第5章|第3話 親が、小さく見えた日、 守られていた側が、守る側になる瞬間
「あれ…こんな小さかったっけ」
実家に帰ったとき、
ふと感じる瞬間がある。
歩くスピード。
背中。
食べる量。
同じ話を繰り返す姿。
昔はあんなに大きく見えた母が、
急に小さく見える。
🧠 子供の頃、親は“絶対”やった
小さい頃。
母は何でも知っていた。
何でもできた。
怖いぐらい強かった。
しんどくても動き、
家のことを回していた。
でも今は、
テレビのリモコンがわからない
昨日のことを忘れる
同じことを何度も聞く
時間って、残酷やなと思う。
🔄 立場が逆転していく
気づけば、
病院を決めるのも
予定を管理するのも
ご飯を気にするのも
全部、こっち側になっている。
昔は守られていた。
でも今は、
守る側。
🕊 でも、きれいに受け入れられない
ここが苦しい。
「親なんやから大事にしろ」
そんなことはわかってる。
感謝もしてる。
恩もある。
でも現実は、
イライラする。
腹が立つ。
逃げたくなる。
そしてそんな自分に、
また嫌気がさす。
🌱 本当につらいのは、“弱っていく姿”を見ること
介護って、
肉体的なしんどさだけじゃない。
一番くるのは、
「あの強かった親が、弱っていく」
それを毎日見続けること。
これは、地味に心を削る。
🧩 母は、まだ“母”でいようとしている
それでも時々、
昔の母が出てくる。
「ちゃんと食べや」
「疲れてるんちゃうか」
「気ぃつけて帰りや」
自分のことも忘れるのに、
こっちの心配をする。
その瞬間、
「ああ、この人ずっと母親なんやな」
と思う。
💢 優しくできる日と、できない日
正直、波がある。
めちゃくちゃ優しくできる日もあれば、
余裕ゼロの日もある。
きつく言ってしまう日もある。
でも最近思う。
大事なんは、
完璧に優しくすることじゃなくて、
関係を終わらせないこと
なんちゃうかな。
🕯 人は、最後まで誰かの親でいたい
母を見ていて思う。
ボケても、忘れても、
人は最後まで、
「誰かの役に立ちたい」
「誰かを心配したい」
そういう生き物なんかもしれん。
🌅 心の遺言書が残したいもの
人生の最後に必要なのは、
立派な言葉じゃない。
一緒にいた時間
うまくできなかった日々
イライラしたこと
それでも離れなかったこと
そういう、
不器用な現実そのものなんやと思う。
🕊 もし今、親を見るのがつらいなら
それは冷たいんじゃない。
ちゃんと、
向き合っているから。
本当に無関心なら、
苦しくならへん。
苦しいのは、
そこに愛情が残ってるからや。
