見出し画像

雨宿りで入ったプレハブ小屋が、悪の組織の出張所だった│シロクマ文芸部

大雨と、相談



雨宿りをしなければ。
そう思うほど突然の大雨だった。

空はさっきまで晴れていたはずなのに、気づいた頃には叩きつけるような豪雨に変わっていた。
住宅街の細い道、傘もなく、コンビニすらない。
走っても走っても、目に入るのは似たような一軒家の塀と、黒く濡れた電柱ばかりだった。
靴の中はすでにぐちゃぐちゃで、Tシャツが肌に貼りついて気持ち悪い。
体温がじわじわと奪われていくのがわかった。

「うそだろ、マジで……」

ずぶ濡れになりながら角を曲がったとき、視界の端に何かが見えた。
空き地にぽつんと建つプレハブ小屋。
外壁はボロボロだが、雨でもしっかり立っている。
そして、その横に立てかけられた看板。

『絶対にヒミツの場所』

明らかに怪しい。
むしろ「怪しさ」を全力でアピールしているような看板だった。
フォントも手書きポップ体で、マジックの塗りが太い。
普通なら絶対近づかない。
でも、ちょうどそのとき頭上で雷が轟き、光と音が同時に来た。
人間の理性は、思ったよりあっさり吹っ飛ぶものだった。

「すみません!雨宿りだけ!不法侵入する気はないんで、ほんとすぐ出ますから!」

誰も聞いていないのに謝罪しながら、ドアを引いた。



ガラッと開いた扉の向こうには、想像していたような廃墟も、不気味な実験器具も無かった。

そこにあったのは、長机を囲んで模造紙を覗き込む数人の集団だった。
蛍光灯の白い光の下、先頭には見るからに高そうなアーマーを纏った女性が立っている。
背筋がまっすぐで、腕を組んでいる。
その周りには、全身タイツに身を包んだおっさんたちが五、六名、難しい顔で何かを話し合っていた。
声のトーンだけ聞いていると、どこかの町内会の予算会議にしか聞こえない。

「……あ」

「……あ」

主人公とアーマーお姉さんの声が同時に重なった。

気まずい沈黙が流れる。
全員の視線がこちらに刺さる。
ずぶ濡れの自分が、この空間にどう映っているかは、考えないことにした。
だが、最初に動いたのはタイツのおっさんだった。

「うわ、外すごかったでしょ!ちょっと座って座って!」

人懐っこい笑顔で椅子を勧められ、断る隙もなく座らされる。
おっさんは慣れた手つきでどこかからタオルを引っ張り出し、てきぱきと肩にかけてくれた。
気づいたときには、湯気の立つ緑茶と、香ばしい煎餅が目の前に置かれていた。

「あの……ここって……」

「ああ、うちは『悪の組織』の出張所だよ。とはいっても、この辺りの地域限定の小さい支部だけどね」

おっさんはあっさりと自白した。
隠す気がまったくない。
飴を渡すくらいの気軽さだった。

「風邪ひいたら大変だから、これも使って」

アーマーのお姉さんが、ロゴ入りのバスタオルを無言で差し出してきた。
組織名らしき文字が大きく刺繍されていて、もはや堂々としすぎている。
でも、その所作はやけに自然で、後輩に物を貸すような気遣いがあった。

「ありがとうございます……あの、僕、帰ったほうが」

「いいから、いいから。雨止むまでゆっくりしてって」

おっさんにあっさり遮られ、逃げる空気を完全に封じられた。
主人公は仕方なく緑茶をすすった。
温かい。
体の芯がすこしほぐれる。

ふと室内を見渡すと、視線の先、机の上の模造紙にマジックでこう書かれていた。

『ヒーローの「不意打ち作戦」は通常業務扱いか、時間外労働か』

『怪人化手術後の経過観察は有給消化で行うべきか』

「……は?」

思わず声が出た。

「そうなんだよー」とタイツのおっさんがため息をつく。


「土曜の夜にいきなり『今夜、世界征服の作戦入れるぞ』とか言われると、もうほんと困るんだよね。うち、子供の保育園の行事とかぶったりするし。去年は運動会もつぶれたし」

「休日手当の話、ちゃんと聞いてくれます?」

別のおっさんが、お姉さんに向かって直訴を始めた。
眉毛が太くて、全身タイツの上からでも疲労が伝わってくる。

「不意打ち作戦のたびに代休もらえないと、もう正直やってられないですよ……家庭ありますし。嫁が限界って言い始めてて」

「言いたいことはわかるけど……」

お姉さんは眉間にしわを寄せ、何も言えずに唸っている。
腕を組み直し、視線を模造紙に落とした。
その横顔は困り果てているというより、本気で考えている顔だった。


お茶を飲みながら、男はつい呟いてしまった。

「確かに……命がけの仕事ですもんね、それは大変というか……」

その瞬間、お姉さんの視線がギラリと男に向いた。

「……あんた」

「は、はい」

「一般企業の視点として、これどう思う?」

完全に予想していない方向から、ガチの相談が飛んできた。

「えっ、いや、僕は別に労務とか詳しくは……」

「いいから。困ってるのよ、こっちも。第三者の目線が欲しかったのよ、ちょうど」

その圧に、生き残るための本能が男の頭を回転させた。
社会人として五年間で薄く積み重ねてきたわずかな知識を、ここで総動員するしかない。

「あの、たとえば……ヒーローの出現率が高い曜日が決まってるなら、その曜日だけ『変則労働時間制』を導入するとか、どうでしょう。週の中で繁忙日が予測できるなら、シフト設計がしやすくなるはずなんですが」

「ほう」

おっさんたちが一斉に顔を上げた。
蛍光灯の下で、タイツ越しの真剣な目が数対こちらに向く。

「あと、不意打ち作戦みたいな緊急対応がある以上、待機している時間に対して『オンコール手当』をつけるのも一案かと……。医療業界だと割と一般的な考え方で、精神的な拘束への補償って意味合いもありますし」

「オンコール手当……!」

「なるほど! その手があったか!」

おっさんたちは感嘆の声を上げながら、慌てて模造紙にメモを取り始めた。
誰かが「ちょっとペン貸して」と言い、誰かが赤マジックで二重丸をつけている。

「経過観察も、有給消化じゃなくて『特別休暇』扱いにすれば、怪人化した本人の納得感も上がるんじゃないですかね。『自分の有給を使わされた』って感覚がなくなるだけで、不満はかなり違うと思うので」

「特別休暇……!メモして、メモして!」

「怪人化、個人の都合じゃないもんな……確かに」

気づけば、主人公は完全に「一般人コンサルタント」として会議の中心に立たされていた。
お姉さんも腕組みを解いて、何度もゆっくりと頷きながら聞き入っている。
その表情には、さっきまでの険しさが少し薄れていた。

「あんた、見かけによらずやるじゃない」

「いえ、その、普通の会社員なので……これくらいは……」

謙遜しながらも、内心では静かに、しかし確実に「なぜ俺は悪の組織に労務指導をしているんだ」という疑問が膨らんでいた。
濡れたTシャツはまだ肌に貼りついたままだった。


会議が一区切りついたころ、窓の外がだんだん明るくなってきた。
叩きつけていた雨音が弱まり、やがて静かになる。
雨上がり特有の、土と草が混じったにおいがうっすらと漂ってきた。

「あ、止んだみたいですね」

男がほっとした顔で立ち上がろうとすると、お姉さんがにこやかに歩み寄ってきた。
さっきまでの眉間のしわが嘘のように、表情がやわらかい。

「いい会議だったわ。助かったわよ、ほんとに」

そう言って、ロゴ入りのポチ袋を握らされる。
ずっしりとした感触があった。

「これ、今日のコンサル料。新札入れといたから」

「いや、お金は別に……雨宿りさせてもらっただけですし」

「いいから受け取りなさい。うちはちゃんとしてる組織なの」

謎の自尊心を見せつけられ、断りきれずポケットにしまった。
ポチ袋の表には筆文字で「御礼」と書かれていて、なぜか格式だけは高かった。

「さて……帰るか」

自分の服に目をやると、まだじっとり湿っている。
袖を触ると、じわっと冷たさが指に戻ってくる。
乾く気配がまるでない。

「あら、その濡れた服のままじゃ風邪ひくわよ」

お姉さんがそう言って、パチンと指を鳴らした。

その合図とともに、最初に出迎えてくれたタイツのおっさんが、嬉しそうな顔で何かを抱えてやってきた。

「ちょうどいい替えがあるよ!」

掲げられたのは、ピカピカに真新しい、全身タイツだった。
光を受けてつやつやと光っている。
しかも、しっかりと組織のロゴが胸元に刺繍されている。

「い、いや、それは結構です、自分の服でなんとか……」

「遠慮しなくていいから。サイズも合うと思うよ」

「なんでサイズがわかるんですか……」

「だいたいわかるのよ、こういうの」

お姉さんが笑顔で即答した。
全員がにこにこしている。
逃げ場が、どこにもなかった。

主人公は数分後、なぜか組織ロゴ入りの全身タイツに身を包んでプレハブの中央に立たされていた。
思ったより素材がよく、動きやすいのだけが腹立たしかった。

「あら、意外と似合うじゃない」

お姉さんが満足げに頷きながら、何かのパンフレットを手に握らせてくる。

「気が向いたら、履歴書送ってきなさい。福利厚生、最近見直したばかりだから」

表紙には『採用案内』と書かれており、裏には「作戦成功インセンティブ」や「給与・完全マネーロンダリング済」の文言が、整然と印刷されていた。

「あの、自分の服は……」

「ああ、それは今度取りに来て。クリーニングしておくから。今日は本当にありがとう」

有無を言わさぬ笑顔だった。
服の返還交渉は、今日最も難しい局面だったかもしれない。

そう言って、男は晴れ間が広がる夕焼けの中、全身タイツ姿のままプレハブの外に送り出された。
ドアが閉まる音が背後で響く。

住宅街が、やけに静かだった。

「……帰るか」

濡れたアスファルトに夕日が反射する細い道を、組織ロゴ入りタイツ姿の男が一人、とぼとぼと歩いていく。
通りすがりの柴犬が一瞬こちらをじっと見て、すぐに興味を失ったように顔をそらした。
飼い主のおばあさんもちらりと視線を向けたが、何も言わなかった。
それはそれで少し傷ついた。

ポケットの中の新札と、握りしめたままの採用案内だけが、今日起きたことが夢ではなかったことを物語っていた。

この新札で、折り畳み傘を買うことにした。


●シロクマ文芸部 お題「雨宿り」参加作品


●サバチー 創作まとめ
妄想と虚構の掃き溜め(短編小説・創作)

●共同運営マガジン ノラマガ
現在絶賛メンバー募集中!!!


【サバチーの餌代】



いいなと思ったら応援しよう!