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立ち止まる旅のなかで、自分を信じ抜くということ

こんにちは、菜桜(さいさくら)です。

この記事に触れてくださり、本当にありがとうございます。

年が明けて、新たな気持ちで歩み始めようとしていた私ですが、
ある出来事を知ったことで、揺れる心を抱えきれなくなってしまいました。

今の正直な気持ちをここで言葉にすることで、
本当の自分を探したいと思います。

もしも、あなたがどうしても心に引っかかる何かを抱えていたり、
目を逸らしたいのに逸らせない現実を前にしていたりするのなら、
私の話を聞いてもらえないでしょうか。

そして、できることなら、一緒に感じてもらえないでしょうか。

最後まで読んでいただけたら、とても嬉しいです。


突然の訃報、凍りついた心

すべてが止まってしまったのは、年始早々のことでした。

私のもとに、一つの知らせが入ってきたのです。

会社でお世話になっていた方の奥様が、亡くなられたという訃報でした。

何より私の心を激しく揺さぶり、呼吸を奪ったのは、
その奥様が私と同じ「乳がん」で命を落とされたということでした。

奥様と直接の面識はありませんでしたが、
私が休職する前から入院されたり、療養されていることは伺っていました。
会社でいつも仕事のアドバイスをくれたり、
プライベートの話も明るくされていた方が、
陰でこれほど重い現実を背負っていらしたのだと思うと、
胸が締め付けられるような想いでした。

そして、それ以上に
自分と変わらない年齢の方が、同じ病気で亡くなったという事実に、
私の心は凍りついたようになってしまいました。

「本当に?」
「乳がんで?」
「お亡くなりになった?」
「今、この時に?」

事実を全く受け入れられず、
同じ問いを何度も、何度も心の中で繰り返していました。

答えがないことは分かっているのに、問わずにいられませんでした。

「どうして? それは……一体、誰のことなの?」

前を向いて歩み出したと思っていた自分を、抱えきれないほどの衝撃が襲いました。

事実を受け入れられないことに心が震え、崩れ落ち、
私はその場から動けなくなってしまいました。

思考は停止し、深い、どこか暗い場所に沈んでしまったような感覚。

「自分を知る旅」は、出発したばかり。

順風満帆な旅だとは思っていなかったけれど、
まさかこんな風に、足元から崩れるように止まってしまう日が来るとは
思っていませんでした。


手術後の歩みと、答えのない問い

なぜ、これほどまでに衝撃が大きかったのか。

それは、ここに至るまでの私の歩みが、
決して平坦なものではなかったからかもしれません。

昨年春の手術から、本当にいろいろなことがありました。

秋になり、ようやく長期的な治療方針が固まるまで、
私の歩みは、心にとっても体にとっても、非常に厳しいものでした。

主治医の先生は、いつも正直に、そして誠実に説明をしてくれます。
専門医としての知見を尽くし、私にベストな方針を提示して下さいます。

「この治療が、多くの臨床結果から効果があることが確認されています」
「二度とがんにかかりたくないというご希望に沿って、ここから始めたいと考えています」

その言葉は、医学的に見て、あまりに「正しい」ものでした。

けれど、私の体は、その正しさにすぐには反応してくれませんでした。

一つの方法を試し、検査を受け、結果が良くなければまた別の方法を。
その繰り返しの日々が始まりました。

「私にとってのベストな治療法は、何なのだろう。どこにあるのだろう」
誰に聞いても答えのない問いを続け、心は常にざわざわと落ち着きませんでした。

本当に、どこかへたどり着けるのだろうか。

先の見えない暗闇のなかで、手探りで歩みを進めるしかありませんでした。


自分の人生を、誰が生きるのか

そんな日々を過ごす中で、私の気持ちはどんどん「自分自身」へと向かっていきました。

主治医は、私が続けていけそうな治療方法を提示してくれます。
その中で、どの道を選ぶのか、最後に決めるのは私自身です。

私は、問い続けました。
「私は、どういう人生を歩みたいのか?」
「どういう状態で、どういう気持ちで、これから生きていきたいのか?」

主治医が一番に勧めてくれた治療法。
それは、私には少し厳しいものでした。

けれど、
「我慢すれば、何とかやりすごせるかもしれない」
「誰かに迷惑をかけることはなさそうだし」
……そんな考えが頭をよぎりました。

すると、頭の中で何かが問いかけてきたのです。

「え? それ、またするの? 自分一人で我慢すれば何とかなるって、またそう思ってるの?」
「それは、あなたが決意した “私は生きる” ことなの?」

ハッとしました。

しんどいこと、辛いことを我慢して、ただ前だけを見て走ってきた。
自分の本当の気持ちを見ないで突っ走ってきたから、私は、今ここに居るのではないか。

15年前の私は、もっと大変な治療を経験しました。

けれどあの時は、はっきりと納得していました。
「この治療を乗り越えて、生活を取り戻す!」と。

だから耐え抜き、やりきったときには達成感がありました。

頑張った自分を褒めてあげたいほど、明るい気持ちでまた歩み始めることができたのです。

でも、今はどうだろう。

「主治医が言ったから」という理由だけで、自分の気持ちを置いてきぼりにして、
ただ盲目的に従おうとしていないか。

再発という現実に直面し、空っぽになった自分を見つめ直したとき、
私は一つの大切な疑問に辿り着いたはずです。

「私の人生を、誰の判断で、誰が生きるのか」という、切実な問いです。

誰かの正解を生きるのではなく、私自身の納得を生きる。

そう自覚したとき、ようやく視界が開けました。
その通りだ、私は私の人生を、自分で選んで生きていくんだ」と。

そうして自分の心と対話し、悩み抜いて治療方法を一つひとつ選び取ったことで、
ようやく安堵のなかに身を置くことができたのです。

「自分で決めた道だから、大丈夫。未来は明るく続いていく」

そう確信し、新しい旅の一歩を踏み出したばかりでした。

あの訃報が届いたのは、そんな希望を胸に、ようやく前を向いた矢先のことだったのです。

立ち止まった場所で、光を見つける

あの訃報は、私が必死に掴み取った「希望」を、一瞬にして凍りつかせました。

あまりの衝撃に、旅の足は力なく止まってしまいました。

今は、何も考えたくない。何も知りたくない。
いっそ何も、誰も見たくない――。

そんな剥き出しの感情のまま、深い深い沈黙のなかに閉じこもっています。

時折、自分が世界のどこに立っているのかさえ、
そしてどこへ向かおうとしていたのかさえ、分からなくなってしまうこともあります。

けれど
私の世界のすべてが、暗闇に飲み込まれてしまったわけではありません。

その暗闇の底には、消えることのない、一つの小さな光が差しています。

それは、他の誰でもない私が、「私は生きる」と心に決めたから。

どれほど心が震えても、どれだけ歩みが止まっても、私は希望を捨ててはいません。
明日を信じることを、やめてはいないのです。

その小さな、けれど消えない光だけは、今も私の足元を確かに照らしています。

日常の家事をこなし、ヨガをし、noteの記事に触れ、本に感動し、映画に感嘆する。
そんな心はあっても、自分を深く知る旅の足は止まったまま。

今は、自分自身を真っ直ぐ見つめることができず、ただここに居ます。

でも、私は心配していません。
だって、私は何も諦めていないし、何も見失っていないからです。

私は、自分を深く知るために旅に出ると決意しました。

たとえ今、動けなくても、旅を続けることは諦めていません。
どんな日があっても、この足踏みさえも、私の大切な旅の一部なのだと思えるからです。

私は、私の味方でいると決めました。


自分を信じて、再び歩き出すために

もしもあなたが、今、何かのきっかけで動けなくなっているとしたら。
私のように、暗闇のなかで立ち止まっているとしたら。

「自分を信じる」こと。

ただそれだけができれば、また進むことができる時が、必ず来ます。

誰に何を言われようとも、どれだけ時間がかかっても、
この歩みは自分だけのものです。

自分だけの、たった一度の人生です。

焦らず、諦めず、自分を信じて、明日を信じて、生きていく。

自分が自分を信じている。

こんなに心強いことは、他にはありません。

止まっていた時間も、迷った日々も、いつか必ず人生の糧になります。

あなたは、あなた自身の最大の味方でいてください。

また次の一歩を、しなやかに踏み出せる時が来る。

私は、私を信じています。

そして、同じ空の下で立ち止まっている、あなたのことも信じています。




今、あなたが心の中で大切にしていることや、
「自分を信じよう」と思った瞬間のこと。

もしよろしければ、コメント欄で聞かせてください。

あなたの歩みを、静かに応援させていただければ嬉しいです。




菜桜(さいさくら)


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