私の中森明菜論
こんにちは。
先日、中森明菜さんが10年ぶりの新曲を発表したという記事を書きました。私は中学生の頃から中森さんのファンで、学生時代はほぼ明菜さん一択と言ってよいほど熱を入れて聴いていました。

ここで、私なりの「中森明菜論」を簡潔にまとめてみたいと思います。
いずれ、より詳細に調べ直したうえで、WordPressブログにも改めて書いていくつもりです。
✅ 清純性と不良性の狭間で
中森明菜さんがブレイクしたのは、デビュー曲「スローモーション」ではなく、次の「少女A」でした。
この「少女A」というタイトルは、当時小学6年生だった私にとってかなり衝撃的で、「何か犯罪者のような響きだ」と感じたことを覚えています。
実際、この曲とタイトルに対して明菜さん自身は「こんなの嫌だよ」と強く拒否したとも言われています。それも当然で、当時の企画としては、彼女を“不良的イメージ”で売り出そうとする意図があったからです。
デビュー当時の明菜さんの姿を見ると、そのイメージとのギャップは明らかです。あどけなさの残る表情の彼女を「不良」「ヤンキー」として位置づけることには、無理があったと言わざるを得ません。

しかし、結果としてこのギャップこそが、中森明菜さんをスターダムへ押し上げる大きな要因になったのだと思います。
あどけなさを残した少女が、意図された“反抗的イメージ”を背負って歌う姿。その違和感が強い印象を生み出したのでしょう。
そして明菜さんは、「少女A」に続く楽曲「セカンド・ラブ」でさらに飛躍します。CMやドラマ主題歌といったタイアップがない中で、オリコンで6週間1位、約77万枚という大ヒットを記録し、一気にトップアイドルへと駆け上がっていきました。
「セカンド・ラブ」は「少女A」とは対照的に、繊細で純粋な恋愛感情を描いた楽曲です。真逆とも言えるこの二つの世界観を成立させてしまうところに、中森明菜という表現者の大きな魅力があるのだと思います。
小学6年生だった私自身も、その頃からその片鱗に気づき始めていました。
✅ アイドルの枠を完全に超えて
その後も中森明菜さんは、不良性と清純性という二面性を併せ持つ存在として人気を博し続けます。
しかし、その方向性は1983年後半あたりから徐々に変化し、単純な「不良イメージ」からは離れていく流れに入っていきます。
「禁区」は、ある意味では明菜さんの“不良性”を象徴する楽曲でもありますが、「少女A」や「1/2の神話」のような直線的で激しいロック調とは異なります。作曲を手がけた細野晴臣さんらしいテクノポップ的なアプローチが取り入れられており、楽曲としての完成度や表現の幅が一段階引き上げられた印象を受けます。

そして1984年以降、「北ウイング」のような名曲が発表され、不良性や清純性といった単純な枠組みでは捉えきれない、新たな表現段階へと入っていきます。
一方で「十戒(1984)」は、依然として激しいロック調のエネルギーを持つ楽曲であり、不良性を感じさせる側面も残しています。
しかしその後の「飾りじゃないのよ涙は」や「ミ・アモーレ」では、単なるイメージ先行ではなく、“その楽曲が存在する世界そのもの”が見えるような作品へと変化していきます。
エキゾチックな空気感をまとい、「歌う兼高かおる」とも評されたように、明菜さんは楽曲ごとに明確な世界観を構築する表現者へと進化していきました。
もはやそこには「不良」や「清純」といった単純な分類は意味を持たず、より立体的で物語性のある表現領域へと踏み出していたのです。
✅ アーバン歌謡の体現者として
正直に言うと、1985年後半以降の中森明菜さんの楽曲は、それまでのようなわかりやすさや乗りやすさから少し離れ、やや難解さを帯びていったように感じられます。
1986年に爆発的なヒットとなった「DESIRE -情熱-」は、明菜さんの代表曲として広く知られていますが、その前後に発表された「SOLITUDE」「ジプシー・クイーン」「Fin」などは、必ずしも以前のような“爆発的ヒット曲”という位置づけではありませんでした。
とはいえ、いずれもチャートでは安定して上位を記録しており、作品としての評価は継続的に高い水準を保っていましたが。
特に「SOLITUDE」については、当時の私はやや肩透かしを食らったように感じ、そこまで強く惹かれる楽曲ではありませんでした。
しかし今あらためて聴いてみると、情緒に強く訴えかけるタイプの楽曲ではなく、むしろ感情を抑えた表現によってシンガーとしての成熟を示そうとする意志が感じられます。
こうした楽曲が増えていった1980年代後半の中森明菜さんについて、音楽評論家のスージー鈴木氏は「アーバン歌謡」と名付けています。
そしてこの時期こそが、明菜さんの本質的な音楽性がより純化されていった段階だったのではないかと感じます。
不良性や清純性、あるいはエキゾチックといった外形的なイメージで語られがちな明菜さんですが、むしろセールス的なインパクトが以前ほど強くない楽曲群の中にこそ、彼女が本来目指していた音楽性や表現の核があったのではないでしょうか。

✅ シングルA面だけでは到底語りつくせない
ただし、ここまで述べてきたのは主に「シングルA面」の楽曲についてです。中森明菜さんの真骨頂は、むしろアルバムに収録された楽曲群と、その世界観にあると私は考えています。
当時、シングルとアルバムの両方で大きなセールスを記録するアーティストは限られており、特にアイドル系ではシングルはヒットしてもアルバムはそれほど伸びないケースも少なくありませんでした。
その流れを大きく変えた存在の一人が松田聖子さんであり、その後に中森明菜さんが続いていきます。
デビュー曲「スローモーション」はオリコン58位というスタートで、その後も大きく伸びたわけではなかったと言われています(現在から見ると意外ですが)。しかし、その後にリリースされたファーストアルバム『プロローグ〈序幕〉』は早くもチャート上位に入り、「少女A」のヒットよりも前の段階でアルバム評価を獲得していました。
この事実は、中森明菜さんがデビュー初期からすでに“アルバム単位で評価される表現者”であったことを示しているように思います。

実際、アルバムには多くの名曲が収録されています。
『プロローグ〈序幕〉』の「あなたのポートレート」
『バリエーション〈変奏曲〉』の「キャンセル!」「脆い午後」
『ファンタジー〈幻想曲〉』の「瑠璃色の夜」
『アニバーサリー』の「夏はざま」「100℃バカンス」
『ポシビリティ』の「リフレイン」「ドラマチック・エアポート」
『BITTER & SWEET』の「予感」「バビロン」
そして評価の高い『CRIMSON』には「OH NO, OH YES!」「ミック・ジャガーに微笑みを」「駅」などが収録されています。
また、シングルのB面にも名曲が多く存在します。
「スローモーション」のB面「条件反射」や、「ミ・アモーレ」のB面「ロンリー・ジャーニー」、さらに「DESIRE -情熱-」のB面「La Boheme」などがその代表例です。
特に「La Boheme」は、「DESIRE」とは別にシングルA面として発売されていても不思議ではないほど印象的な楽曲であり、中森明菜さんの楽曲の中でも1、2を争うほど好きな曲だと言っても過言ではありません。

1990年代以降も、ヒット曲はいくつか発表され、その後はかつてのようなヒット連発の時代ではなくなりましたが、活動自体は継続されていました。
当時の楽曲については、実はあまりしっかり聴いてこなかったのですが、あらためて聴き直してみると、心に染み入る曲が多く、今後もう一度丁寧に向き合っていきたいと感じています。
長々と書いてきましたので、このあたりで一旦終えたいと思います。
今後も中森明菜さんについては、書いていくことがあるかもしれません。
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では。
