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記事の出来,不出来

こんにちは。
noteで記事を書き始めて、早いもので2年が経ちました。
6月からは新たにアカウントを作成し、現在は2つのアカウントを運営しています👇

現在私はこのアカウントにおいて、1日1記事以上のペースで投稿していますが、実際には複数の記事をまとめて書き溜め、後日アップするスタイルをとっています。
その中で、どうしても出来不出来が生じることは否めません。

自分の中で「出来が良い」と感じる記事については公開するのが楽しみになる一方で、納得しきれていない記事については、できれば公開を先延ばしにしたくなることもあります。

そんなことをするくらいなら、不出来な記事は最初から公開しないか、あるいは削除すればいいのではないかと思われるかもしれません。
実際、あまりにも稚拙だと感じたものについては、削除することもあります。

それでも、せっかく書いた記事を簡単に消してしまうことには、どこか抵抗があります。

不出来に見える記事も含めて、すべて自分が書いたものです。
そして、その出来不出来の評価が、必ずしも読者の皆様の判断と一致するとも限りません。

不出来に見える記事であっても、それも含めて自分が書いた記録として残しておきたいと考えています。

その時々の自分の考えや迷いも含めて文章であり、後から振り返ったときには、その未熟さそのものも含めて意味を持つものだと思うからです。

私は、完成度の高いものだけを残すのではなく、試行錯誤の過程そのものを残していくことに、自分なりの価値を感じています。

どんな作家であっても、ベストセラーのような評価の高い作品があれば、不出来や不振とされる作品も存在します。
すべてを100%の完成度のものだけで揃えるよりも、あえて未完成や評価の低い作品も同列に並べることで、かえって良質な作品の輪郭が際立つこともあるでしょう。

また、そうした一見不出来に見える作品であっても、その作家固有の試行錯誤や揺らぎが表れており、それ自体が一つの個性として後に意味を持つこともあると思います。

これはあらゆる仕事にも言えることではないでしょうか。

成果が際立っている時期もあれば、思うようにいかない時期もある。
その両方があるからこそ、全体としての過程に意味が生まれるのだと思います。

出来の良い部分だけを切り取ってしまうと、かえって全体のバランスは歪んでしまうのではないか。
むしろ不出来な時期があるからこそ、良い成果が際立ち、その積み重ねが次の質の向上にもつながっていくのだと思います。

だからこそ私も、自分の書いたものを「出来が良いか悪いか」で選別するのではなく、すべて含めて残していきたいと考えています。

うまく書けたものだけではなく、迷いや試行錯誤の中で生まれた文章も含めて、自分という人間の記録として残していくことに意味があると感じているからです。

完璧なものだけではなく、不完全さも含めて記録していくこと。
それが今の自分のスタンスなのです。

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では。