『これが私の出家です。』連載第5回
『禅と悟り』に学ぶ、最終的な心の平静(出家)の定義。
はじめに
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この連載も、早いもので気づけばもう五回目。最後の一回になりました。
これまで「禅」だの「悟り」だの、ちょっと背伸びした言葉を使いながら、どうすればこの救いようのない毎日を穏やかにやり過ごせるかを探ってきました。
でも、最終回を前にして、私の頭の中に居座っているのは、静かなお寺の風景なんかじゃありません。それは、一匹の、とんでもなく荒ぶった「龍」の姿でした。
北斎という人の「退屈」と、理想への違和感
葛飾北斎が九十歳、死ぬ間際に描いた『富士越龍図』という絵があります。

出典:ウィキメディア・コモンズより
これ、改めてじっくり見てみると、いわゆる「立派な山水画」とは全然違うんですよね。
明治初期くらいまでの画家さんって、実は思想家でもあったんです。教養のある人が「これが理想の世界のあり方ですよ」って示すために、調和の取れた美しい景色を描いていたんです。
特に日本の宗教画、つまり仏教画の世界では、阿弥陀様が優しく迎えに来てくれる来迎図や、完璧な秩序に満ちた極楽浄土の姿が描かれてきました。
あるいは道釈人物画に現れる仙人たちの不老不死、永遠の命。それらはすべて、人間が抱く「死後の救い」や「悩みからの解放」といった、汚れのない理想の世界を投影したものでした。いわば、世界の正しさと慈悲を証明するための、お行儀の良い記号。
でも、北斎を見てると、「この人、そういうの絶対つまんないと思ってたよね」っていう気がしてならないんです。
北斎はきっと、お約束通りの救いや綺麗な景色なんて、描いてて欠伸が出ちゃったんじゃないかな。
教養のある人たちが語る「正しい理想郷」や「仏教的な救済」なんてものは、北斎にとっては何の刺激もない、ただの退屈な型に過ぎなかった。
彼は死後に救われたかったわけではなく、むしろ、いま、この生々しい世界の「真実」を、力ずくで引きずり出したかった。その「退屈」への反抗心が、あの龍の鱗一枚一枚の、不気味なくらいのリアリズムに繋がっている気がするんです。
彫り師から始まった、手の記憶
北斎のルーツを辿ると、実はすごく泥臭い。彼は最初、お師匠さんの門下に入る前に「彫り師」の見習いからスタートしています。
十四歳から数年間、髪の毛よりも細い線を、一寸の狂いもなく木に刻み込む修行をしていたんです。
そこにあるのは高尚な宗教的真理じゃなくて、徹底した「技術」と、指先が覚えている物理的な感覚です。極楽浄土の話を頭でこねくり回すより先に、ノミが木に食い込む感触、一瞬の油断で線が死ぬ緊張感、そんな「手」の労働から彼は始まっています。
思想や教養という「頭」の言葉で世界を見るのではなく、自分の手が世界を削り出すという実感。これが北斎の原点であり、彼が最後まで「理屈」に逃げなかった理由ではないでしょうか。
その後、浮世絵の世界に入っても、彼は一つの型に収まりませんでした。勝手に他の流派の技法を盗んで破門されたり、西洋の描き方を取り入れたり……。
彼にとっての芸術とは、守るべき伝統や宗教心ではなく、壊して更新し続けるべき「現場」だったのです。
狂い咲く「商人のプライド」
そう考えると、北斎って高尚な「芸術家」というより、もっとしたたかな「商人」だったんじゃないかと思うんです。
どうすればこの世界で、一番ヤバいものとして自分の名前を売れるか。どうすれば「北斎」っていう商品を、歴史に叩き込めるか。彼はただ単純に絵が好きで、それを誰よりも面白がらせたかった。その「商人の勘」と「作らずにはいられない狂気」が、彼をあんなところまで運んでいった。
高潔な思想家たちが「あるべき世界」や「仏教の救い」を語っている横で、彼は「売れる一撃」を研ぎ澄ませていた。「救われるために描く」なんて、そんな殊勝なことは考えていなかったはずです。
「どうだ、俺の絵は凄いだろう。仏様の理想郷より、俺の描く龍の方がずっと生きているだろう」
と世間に突きつける。そのガッツこそが、彼を生かし続けた。それって、弱りきった現代の私から見ると、眩しいくらいにパンクで、最高にかっこいい生き様です。
狂気と禅がつながる夜
ここで、ふと思ったんです。「禅」って、静かなイメージがあるけれど、実はすごく激しいものなんじゃないかって。
「仏に逢うては仏を殺せ」という言葉があります。今までの正解や、誰かが決めた「理想の仏教的救済」の物語を全部ぶち壊した先に残るもの。それが禅の本質だとしたら。
北斎が、伝統的な山水の型を捨て、高尚な宗教画のプライドも捨てて、最後に「ただ、描きたい。もっとマシな線を」っていう子供みたいな執着に辿り着いたのは、まさに「悟り」そのものだったんじゃないか。
救われるために描くんじゃない。ただ、救われない現実を面白がるために、自分という筆を使って、新しい景色を無理やり作り出す。それが北斎にとっての、そして私にとっての「出家」の意味だったんです。
結局、作るしかないのよ
私がこの連載で見つけた「心の平静」の正体。それは、社会が用意した「正解」や、誰かに与えられる「救い」を期待するのをやめて、自分の「性(さが)」に居直ることでした。
永遠の命なんていらないし、お仕着せの極楽浄土もいらない。「まともに働かなきゃ」とか「立派にならなきゃ」なんていう重たい理想も、もう脱ぎ捨てていい。私にとっての禅は、そんな正しさを捨てて、剥き出しの自分で何かを作り始めること。
北斎が彫師として木を削ったように。九十歳で「もっとマシな絵を」と願いながら龍を描いたように。私もまた、この情けない日々を言葉に変えて、何かを作り続けるしかない。
「結局、作るしかないのよ」
この居直りの中にだけ、誰にも侵されない自由がある。満足なんて一生できないかもしれないけれど、そんな「未完成の地獄」を面白がって生きていく勇気は、この五回を通して、少しだけ持てた気がします。
今、夜が更けて、部屋の中はしんと静まり返っています。さっき思いついた大事なことを、ふっと忘れてしまったりもしたけれど、それすらも今の私の一部として、この白い画面に置いていこうと思います。
未完成の龍を抱えたまま、私は私だけの筆跡で、この浮世を泳いでいく。それが、私の選んだ「出家」の形です。
🔲開運の待ち受け画像に
※ここで描かれてる画題は富士と龍です。
富士は不死。永遠を表してます。
ここで描かれる龍は昇り竜。
出世を表してます。
新年の吉祥画としても使用できますね。
ぜひ、保存してスマートフォンの待ち受けにしてくださいね!!
ちなみに、ウィキメディア・コモンズの画像ですので、安心して使っていただいて大丈夫です♪
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🔲使用図版
図版1
葛飾北斎「富士越龍図」江戸時代 北斎館
出典:ウィキメディア・コモンズより
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