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自分探しをしている人へ──『自分とか、ないから。』を読んで

『自分とか、ないから。』ー教養としての東洋哲学

読み始めから、とっても面白くて、
つい声を出して笑ってしまった。

この本に書かれていることは、
新しい理論でも、難しい哲学書の解説でもない。

ずっと、どこかで感じていたのに
言葉にできなかった感覚が、
やさしく、楽しく書かれている。


「わたしは何者か」
「自分の軸を持とう」
「ブレない自分でいよう」

こうした問いやメッセージは、
西洋哲学的な思考の延長線にある。

考えること。
定義すること。
選び取ること。

それらは、確かに力になる。
でも同時に、
とても疲れる問いでもあった。

「ちゃんとした自分でいなければ」
「一貫した私でなければ」

その“ねばならない”が、
知らないうちに、
心をぎゅっと締めつけることもあった。

「自分とか、ないから」が教えてくれたこと

この本は、
そんな緊張を、ふっとほどいてくれる。

「自分がない」という言葉は、
投げやりでも、空虚でもない。

それは、

  • 自分を固定しなくていい

  • 変わっていい

  • 揺れていい

という、深い許可だった。

東洋哲学でいう、
無我、空、縁起。

「私」という存在は、
関係性の中で生まれ、
状況とともに変わり続ける。

だから、
「これが本当の私」と
決めなくてもいい。

苦しみは「自分を守りすぎた」ときに生まれる

この本は、
「どうすればうまく生きられるか」を
教えようとしない。

代わりに、
「なぜ、そんなに苦しくなったのか」を、
責めることなく、見せてくれる。

それは多くの場合、
自分を握りしめすぎた結果だった。

  • こうあるべき

  • こう見られたい

  • こうでなければならない

その“こだわり”が、
知らないうちに
自分自身を縛っていた。


「自分とか、ないから。」は、
何も放棄することではない。

むしろ、逆だと思った。


自分を過剰に守らないから、
人にやさしくなれる。
世界と、ゆるやかにつながれる。

固定された「私」がないから、
失うものも、守るものも、
少しだけ軽くなる。

それは、
弱さではなく、
しなやかさだと思った。

固まらないから、自由になれる

西洋哲学が
「あなたは誰ですか?」
と問うなら、

この本は、
こう囁いてくる。

「そんなに決めなくて、いいよ」
「今日は、今日のあなたでいい」

その言葉に、
肩の力が、すっと抜けた。

――なんだ、
西洋より、東洋の方が
ずっと自由じゃん。

そう、思った。

自分を探し続けなくてもいい。
完成しなくてもいい。

流れの中で、
その都度、生きていけばいい。

考えすぎなくていい。
比べすぎなくていい。

「自分とか、ないから。」

きっとまた、
疲れたときに、
この言葉に戻ってくると思う。

今日も自分のままで、
もう十分です。


最後まで読んでくださった方がいたら、
その時間に、
心から感謝します✨


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