人生で何にもっとも感謝していますか?
"誰とでも親密な関係になれる36の質問"について考えてみるの回です。
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人生で何にもっとも感謝していますか?
答えは明確だ。「私が今まで出会った様々な人々」だろう。
思い起こせば私は、自分から働きかけて友人を作ったことがない。
誘ってくれる子がいる。一緒に遊ぶ。
その子が次も誘ってくれる。
いつの間にか一緒にいる時間が増え、「おともだち」になっている。
きっかけはいつも向こうから。お誘いも向こうから。
それでもあきらめず、付き合いを続けてくれる人々に感謝している。
そして夫。
私のような妻を持つ夫はなんと難儀な男なのだろう。
それでも見守り、あきらめず、引っ張りこそしないが隣にピッタリいてくれる。
それでいて私が何かを望めば、それを探して持ってきてくれる。
盲導犬あるいは麻薬捜査犬のような献身ぶりで、きっと一生添い遂げてくれよう。
私のバディ。グッボーイ。
そして息子たち。
彼らはなんと優しい子たちなのであろう。
私のような母親でもあきらめずに愛情を注いでくれる。
『子が親に向けてくれている愛こそが「無償の愛」である』
という趣旨の言葉に出会って、世界が変わった。
私は「よい母親」「正しい母親像」がよくわかっていなかった。
結婚して母親になどなってしまったら、絶対にダメな女なのだ。と考えていたこともある。
いざ母親になり、見よう見まねで「よい母親」になろうとしても、うまくいっているのかもわからない。無力感しかなかった。
そんな中、出会った言葉である。
子が親に向けてくれている純粋な愛こそ、「無償の愛」そのもの。
親はそれを当たり前と思わず、それに胡坐をかかずに、その無償の愛を受け止め、答え、子を守る。
なるほど、彼らが向けてくれる愛情に集中し、受け止め、答える。私が優先すべきはそれなのだと思えた時、まさに天から光が降ってきたかのようだった。
枯れ果て、やせこけた大地に光が降り、草木が茂り、風が雨を呼び、種を運び、あっという間に私の心の大地は緑豊かな草原になった。
鳥がさえずり、止まっていた時計はその針をまた動かし、窓にかかったカーテンは風に揺れた。
そのくらいの世界の変わりようだった。
そして言葉の通り、私はボロボロと泣いた。
なぜならその言葉は、「娘である私」も同時に癒したからだ。
子どものころ、母に対して「母親」を求めようとするとつらかった。
なので母には「家族の一員ではあるが、母親としての役割を求めない」ことにした。
幼稚園のクラスメイトが、将来の夢に「お母さん」と書いた。
理解できなかった。
けがをしたり、怖い思いをした子が「お母ぁさぁ~ん」と泣いた。
理解できなかった。
結婚式で、母への感謝の手紙を読むことになった。
宛先の定まらない、テンプレ通りの感謝の手紙を読んだ。
居心地が悪かった。
母の葬儀でも、残念なことに喪失の悲しみはなかった。
この言葉に母の生前に出会っていたら、
私の、母に対しての態度は少なからず変わったであろう。
子が親に向けてくれる純粋な愛こそ「無償の愛」そのものだというのなら、
私は母に愛されなかった子ではなかったのだ。
私は母に愛情を与え続けた子であったのだ。
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ならば私は、改めてこの人に感謝を伝えなくてはならない。
「ママ、44年分の愛を受け取ってくれてありがとう。」
