見出し画像

あなたが、あなたを好きでいられますように

「わたしね、ママを選んできたんだよ」

娘がまだ小さかった頃、ある日ふいに、そんなことを言った。

そして少し考えるような顔をしてから、こう続けた。

「ママがひとりで、さみしそうだったから」


子ども特有の、愛らしい空想だったのかもしれない。

けれどその言葉は、なぜか不思議なくらい、私の心の奥底に残り続けている。

 

もし本当に、人が生まれる前に「この人生」を自ら選んでくるのだとしたら。

この子は一体、何を学びたくて、私のところへ来たのだろう。

そして私は、この子と出会うことで、何を知るために、母になったのだろう。



病院の問診票。

その性別欄の「男」という文字に丸をつけるたび、私は今でも、小さな違和感を覚える。

 

もちろん、身体的には男性だ。

けれど、毎日一緒に暮らし、笑い、泣き、自分の好きなものを嬉しそうに語るこの子は、私の中ではもう、「男の子」というたった三文字の言葉だけでは、到底説明しきれない存在になっていた。

 

でも不思議と、私はそこまで驚かなかった。

 

思い返せば、学生の頃から私の周りには、中性的な感性を持つ友人たちが多かった。

私は、彼らの持つ独特の自由さに、どこか救われていたのだと思う。

 

「こうあるべき」という社会の窮屈さから、少しだけ離れた場所。

そこに流れる、言葉にならない空気感が、私は昔から好きだった。

 

だからなのかもしれない。

この子が、いわゆる“社会のわかりやすい分類”の中に、きれいに収まらなかったとしても、私はそれを、無理にどこかへ当てはめたいとは思わなかった。

 

もちろん、親としての心配がないわけではない。

この先、社会の壁にぶつかって傷つく日もあるだろう。

普通という枠からはみ出すことで、孤独を感じる瞬間も、きっとあると思う。

 

けれど私は、この子に「普通」になってほしいわけではない。

 

ただ、

自分を嫌いにならずに生きていてほしい。

何にも縛られず、安心して笑っていてほしい。

それだけを願っている。

 

社会はいつだって、物事をわかりやすく分類しようとする。

男か、女か。
正しいか、そうでないか。

 

けれど、人間という存在は、本当はもっと曖昧で、もっと自由で、もっと複雑なグラデーションの中に生きている。

 

もしかしたら、この子は。

 

「人はもっと自由でいいんだよ」

ということを、私に教えるために、

あの場所から私を見つけ、
選んで来てくれたのかもしれない。

 

私がかつて、
友人たちの自由さに救われたように。

今度は、
この子のありのままの光によって、
私自身の心が、
少しずつ耕されていく。

 

もしそうだとしたら。

この子はきっと、
私の人生に現れた、
小さなソウルメイトなのだと思う。

どうか、
あなたがあなた自身の光を、
見失わずに生きていけますように。

 

あなたが、
あなたを好きでいられますように。


母として、私が一番願っているその祈りは、いつか君が私に手渡してくれた、約束の言葉そのものなのかもしれない。


いつも読んでくださっている皆さまへ。
少し驚いた方もいるかもしれません。
それでも、受け取ってくださる方がいたら、
とてもうれしいです😊


いいなと思ったら応援しよう!