだけお付き合いいただければ幸いです。
予期せぬ足止め
2025年の幕開け。それは私にとって、人生の時計が不意に止まったような衝撃から始まりました。
乳がんの再発。4月から始まった治療と療養の生活は、当初は5ヶ月程度の「一時停止」のつもりでした。
しかし、現実は想像以上に過酷なものでした。
治療方針の変更、薬の副作用による得体の知れない体調不良。
体力が目に見えて落ちていく中で、長期的な治療計画が決まるまでの投薬と観察を繰り返す期間。
気力も削り取られていく日々の中で、私は「生きるために、生きる時間」を過ごすことになりました。
かつての私は、自分で決めた期日に向けて完璧に回答を出し、
立ち止まることなく成果を出し続けることが正解だと信じて疑いませんでした。
しかし、この空白の1年は、私を強制的に「自分への旅路」へと連れ出したのです。
道が途絶えたような停滞期も、何もできずに空を見ていた日々も、
すべては「私」を、見つめ直すために必要な、大切な時間だったのだと、今はわかります。
走り続けた35年間の「呪縛」
振り返れば、私は35年前、技術職として現在所属している会社に入社しました。
新卒から今まで、同じ場所で働き続けてきました。やりたかった設計の仕事に就き、忙しく働く毎日は充実していました。
仕事を持ちながら結婚し、出産し、二人の子供を育てながら、私は止まることなく走り続けました。
けれど、私の心には常に「自分は、周りより能力も体力も劣っている」という根拠のない劣等感が居座っていました。
だからこそ、人一倍頑張らなければならない。
誰に言われたわけでもないのに、「ちゃんとしなきゃいけない」「今はまだ、楽しんではいけない」という呪縛に自らを閉じ込め、
自分を見つめることなく走り続けていました。
会社では「子供がいるから早く帰らなければならない申し訳なさ」に頭を下げ、
学校や保育園では「忙しそうにしている、あまり顔を見せない母親」である自分を責める。
どこへ行っても誰かに謝って、「何が、誰が、幸せなのだろうか」という問いを振り切るようにして、進んでいました。
そして、心は止まっているのに、体だけを動かし続けていました。
一度目の警告と、変わらなかった私
二人目の子供の育児休暇を終え、仕事に戻った矢先に見つかった最初のがん。
「どうして私が?」「子供たちはどうなるの?」と自分を責める日々の中で、唯一私を救ったのは
「もう、何の段取りもしなくていい。私はただ、治療に専念すればいい」という、解放感でした。
それでも私は、「必ず元気になって、病気になる前の自分を取り戻す」と決意し、過酷な治療を乗り越えて職場に復帰しました。
育児のための短時間勤務から少しずつ、少しずつ、子供たちの成長とともに、私はいつしか、かつての自分と同じように、
また、仕事に家庭に、全力で奔走する日々の中へと戻っていきました。
経過観察の10年を過ぎる頃には、私はまたあの頃と同じ速度で走っていました。
それが「充実」だと信じ、一生懸命に生きることこそが私の証だと疑わずに。
しかし、15年目を過ぎたある日、現実は再び私を立ち止まらせました。
二度目の警告 再発、そして子供たちの言葉
がんの再発。
それは「このまま進んでは、もう先がないよ」という、私の体からの切実な警告でした。
仕事で抱えていた莫大なストレス、責任感という名の重圧。私は休まざるを得なくなりました。
あの時、1歳と4歳だった子供たちは、今や高校生と大学生。
頼りない小さな背中を見せていたはずの彼らは、再発を知っても動じることなく、
「うん、休んで治療したらいいやん。ゆっくりしたら」と、当たり前のように私を受け入れてくれました。
その言葉の軽やかさに、私はどれほど救われたでしょうか。
治療方針が定まり、生活が落ち着き始めると、私はいよいよ「自分のこれから」を考えざるを得なくなりました。
本当に大切なもの、好きなもの。
時間がなくてできなかったと思っていたけれど、本当は「見ようとしていなかった」自分。
それらを探す旅は、暗闇の中で小さな欠片を拾い集めるような作業でした。
私を取り戻す、小さな「好き」
最初は、外に出て何かを楽しむ自信さえありませんでした。
だから、まずは本を開きました。
難解な作品や大作は横に置いて、短編集や旅行記、写真集。言葉に共感し、自分なりの意見を持つ。
その時、「ああ、私は本の世界に入ってあれこれ考えるのが好きだったんだ」という、素直な自分に戻るきっかけを掴みました。
それから、ぬり絵を始めました。
細かい絵に一色ずつ色を置いていく没頭感。実在の色を追い求めたり、想像の色で遊んだり。
あっという間に時間が過ぎ、作品が進んでいてもいなくても、その「過程」に身を浸すことが、何よりも心地よかったのです。
ソファでゴロゴロしながら古い映画を観る贅沢。平日の空いた美術館で、一枚の絵と静かに向き合う時間。
「わたし、こんなことが好きだったな」
誰のためでもない、生産性もない。けれど、自分を優しく開放し、穏やかに自分を見つめる。
そんな時間を過ごす中で、私は「私」という輪郭を少しずつ取り戻していきました。
揺れる心と、降りてきた答え
もちろん、今でも「ちゃんとしなきゃ」という焦りが襲ってくる日もあります。
けれど、そんな自分を今は否定せずにじっと見つめています。誰に頼まれたわけでもないのに、必死に走り続けてきた私。
その事実を自覚し、受け入れるには、この上ない勇気と根気が必要でした。
私に残ったのは、一生懸命に全力で生きてきた、その事実だけ。
だから、今の私がいる。そのことについて、何ひとつ後悔はしていません。
これまでは、そうだった。では、ここからはどうする?
仕事に復帰して、体と心を削りながら「どこへもつかない仕事」をこなすのか。
休みを延長して、社会保障に守られながら「自分の時間を安く売る」生活をしていくのか。
行ったり来たり、気持ちは揺らぎ、時間は過ぎていきました。
けれど、立ち止まったままの私に、静かな答えが降りてきました。
「何もしていないのに、私はここに居ることができている」
締め切りがなくても、生産性がなくても、時は流れ、私は今、この瞬間を生きることができている。
決心、新しい「一生懸命」の形
私は、私だけで生きていていいのか。
その問いの答えは、私自身の中にありました。「はい、私は私であり、私を生きることでいいのだ」と。
本当はそれしかできないし、それこそが、私のやるべきことだったのです。
世間や、誰かの期待に応えようとして、自分を見失い、走ることは、もうしません。
何に追い立てられていたのか。何を怖がっていたのか。何処へ行こうとしていたのか。
私は私で、誰とも違う。だから、劣ってもいないし、遅れてもいない。
これからは、私の一生懸命を、私の全力を、私自身に向けようと思います。
「自分を生きること」に、全力で、一生懸命になる。そう、心に決めました。
私のこれからは、私を全力で一生懸命に生きる。
そのために、これまでとは違う道を、違う方法で歩き出します。
感謝、そして新しい一歩へ
35年間、私が全力になれる場所を与えてくれた会社に、今、心から感謝しています。
私の「生きた証」を刻ませてくれた日々。
設計という仕事の楽しさ、難しさ、悔しさ、そして幸せ。
会社員として守られ、組織のしくみや人間関係に多くのことを学んだ。
そのすべてが、今の私を、形作っています。
長い間、本当にありがとうございました。
私は、仕事を辞めます。
やっと、やっと、決めることができました。
ずっと、誰かに赦されたかったのかもしれない。
でも、こうして自分で決めたことで、私はようやく、私自身の居場所に辿り着けたような気がしています。
そして、この「自分への旅路」の中で、いつも私を支えてくれたのは「書くこと」でした。
言葉にすることで自分を客観視し、励まし、救い出してきてくれました。
この大きな決断を後押ししてくれたのも、自分の心の声を書き留めてきた言葉たちです。
一つの大きな区切りを迎え、私はこれからも、前を見て生きていきます。
病と共に生きながら、けれど病に人生を明け渡すことなく。
他の誰でもない、「私」を一生懸命に生きていく。
今日から始まる、私の新しい人生を、私自身の手で、一歩ずつ大切に歩んでいこうと思います。
そして、この文章を最後まで読んでくださったあなたへ。
あなたは今、ご自身の人生の時間を、誰のために、何のために使っていますか?
もし、「ちゃんとしなきゃ」に追い詰められているのなら、心が止まっていると感じているのなら、
どうか一度立ち止まって、自分自身に聞いてみてください。「私は、私を生きている?」と。
私が見つけたこの『私を生きる』という決意が、どこかで同じように揺れているあなたの、
ほんの少しの勇気に繋がることを願っています。
菜桜(さいさくら)
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