【物語】 花の文

白色の彼岸花を胸に抱いて、川の澱の底へと投身しようと、川面の薄膜に足を浸してゆく。
喪った愛しき人の恋影を眼裏に燈す。
身も心も、優しく温かい愛に満たされている。
川面の美しい流線を乱しながら、女が怯む事なく進んでゆく。
もはや死の恐怖など、彼岸で逢える悦びに比べれば、其れこそ幽霊の如き在である。
彼方に恋しき幻の影が浮かぶ。

あぁ、迎えにきてくれたのね。
あぁ、会いたかったわ。
あなた……。

しかし幻影は、無情にも霧散して消えた。

ま、待って。
置いていかないで。

その刹那、一陣の風が。
刃の如き風が、白色の彼岸花の花首をざくり、と斬り落とす。

あ、

膝丈半分までを川の水に浸した女が、呆然と立ち尽くす。
非情に流されゆく花首たちを目で追いながら、女は指先を虚空に彷徨わせる。
やがて風の刃は、柔らかな夢想へと化す。
女を取り囲むように、花々が咲き乱れる。
紫苑に、ガーベラに、岩石蘭……。
いずれの花も、亡き恋人が彼女のために咲かせた花の文である。
花言葉に精通した二人だからこそ通じるこの花の文に、亡き恋人の必死な願いが込められていた。
幻想に彩られたあり得ない光景を凝視しながら、女が譫言のように告げる。
「えらい……メルヘンやなぁ」
顔をあげると、遠くに幽かな亡き恋人の影が微笑みを浮かべている。
「貴方のいない世界で、何を希望に生きてゆけていうのよ。私には、あなたしか、あなたしか」
幽霊として現れた亡き恋人が、首を左右にゆっくり振る。

阿保な事は、せんとき。
あの人の声が聞こえた気がした。

幸せになるんやで。
ええな。

優しく心の襞を撫でられたような感覚と同時に、虚だった魂に熱が蘇っていくのを女は感じた。
女の滲んで揺れる視界に、笑顔で手を振り消え去る亡き恋人の姿が。

「まっ」

指先を伸ばして動きを止めた後、俯いて小さく笑う。
涙がぽたりと川面に波紋を作って消えた。
女が顔を上げると、花の文は綺麗に夢幻泡影と消えていた。
花弁ひとつ残さず。
それはそうだ。
あれは幽霊が見せた幻想花だったのだから。
初夏に咲く岩石蘭が、秋に咲くなどあり得ないのだから。
女が思い切り息を吐いて、天を仰ぐ。

「ほんまに、酷なひとやな」

あと、そのキザな性格は、死んでも治らんのやな。
阿保……。

女は天を見上げて、思いっきり笑ってやった。
蒼白だった女の顔は、憑き物が落ちたが如く晴れやかな表情に変わっていた。

生きると、しよか。

急に強烈な寒さが女を襲い、

「はっ、くしゅん」

女は鼻を思い切り啜り、大きく身震いする。
体をさすり、己の滑稽さに可笑しい可笑しいと大笑いしながら、家路へと帰って行った。


              ━了━











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