ゆっくりとした朝の香りの中で。│シロクマ文芸部
知らん匂い
ゆっくりと、深呼吸をしようとした。
朝の空気というのは往々にして澄んでいるものだ。
少なくとも、そういうことになっている。
カーテンの隙間から光が差し込み、鳥がさえずり、新しい一日が始まろうとしている。
そういう清々しい朝に、俺は布団の中で大きく息を吸い込んだ。
臭かった。
なんとも言えない臭いだった。
悪臭というほどではないが、確実にそこにある。
正体がつかめないのが余計に気持ち悪い。
とにかく、朝の澄んだ空気とは程遠い何かが、部屋に漂っていた。
俺は跳び起きた。
窓を開けた。
外の空気は普通だった。
近所の家を見渡したが、何事もない朝の住宅街が広がっているだけだった。
猫が一匹、のんびり歩いていた。
猫は関係なさそうだった。
念のため外に出て、家の周りを一周した。
パジャマのままで。
近所の人に会った。
挨拶した。
恥ずかしかった。
でも臭いの原因は何もなかった。
室内に戻る。
今度は部屋の中を探した。
ゴミ箱を確認した。
問題なし。
押し入れを開けた。
去年しまったままのコートが出てきたが、臭いは別物だ。
冷蔵庫を開けた。
賞味期限切れのヨーグルトがあったが、今回の件とは関係なさそうだった。
ついでに捨てた。
洗面所、トイレ、風呂場。
どこも異常なし。
俺は途方に暮れた。
臭いの発生源が見つからないまま、十八分が経過していた。
パジャマで家の中を嗅ぎ回り続けるという、誰にも見せたくない朝の姿がそこにあった。
もう見られたあとだが。
疲れた。
もう一回寝よう。
ベッドに倒れ込んだ。
枕に顔を埋めた。
臭かった。
これだ。
間違いなくこれだった。
さっきから漂っていたやつが、ここに凝縮されている。
でも何の臭いかというと、うまく言葉にならない。強いて言うなら……知らんおっさんの臭い、とでも言うしかない。
俺は枕を持ち上げて、まじまじと見た。
枕はただの枕だった。
カバーは……いつ替えたっけ。
まあそれはそれとして、この臭い、どこかで嗅いだことがある気がする。
記憶の引き出しを開けていくと、わりとすぐに出てきた。
親父だ。
実家のソファの臭いだ。
帰省したときに昼寝して、起きたら顔についてた、あの臭い。
「お父さんの匂いがする」って昔から思ってたやつ。
俺は静かに枕を置いた。
そうか。
臭かったのはこれか。
犯人は枕で、枕が臭かった理由は俺だ。
俺が毎晩顔を押し付けていたからだ。
で、その臭いが親父と同じということは、つまり俺も、そういう年齢になったということだ。
窓の外では、さっきの猫がまだのんびり歩いていた。
猫はいいな、と思った。
猫は枕を使わない。
俺はゆっくりと、今度こそ本当に深呼吸をした。
窓から入る朝の空気は、ちゃんと澄んでいた。
昨日、締切とか知らんくてムカついたからソッコー書いてやった。
