『#夏と平和の1枚』――家族写真が語る、平和のかたち
毎年、8月が近づくと、ニュースやドキュメンタリー番組で「戦争と平和」の特集が増えます。特に8月6日・9日・15日──原爆投下と終戦の日を中心に、多くのメディアが反戦を訴え、戦争の記憶をたどり、語り継ごうとします。
しかし、不思議なことに、8月15日を過ぎた途端、それらの話題は急に目立たなくなり、テレビもネットも“通常運転”に戻っていきます。
戦争の記憶を語ること、反戦の姿勢を忘れないことは、平和な日常がどれだけ尊いかを見つめ直す大切な時間です。けれど「平和」というものは、何か特別な日にだけ語るものではないはず。むしろ、何も起こらない当たり前の日々の中にこそ、静かに、しかし確かに息づいているものではないでしょうか。
私にとっての「夏と平和の1枚」
そんな思いを抱きながら、私はふと実家の壁をみました。
そこには、何気なく撮った“お盆の家族写真”が何枚も並んでいます。祖父母の家に集まり、久しぶりに顔を合わせた親戚たちと縁側で笑う子どもたち──。
若い頃の私は、この「家族写真」という習慣が正直、少し億劫でした。
「またか」「めんどくさいな」と思いながら、母に無理やり呼ばれて、渋々カメラの前に立っていた記憶があります。
けれど、50歳を過ぎた今、その写真に写っている人たちの笑顔を見返すと、胸の奥にじんわりと、何か温かいものが広がります。
写真に写る祖父母はもう他界し、いとこたちも家庭を持ち、離れて暮らすようになりました。子どもだった甥や姪もいつの間にか大人びて、写り方にも個性が出てきたように思います。
1枚の写真には、その瞬間だけでなく、「時の流れ」や「関係の深まり」まで刻まれているのですね。
そして、私は気づきました。この何気ない家族写真こそ、「平和の象徴」ではないかと。
平和とは「普通の日」が続くこと
大きな災害や戦争が起これば、家族で集まることも、笑って写真を撮ることも、当たり前ではなくなります。
コロナ禍で帰省すら制限された時、多くの人が「当たり前だったこと」の大切さに気づきました。
もしも電気が使えなければ? ガソリンが手に入らなければ? 経済が崩壊したら? 社会の秩序が乱れたら?
写真を撮ることさえできない未来を想像すると、ぞっとします。
「今、家族が揃っていること」
「今、みんなで笑っていられること」
「今、写真を撮れる余裕があること」
それらすべてが、実は“奇跡の連続”で成り立っているのです。
家族写真が語る「供養」と「継承」
もう一つ、最近気づいたことがあります。
それは、家族写真が“語りの媒介”になるということ。
お盆に祖父母の仏壇に手を合わせたあと、アルバムを開きながら「あの時さ〜」と昔話を語る時間は、亡き人を偲び、供養する場でもあります。
小さな子どもにとっても、写真は“語られたことを覚えておく”きっかけになります。
「この人がひいおばあちゃんよ」
「昔はね、家族でこんなに集まっていたのよ」
そうやって語られる記憶は、静かに、でも確実に次の世代へと渡っていきます。
戦争の記憶も同じです。語り、継ぎ、忘れないこと。
家庭の記憶もまた、写真と共に、平和の中で受け継がれていくべきものなのです。
「家族写真」を通して、平和の尊さを伝えたい
私はこの夏、改めて家族と過ごす時間の大切さを実感しました。
帰省の途中で立ち寄った海辺で、甥や姪とスイカを食べながら、シャッターを押したその瞬間。
何気ない1枚が、5年後、10年後にはとても意味のある写真になる──そんな予感がしました。
そして、その背景にある“平和”の存在にも、静かに感謝の気持ちが湧いてきました。
あなたにとっての「夏と平和の1枚」は何ですか?
今年のお盆、家族が集まるその時。
ぜひ、意識して写真を撮ってみてください。
きっと未来のあなたを、そして周りの人々を、そっと癒し、励ましてくれる1枚になるはずです。
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