【自己紹介】私が私を好きになるまで 子育て、働き方、がん、再発、わたしを生きる そして
こんにちは 菜桜(さいさくら)です
今日 この記事に触れて下さり本当にありがとうございます
あなたに 一生懸命に前を見て走ってきたはずなのに
ふとした瞬間に「私 どこにいるんだろう」と感じた日があったなら
子どもや仕事のために頑張り続けたその裏で
「ただ、そばにいたかっただけなのに」と
胸の奥で誰にも言えずにしまい込んだ想いがあるなら
この文章を少しだけゆっくり読んでみてください
私は長い間
“できる人でいなきゃ” “期待に応えなきゃ” と走り続けてきました
けれど 病気が再発したことで立ち止まり 気づいたのです
「何かの役に立つから」じゃなくて
「ただここにいるだけでいい瞬間」が人生にはある
その感覚を言葉にしていくことが 今の私の生き方です
この記事では
小さな決意から始まった私の物語
「自分で働く」「母である」「再発を経験する」「そして、生きると決めた瞬間」
を たどっていきたいと思います
どうか あなたの心のどこかにそっと触れる時間になりますように
働くママになろうと思っていた
小さな頃から「自分で働き 自分でお金を得て 自分で使う」
それが 当たり前の私の未来の形でした
私が社会人になるころ まだ世の中では
“お嫁さんになること” “3高の男性と結婚すること(高学歴・高身長・高収入)”
それが 女性の幸せだと言われる時代でした
けれど、私は心のどこかで反発していました
「私は、誰かに幸せにしてもらうんじゃない
自分で働いて 自分で家庭をつくって 子どもを産み すべてを自分でやる
完璧にやり切る」
そう心に決めていました
そして実際 私は設計職として就職し 会社員として働きはじめました
結婚し 子どもを授かり 働きながら家庭を築く
思い描いていた通りの人生を 自分の足で歩いている
そんな自分を誇らしく思っていました
15年前がんと診断され 今年再発した
仕事をしながら結婚し子どもを二人授かりました
下の子が1歳になり
育児休暇から復帰してまもなく…乳がんが見つかりました
まだ半年前まで、子どもが飲んでいたおっぱい
そこに がんがあると告げられたとき 胸の奥が凍るようでした
そして とても遠い誰かの出来事のように感じました
わたしなの?
子どもに腕を伸ばそうとしても 指先だけが震えて 抱きしめる勇気が出ませんでした
「どうして? わたし? これからどうなる? 子どもたちは?」
頭の中で問いが渦巻く一方で どこかで私はほっとしていた
「これからのスケジュールを誰かが決めてくれる」
「毎日毎日 その日のその時の段取りを考えてイライラしなくていい」
そんな自分がいました
働いて 家庭を支えて 子育てをして
全部「自分がちゃんとやらなくちゃ」と走り続けてきた日々
いつの間にか 段取りに追われ 私の心は置き去りにされていました
何に向かって生きているのか、わからなくなっていました
この上なく愛おしい子どもを見る時間が減っていき
“今やらなければならないこと”ばかりを見て
“本当に大切なこと”からどんどん遠ざかっていたのです
そして今年
乳がんが再発しました
診断結果を聞いた瞬間 心のどこかで小さく呟きました
「わたしは また 何も見ていなかったんだ」
「また ここに 来てしまった」
会社からの帰り道 息が浅くなっていくのを感じました
あの日、「また…」と心の中で呟いた瞬間 私はやっと気づいたんです
ずっと 自分の心を見ていなかったことに
母としての後悔と決意
15年前
乳がんが見つかったとき 子どもはまだ5歳と1歳でした。
手術と抗がん剤治療が始まり
体を動かすことがままならなくなり
髪が抜け落ち 肌は青黒くなり 私は7ヶ月間仕事を休むことになりました
その間、そしてその後しばらく
1歳の息子を抱きしめることすらできませんでした
4歳の娘と遊ぶこともできず
ただ 子どもに近づかないようにしていた自分がいたのです
仕事も 家庭も 育児も
そのすべてができなくなりました
けれど子どもたちは澄んだ眼差しで私をじっと見つめ
小さな手を伸ばし「お母さん」と呼んでくれる。
「お母さんって、いったい何だろう」
そんな問いが胸を揺らしました
「お世話してくれるから?」
「産んだから?」
「何かしてあげられるから母親なの?」
私は問い続けました
でも子どもたちは見ていたんです
何もできない私を
私が見失っていた私を
そして
ただ必要としてくれている 私を
胸が熱くなりました
心が震えました
嬉しかった
ありがとう
そして 静かにこう思いました
「役に立つからじゃない 私はここにいる それだけでいい」
「一緒に生きるだけ それしかできない でも、それならできる」
私は 生きると決めました
「生きていくよ 一緒に生きようね」
そう心の中で小さく呟いて
そして7ヶ月後 仕事に復帰しました
時短勤務からはじまり やがてフルタイムへ
また少しずつ 仕事が増えていきました
決意の休職期間で感じた”家にいるだけで安心できた時間
それから 15年……
診断を受けて会社からの帰り道 息が浅くなりました
車窓に映る自分の顔が、どこか他人のようで
「また……」
そう心の中で小さく呟いた瞬間、ようやく気づいたんです
私はずっと、自分の心を見ていなかった。
10年経過観察と言われていた乳がん
それが15年経ったある日、再発を告げられました
仕事のストレスを溜めていた私に
仕事を休みました
私は15年前に、
「生きていくよ 一緒に生きようね」と心に誓ったはずでした。
それでも私は、再び走り出してしまったのです
「母として」「働く人として」「ちゃんとしなきゃ」と、必要以上に力を入れてしまっていた
日々の忙しさに飲み込まれ、あの静かな気づきは少しずつ霞んでいきました
気づけば 毎日忙しさに振り回され
家庭も自分もほったらかしのまま、全力で走り続けてしまったのです
でも、再び、立ち止まらざるを得なくなったとき、
私は初めて、「本当に生きたい」と静かに願いました
完璧じゃなくてもいい
何かを与えられなくてもいい
ただ一緒に、生きていく
その感覚に気づけた日のことを 私は忘れません
人は弱いから忘れてしまう
でも それは決意が偽物だったからではなく
それほど必死に 生きようとしていたから
私はそのことを長い間責めていました
「せっかく気づいたはずなのに」と
けれど今は静かに思います
あの日の決意も 今の願いも どちらも嘘じゃない
ただ、あの頃は “守るための決意” で
今は “生きるための決意”
だからこそ今回は、同じようにやり過ごさない
あの15年の悔しさを繰り返さないために
忘れてしまっても 何度でも、もう一度決め直せばいい
そのくらい 人は揺れてしまう
それでも生きていけるのだと 今は思うのです
子どもたちは今 高校生と大学生
大学生の娘はすでに家を出ています
だから 私が家にいる “3人暮らし” が始まりました
もう 子どもにしてあげられることはほとんどない
一緒に遊ぶことも 出かけることも ほぼありません
「ただ、ここにいる」 だけの日々が始まったのです
家事も 少しくらいやらなくても誰も困らない
朝 窓を開けて息を吸う
昼 湯気の立つお茶をゆっくり飲む
夕方 リビングに灯りがともる
そうやって
「ただここにいる」「何も考えず 今日のことだけを考える」
そんな時間が流れました
すると なぜだか
それだけで 家族が落ち着きました
夫婦喧嘩は激減して
息子が何か忘れても「また明日やればいいか」と笑えるようになりました
反抗期だった息子が、ぽつりと話し出す
「お母さん 早く寝ーや」
いつの間にか家事も少し手伝うようになりました
腕を伸ばそうとしても
指先だけが震えて 抱きしめる勇気が出なかった1歳の頃とは違う
息子は
ただ私のそばに座っていました
何も言わず 何も求めず
その姿を見たとき 心がとても温かくなりました
きっと笑っていた 嬉しくて
「お母さん家にいるから安心してるね息子さん 本人は絶対言わないけどね(笑)」
そう言われた日に そうなんだ と胸が熱くなりました
お母さんって きっと 何か“する”人じゃない
“そばにいる人”なんだ
そう思えた瞬間 呼吸が深くなりました
私は とても幸せだと感じました
ありがとう と心の中で呟きました
同時に考えました
頑張ってきた仕事
やりたいと思っていた仕事
でも「違う」と感じた瞬間もたくさんあったこと
努力が評価されず 悔しくて眠れない夜もあったこと
やってきたすべてに後悔はしていない
仕事がなくなった今 私は何を大切にしていきたいんだろう
何に時間を使いたい?
「わたしの時間」「生きる時間」とは何だろう?
ここまで走ってきた
さて どこへ向かうのか
私らしく生きる場所は どこにあるのか
問いは、まだ答えを持っていません
でも、心は確かに動き始めました
そのきっかけになったもの
それは……
言葉でした
言葉を届ける意味を知った日
ある時 大切な友達がお子さんに先立たれました
病気で倒れ、そのまま若い命を落としたのです。
決して私たち友達には 涙も弱気な姿も見せない彼女に
私は気づくと祈るようにLINEに言葉を打っていました
「お子さんが亡くなっても 尚 あなたを支えているんだと思う
私は友達として その想いを受け止める準備ができているよ」
その後も 何もできない私はLINEを送り続けました
ある日 彼女から言葉が届きました
「何度も読み返して泣いてる 深い言葉に感動してる」
読んだ瞬間 胸の奥で小さく光が灯りました
“届いた”
そう感じたのは、初めてでした
私は 誰かの心に触れるために書いたのではありません
ただ その時の自分の思いを 手放さないために書いていました
けれどその言葉が 人の涙を引き出し 誰かの呼吸を深くしたとき
「私も、誰かの一歩の隣に立てるのかもしれない」
そう思いました
自分のキャリアを記事にまとめたときも 予想していなかった反応が届きました
「心打たれました」
「勇気をもらった」
「胸が熱くなった」
「心に沁みました」
「着実にキャリアを積んでると思ったのに、そんな葛藤があったなんて…」
声にならなかった思いが 声なき人にも届いたこと
私の言葉を いつも静かに読んでくださっている方がいると知ったとき
誰かの心が前を向く瞬間に 私の言葉がそっと寄り添っている
そして それは同時に 私自身が前を向く瞬間でもありました
誰かに届いたとき 私にも届いたのです
だから今 私はここにいます
「だから私は書く」と言い切れる理由
言葉で想いが通じる
言葉で 人はあたたかくなれる
言葉で 人は共感しあい 幸せになれる
それは 私自身が経験してきたことです
誰かが救われたとき
私は私を少し好きになれた
言葉は 一方通行ではありません
誰かと私をつなぎ
過去と今をつなぎ
希望と現実をつなぐもの
だから私は 書くと決めました
私のために
そして かつての私のように
“何もできない”と思いながら立ち向かっている誰かのために
完璧じゃなくていい
立ち止まってもいい
迷ってしまってもいい
一緒に 生きるように 書いていきます
これから書きたい記事テーマ
それは 私がこれまで背負いながらも
“言葉にしなかったことたち”です
・再発 ~乳がん治療の記録
・入院と治療 ~治療で感じたこと
・本が好き ~大好きな本の一冊ごとの記録
・食べたり物語ったり ~暮らしの小さな幸せ
・やっぱり健康でなくては!
・働くって! ~ワーママとして 技術者として
・私を好きになる ~いちばん難しく、いちばん大切なテーマ
・自然百景 ~今日も 生きていた景色
最後に
もしも、あなたが今、
「出口が見えない」と感じていたら
あるいは、
「私は何もできない」と自分を責めているのなら
どうか 急がないでほしい
心の声に耳を澄ませてほしい
もし、あなたに抱えきれない悩みがあったら
お気軽にご相談お待ちしています……
私はまだ完全に回復したわけではありません でも、一緒に歩くことならできます
あなたが迷い止まってしまった日の隣に私は立てます
あなたが ひとりで頑張らなくていいように
私はこれまで、働く母であろうとし
一人前の技術者を目指し
そして二度 病気になりました
それでも 子どもたちは
私を見捨てることなく
ただそばにいて、“生きていてくれた”その姿で
私を支えてくれました
「いつでも、その時のお母さんでいいよ
そのまま 一緒に生きよう それでいいよ」
その言葉に支えられて 今の私がいます
自分のことがいちばん分からない
でも 自分を好きになりたい
好きになって 自由に 力強く生きたい
もしあなたが今
自分をうまく好きになれなくても大丈夫です
私も、ずっとそうでした
でも、
「生きるよ」
そう一度だけ静かに決めた日から
ほんの少しずつ変わってきました
あなたにも
そんな朝が来ると 私は信じています
焦らずに
泣きながらでも
ただ心を置き去りにせず
今日だけを見つめて
いつか 「私が私を好きになった」と言える日が来るように
そして、その日を
あなたと一緒に迎えられたら、
それほど嬉しいことはありません
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
これが、私の始まりです
ゆっくりでいい
さあ、ここから
一緒に 行きましょう
菜桜(さいさくら)
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