子育てで一番大切なこと。それはたぶん「待つ」こと① ~親父の失敗編~
『Warten』:ドイツ語で「待つ」という意味
今日は育児について書いてみる。
昔、日本でまだ長女が小さかった頃、私は育児書をよく読んでいた。気になる本があれば、アマゾンでポチリまくり、週末には隣駅の図書館で、抱えきれないくらいの子どもの絵本(重かったなぁ。たまに紙芝居も借りてたっけ)とともに、せっせと本を借りる日々。初めての子育てで、わからないことばかりだったので、良い父親にならなければと鼻息荒く意気込み、通勤の間などにかなり熱心に読んでいたことを覚えている。
シュタイナーとか、モンテッソーリとかの本を読んで、なるほどと一人感心したり。『母の友』(残念なことに昨年休刊してしまいました)を読んで、そうだよねえ、と共感したり、自信がないときに勇気づけられたり、アイデアをもらったり。『賢い子に育てるための10の法則』みたいなハウツー本で書かれたメソッドをあれこれ試してみたり(ほとんど意味がなかったです)。
妻と、この本によると、こういう時にはこうしたらいいみたいだよ、とか、これは娘にはうまくいかないね、とか試行錯誤しながら、一つ一つ手探りで、幼い娘の子育てをしていたことを思い出す。
あれから早10年。小さかった長女はあっという間に中学生に、赤ん坊だった次女は小学生になった。
あれだけ熱心に読んでいた多くの本も、大半の内容を忘れてしまった。けれど、これだけは忘れないようにしよう、と心の中のコルクボードに付箋をピタっと貼っているものがいくつかある。そのうちの一つが、
子育てで一番大切なことは「待つこと」
という言葉だ。
当時は、ふーん、そうなのかな、大切なことはもっと他にもありそうだよな、とあまりピンときていなかったけれど、子育ての経験を重ねるにつれ、この言葉の正しさ、というか、奥深さをますます実感するようになった。噛めば噛むほど味わいがでるスルメみたいな言葉である。
本当に、本当に難しい
「待つこと」とは、少しかたい言葉で具体的に言うと、「子どもの内発な動機や考える過程を尊重し、子ども自身が自ら答えを出すまでじっと見守る」ということだ。
一言でいえば、「口を出さずに、子どもが自分で動くのを待つ」ということだ。
言うのは簡単である。が、これを実践するのは、めっちゃくちゃ難しい。育児経験のある方なら、少なからず同意いただけると思う。
あれだけ育児書を読み漁っていたにもかかわらず、情けないことに、私は「待つこと」に散々失敗してきた。
子どものためによかれと思ってやっているのに、子どもがいうことを聞かない。子どものためによかれと思って提案していのに、子どもが動かない。結局、
①つい腹が立って高圧的になり、
②子どもはやる気をなくし、
③(だいたい取り返しがつかなくなるくらい)雰囲気が悪化し、
④あとで一人後悔する
という「待てない親あるあるループ」に陥ってしまう。
失敗の一つが習い事だ。
長女が自分でピアノをやりたいと言ったので、ピアノを習わせた。9歳の時だったかな。私もクラシック音楽が好きで、娘にも好きになって欲しいとずっと思っていたので、当時はとても嬉しかった。20万以上する、グランドピアノのタッチを搭載したヤマハの電子ピアノも買った。
最初は楽しく、頑張って練習していた。ところが、1年くらい経った頃から、子どもが練習をサボるようになった。基礎練習(そう、あの「ハノン」です)が嫌だったのだ。
ピアノが弾ける私としては、習慣づけや、基礎練習の大切さを知っていたので、やるからにはできるだけ毎日頑張ろうと練習を強いた。「なんでやらないんだ!ピアノをやりたいって言ったのは自分でしょ」と時には怒ることもあった。
娘は嫌々ピアノを続けていたけれど、結局2年後に「もうやだ!」と言って、ピアノをやめてしまった。
待つことができない事例集
他にも我が家の失敗例は山ほどある。たとえば、小さい頃だと、
子どもが自分で支度するのを待てない
失敗させまいと、色々と先回りして準備してしまう
一見、子どもに選択肢を提示している風に見えるが、結局親が決め、従わせる
(怒っているときなど)子どもが返事をする前に、さらに詰め寄る
小中学生になると、
勉強しない子どもの姿に焦りを感じ、「勉強しろ」と頭ごなしに言う
受験校、習い事など、「こうあってほしい」を押し付ける
無口さや反抗的な態度につい腹がたち、一方的に怒りをぶつける
などなど(自分で書いていて耳が痛い、、)
恐ろしいのは、言うのはやめよう、気をつけようと心掛けていても、つい言ってしまう、やってしまうところだ。
経験上、一番警戒しなくてはいけないのは、親に余裕がないときである。子どものことが心配でたまらない、体調が悪い、仕事が忙しく切羽詰まっている、家庭がうまくいってない、など、そういう時が一番マズい。90%以上の確立で良くないことが起きる(学習したので、数年前からそんなとき、私の頭の中では「気をつけろアラート」が鳴るようになりました)。
「子どもへの愛情」という仮面を被った親のエゴ
子供は親の思い通りにならないのがあたりまえ。それが子どもの個性・自立の芽となる。にも関わらず、思い通りにならないことでストレスを感じてしまう。
子供は、失敗を通じて成長する。にも関わらず、ついつい子どもに失敗をさせないようにしてしまう。
「コスパ」「効率性」という現代を生き抜くために必要な概念に囚われるあまり、子育てにもついそれを適用してしまう。失敗させたくないので勝手にレールを敷いてしまう。
そこにあるのは、たぶん、子どもへの愛情という仮面を被った親のエゴだ。
先述した、長女のピアノの例でも、私は「子どものため」と思っていた。でも、それは結局、私の一方的なエゴでしかなかった。続けるためには何よりも楽しむことが大事なのに、どうして当時の私はあんなにアホみたいに怒っていたんだろう? なぜ娘の心の準備を待てなかったのか? 今でも後悔している。
わかってる。「待つこと」がどれだけ大事か。でも、それでも、待てない。ついつい言ってしまう。やってしまう。
では、どうした待つことができるのか? 「待つ」こと、自立した子どもを育てること、に関してはピカイチな国ドイツに来てから、実に色々な発見があった。
長くなったので続きは次回書きます。
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