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私な、幸せになったんよ。

前回の記事から半年以上経ってしまった。あの日書いたグリーンの彼は夫になった。 
付き合い始めて三ヶ月のスピード婚。一緒に暮らし始めて5ヶ月が経とうとしているが、案外うまくいっている。穏やかに流れる日々。優しく柔らかい日常だ。

グリーンは私たち夫婦にとって特別な色になった。結婚指輪の内側にはプロミスダイヤモンドをお互いに入れた。色はもちろんグリーンの色。
「あなたの一番の安らぎでありたい」との意味もあるらしい。

色といえば、もう一つ二人にとってお気に入りの色ができた。ネモフィラ色だ。実は新婚旅行に行く予定だったのだが、夫がまさかの風邪を引き中止になってしまったのだ。
しばらく長期休みがないので旅行に行く暇がない。それでも、何か思い出が欲しいね、と日帰りでネモフィラを見に行ってきた。
4月の終わりの爽やかな空の青と一面に咲いたネモフィラの花のコントラストが瑞々しく、希望に満ちた色に感じた。そしてグリーンと同じくネモフィラ色は柔らかな思い出として心に刻みこまれている。

私は心に残る出来事があると、色と共に記憶に残っている感覚がする。それは美術教師だった父が、よく実家の一室で油絵を描いていたのを見て育った影響かもしれない。
私は絵を描くのは得意とはいえないが、色を作ることが好きな子供だった。よく水彩絵の具を混ぜては様々な色を作っていたことが思い出される。

両親は共に精神疾患があり、私はヤングケアラーとして育った。病気が故に虐待を受けた。両親から離れたい一心で猛勉強を重ね上京した。そして受験勉強と両親の介護に燃え尽きた私は心を病み、20代の全てを闘病に充てることになる。

30代にしてようやく生活保護を切り、社会人として働き自立した。社会で働く厳しさを知り打ちのめされつつも、がむしゃらに仕事に励んだ。
婚活にも挑戦したが、中々にうまくいかない日々。夫は婚活を始めてお見合いをした30人目の人だった。

書いてみると様々なことがあったように感じる。去年の秋に母は亡くなった。亡くなる直前1ヶ月、認知症になった母に足繁く会いに行った。まだその頃夫とは知り合っていなかったので、母に
「まだ結婚を考えられる人と出会えてなくて。ごめんね」
というようなことを言うと母は
「結婚は順繰りよ。慌てなさんな。あんたの順番は絶対来るで。良い人にきっと出会うよ」
と。

憎しみがするすると溶けてゆく。辛かった過去は無くならない。けれども「まぁ、いっか」と何故か思ってしまったのだ。
ヤングケアラー、アダルトチルドレン、ADHDグレーゾーン、トラウマ、精神疾患………。

苦しみ抜いた10代、20代、30代前半。
死んでも許さないと恨み抜いた父と母。
それでも自分で自分をある程度幸せにしていった結果、多くの素敵な人や意地悪な人に巡り逢った結果。
「許そう」
とはならなかったけれど
「もういいや、もう恨まなくていいや」
と不思議と思えてしまったのだ。

母は精神科の閉鎖病棟の個室で、真夜中にひっそりと亡くなった。
認知症で施設に入居していた父を連れて、小さなお葬式を行なった。
母の棺の前で車椅子の父と手を繋いで、母が好きだった南こうせつの「僕の胸でおやすみ」を歌った。
一生忘れない。
哀しく冷たい、けれども少しだけあたたかな母との別れの記憶。

別れもあれば出逢いもある。
その2ヶ月後に夫と知り合い、今は共に暮らしている。

お母さん、見てくれとる?
私な、幸せになったんよ。

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