人生初。警察に連行されました
先日、私に交通違反の切符を切った警官のいる交番にお礼参りに行ってきた。
とはいってもカチコミではない。
彼が私を捕まえてくれたことで、私はさらなる災厄を免れたからである。
あれは今から2ヶ月前、霊験あらたかだという浅草の某寺院に車でお参りに行く途中、行手に立ちはだかったその若い警官は慣れた所作で私に言った。
「あのう、車線変更違反です」
坊主頭でニキビ面の、どう見てもまだ二十歳そこそこのうら若い警官だった。
こういう時、つい瞬時に相手をプロファイリングしてしまうのが私の悪いクセである。このひと出身は東北だろうか、今どき珍しい朴訥な感じ、特攻隊員の役とかやらせたらさぞかしハマることでしょう。
それにしてもなぜ、よりによってこんなところでネズミ取りに遭ってしまうのか。あのお寺、願いをなんでも叶えてくれると聞いたけどご利益ないじゃん。我が身の不運を呪いながらしぶしぶ言われるまま運転免許証を出すと、それを見たその若い警官は、表情の読めない細い目をさらに極限まで細めて言った。
「あのう、これ、期限切れてます」
目の前が真っ白になった。ガーン、という幻の効果音と共に、漫画「ガラスの仮面」の登場人物がときおり見せる黒目のないあの目になった私は、署までご同行願います、と言われ、そのままパトカーに乗せられた。
こういう時、その場にそぐわない不謹慎な一言をつい口にしてしまうのが私の悪いクセである。これで生涯乗ったことがないのは消防車だけになりました、とパトカーの中で私はついうっかりつぶやいてしまったのだが、大衆芸能の聖地・浅草を拝する墨東地区の警官はそういう悪送球に慣れているのだろう。私のその不謹慎な一言は見事に敬遠されていた。
署に到着すると交通課というところにまっすぐ連れていかれ、そこで日が暮れるまで4時間にわたる取り調べを受けた。
途中、身元引受人が必要だと言われ、あちこち電話した末に柴又に住む従姉妹がつかまった。
「警察署?やだ面白そう!行く行く!すぐ支度するからちょっと待ってて!」
さすがは私の従姉妹である。しかし私と同じ奇を好むDNAがこんな時はありがたい。
従姉妹はまもなく来てくれて、私と違って真人間を絵に描いたような教職員歴数十年の彼女の登場は、取調官の心証を大いによくしてくれたらしい。
私たちは結局18時過ぎに釈放され、車は無免許が発覚して運転できなくなった私の代わりに、取調官が自ら近くのコインパーキングまで運転してくれた。
さすがは大衆芸能の聖地・浅草を拝する墨東地区の人である。
私は帰りに従姉妹に伝法院通りでお礼にウドンをご馳走し、こんなの一生の思い出だわあ、とやけに楽しそうに浅草寺の五重塔を見上げる彼女を見て救われた。
結局、私は後日出頭した錦糸町の簡易裁判所で「うっかり失効」とみなされ(刑が劇的に軽くなる)、なんと車線変更違反の罰金6000円だけで済んだのだった。
下手すれば免許取り消しも覚悟していただけに、望外の幸運である。なぜなら免許失効に気づかないまま4ヶ月も無免許運転していたわけで、しかも当時熊出没地域だった水上温泉まで友人を乗せて大衆演劇まで観に行っていたのだから。
もしあの時事故にでも遭っていたら、と考えただけでもゾッとする。
もしあのとき、あの若い警官の彼が私を違反で止めてくれていなかったら。
浅草の某寺院には本当にご利益があったのである。
簡易裁判所に行った翌日、私はあらためて浅草の某寺院を参拝し、その帰りに件の交番をお礼と報告を兼ねて訪れた。
しかしその若い警官は非番で、名前を聞き忘れた私はまたしても余計な一言を口にしてしまった。
「ええと、あの、若くて坊主頭で素朴な感じの、その、あれです、特攻隊員の役とか似合いそうな」
「は?特攻服が似合いそうな?」
「いえ、違うんです、ヤンキーとかそういうんじゃなくて」
交番の職員は勤務表を調べ、ああ彼ですね、と納得していた。
軽く済んで良かったですね、と労われ、交番をあとにした私が車に戻ると、駐車場の目の前に白いモクレンの花が咲いていた。
春です。
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