そして、今の気持ち
こんにちは、菜桜です。
この記事に触れてくださり、ありがとうございます。
私はこの春、35年間所属し、働いてきた会社を辞める決断をしました。
会社員生活も、今日を含めて残すところあと3日間となりました。
何度も、繰り返し、いろいろな思いを巡らし、
時間をかけ、言葉を尽くして、考えて、出した結論。
2月下旬より始まった、退職への手続き、送別会、お礼。
つい先日、お世話になった方々へ最後のご挨拶メールを送り終えました。
会社員としての僅かな残り時間。
ほぼ完了した、退職に伴う手続き、行事、挨拶。
そこに何故か、取り残されてしまったような今の自分の心。
この心を見つめて、ここに置いてみたいと思います。
わたしが退職を決めた直接のきっかけは、病気の再発でした。
15年前に見つかった病気を「もう二度と繰り返さない」と、大変な治療を乗り越え、
その後は一生懸命に会社員として、母として、自分を走ってきました。
それが、ある日突然、再発を言い渡されてしまい、私は何もかもを無くしてしまいました。
これまでやってきたこと、持っていると思っていたもの。
それらがすべて無くなり、ただ一人、暗闇に居るような感覚になりました。
そして、「このままでは戻れない、元の場所には戻れない」と宣言され、
私は生きるために生きる時間を過ごしていくことになりました。
その道は、緩く、辛く、
どこにも持ってはいけない気持ちを抱えて、期限のない仕事を延々と行っているような道のりでした。
誰も答えを持っていない問い。でも決めないといけない。
「正しいことは何か。誰にとって、何に向かって正しいのか。」
悪いことも起こらない。何か敵がいるわけではない。
私の自由にすればいい。
でも、それを決める根拠は何なのか?
何を元に、どう決めればいいのか?
それも自由で、誰にもわからない。
最善とは何か。それは誰にとっての最善か、何にとっての最善か。
そんな日々が続く。
確かなことは、今、生きているということ。
こうして何かを感じ、何かを問われ、何かを決めていかないといけない。
誰にとっての答えなのか。
一つの結論を出して進む。
ほどなく、進めなくなる。その道には進めない。「私は」進むことができないとわかる。
では、違う道を。違う道を進みだす。
でもこの道、行きたい場所に着けるかどうかはわからない。
まだ誰も行ったことがないから、もしかしたら、行き止まりで戻ってくるかもしれない。
もしかしたら、道がなくて踏み外すかもしれない。
誰にもわかりませんね。だって、誰も行ったことがないから。
「それでも、いきますか?」
「うーん、行ってみます」
頑張っていってみましたが、これ以上は行けなさそうです。
「他にも、行った先を知らない道を試すこともできますが、どうしますか?」
「うーん、いかないことにします。行かないで、戻ります。
そして、どうしても行かなければならないもう一つの道について、行く方法を試します。」
そして、行く道が決まった。
ここに辿り着くまで、かなりの消耗。この道をいっても、本当に元通りになれるのだろうか。
そして、復帰をするかどうかを決める時がやってくる。
道が決まらず、「まだ無理だ」と、二度、休職期間を延長した。
果たして戻れるのだろうか。戻ることがいいのだろうか。
それが、私の人生なのだろうか、と考え始める。
戻ったとして、もしも、戻ったとして。
きっと、それなりにやることはあると思う。35年やってきたのだから。
仕事内容の中間的なチェックや、新しく入った人の最初の一歩のお手伝い。
全体を見据えて、できることをやる。そういう働き方はあるかもしれない。
でも、まず体の状態として、毎日決まった時間に会社に行って仕事ができるのだろうか。
今は家にいて、自分のペースで過ごしている。
調子がよければ買い物に行ったり、会う人も家族や親、ごく親しい友人。
そんな私が、仕事をする人と一緒に過ごせるのだろうか。
気を使い、使われ、迷惑をかけることも承知で。
そうなると今度は、心がそれを許すだろうか。
人に迷惑をかけながら働くこと。それはやるべきこと?
できない自分を責めてしまわないだろうか。
こんなに負担を軽くしてもらっているのに、できないってアリなのか。
そんなことで「働く」と言えるのか。それは、やるべきことなのか?
計り知れないストレスが、体にかかり、心にかかる。
それをやって、またもし同じように、病気になったら?
それは必要なことなのか。人生の中に必要な時間なのか、痛みなのか。
そんなことをやろうとする自分。それに巻き込まれる人々。
そんなことに耐えられるのだろうか。
役に立つどころか、足を引っ張る。
何もできないより、悪い。悪質だ。
会社に戻ることは、やっぱり、それはできない。
休職を続けるのか。休んで、他の方法を探す。
体の調子をもっと整え、向上させる。
何をするのか。どこへ行こうとして、今、休むのか。
その先に未来はあるのか。また別の、また次の、私にとっての未来があるのか。
休んでいるということは、所属しているということ。
ただ働いていないだけで、私は所属している。だから、勝手なことはできない。
私は会社員として守られている。
「それは会社員として今まで働いてきて得た権利だ」という人もいる。
「その権利を十分に使って、療養したり考えたりしてもいいのでは」とアドバイスをくれる人もいる。
会社に戻る未来のことを考えてそうするなら、意味があると思う。
でも、休む前の状態になって戻ることは難しい。
違う状態で戻るのも、やっぱり、ちょっと難しい。
だったら、休むという事は、私にとってどんな意味があるのか。
ただ、「動けない時間」を過ごすことになってしまうのか。
その権利を使えるのは、あと1年ちょっと。
その時間を、私はどう過ごしたいのか。
仕事を辞める。会社を辞めてしまう。
これまで35年働いて、一生懸命、全力でやってきた。
まだやれることはあると思う。
でも、ここからは、あんなに全力ではできない。体力も、気力も。
そして、一生懸命にもなれないかもしれない。
もう行きつく先が見えているから。これ以上はないとわかっているから。
会社では、やっぱり、もう終盤。
あとは持っている能力やスキルを使っていく、そのままでやっていくことを求められる。
この先、飛躍的に何かに貢献する可能性の少ない人に、会社はお金をかけられない。
事業としては正しい方針だと思う。
それだから、だから辞める?
期待されないから? 事業の真ん中にはいられないから?
そういうこともある。戻っても、もう何もない。
今まで何があったか。振り返ってみても、何もなかったかもしれない。
だけど、一生懸命の対象があった。やっていく事、そのものに意味があった。
自分で辞めると決めて、辞める。
いま、この今、辞めるということ。
自分の体力、気力が「ここまで」と言っている。
会社では、もう何もない。
そして今、高校生と大学生の子どもと関われる最後の時間だと、分かっている。
もう一緒に公園に行ったり、ご飯を食べさせたりはないけれど。
今なら、まだ今なら、一緒に過ごせる時間を持つことができる。
ただ、同じ家に居る。
ただ、ご飯を一緒に食べる。
ただ、一緒にテレビを見る。
ただ、今日のことを話す。
ただ、明日の予定を確認する。
寝ている隣の部屋で家事をする、文章を書く、空を見る。
それだけのことが、それだけのことが、できる。
今まで会社中心、仕事に合わせた育児を続けてきた。
それは大変で、愛おしい時間で、できることはやってきたと思っている。
これからは、子どもとの時間を中心に過ごすことをやってみる。
子どものスケジュールに合わせた生活をやってみる。
休職中、初めて、夏休み中ずっと家にいるお母さんでいた。
何もしないけど、どこにもいかないけど、そこには確かに子どもとの時間があった。
そして今、まだ自立して生活している両親と話すことができる。
高齢で、病を患い、通院していても、自立している両親。
私がここまで働き続けられたのは、両親のサポートがあったから。
常に私の心と体を優先し、子ども達の幸せを優先した行動に、いつも安心し、休息をもらっていた。
突っ走っていた私には、届かなかった両親の言葉も、心も、今はよくわかる。
本当に、ありがとうございました。
母親は、今回辞めると決めたことに、ホッとした表情を見せた。
「これからは好きなことをしたらいい。何でも、やってみて、あかんかったらやめたらいいし。
で、また別のことしたらいいやん。今まで何もしてないんやから、何でもやってみたら?」
父親は、定年まで勤め上げたからこそ「もう少しやってみたら」という思いもありつつ、
私の決断を受け入れて、これからについて話をしてくれた。
そんな、家族との時間を過ごす。心と一緒にいる。
そういうことに使う時間を持つこと。それが、今、の理由。
だから、今、この時に、私は会社を辞める。
そうやって、何度も、いろんなところから、考えて決めた。
会社員をやめて、次の道へと行こうと決めた。
けれど。
月末が迫るにつれて、皆さんにお別れを告げて、お別れの言葉をもらうにつれて。
ぽっかり、空いた穴は何だろうか。
湧きあがる寂しさは、どうしてだろうか。
桜が咲いて、暖かくなって、外は明るい。
私は、少し、寂しい。
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