元海賊の記憶を取り戻したので、上品な紳士を引退します
皆様、今晩は。
素敵な夜ですね。
今宵も始まりました、エレガンスジェントル・サバチーでございます。

本日も「月夜のマティーニ」のコーナーをお届け致します。
このコーナーは、視聴者様からお送りいただいた「ちょっと素敵だな」のメールをわたくしサバチーがご紹介し、皆様の疲れた心をほんのりと癒していこうというコーナーでございます。
本日は全部で三通、頂戴しております。
順にご紹介して参りましょう。
ではまずは一通目。
東京都世田谷区にお住まいの「うっかりパイレーツ」さんからの……
うっかり……パイレーツ……
パイ……レー……ツ……
……パイレーツ……?
うっ!!!
頭が!!!
頭が痛い!!!!
何か……何かが……ッ!!
封印が……!!!!
うわああああああああああああああ!!!!!!!!

どんっ!!
はっ!!!
そうだ、俺は上品な紳士なんかじゃない!!
血が騒ぐ!!!
そう、かつて俺は——
海 賊 だ っ た
あの頃のことが、フラッシュバックのように蘇ってくる。

俺は副船長だった。
副船長というのは聞こえはいいが、要するに船長の次に偉いというだけで、仕事の内容は特に定まっていない。
船長が「行くぞ」と言えば「行きましょう」と言う。
敵が来れば戦う。
宝が見つかれば喜ぶ。
あとは基本的に飲んでいる。
これが仕事だ。
これしか仕事がない。
この日も甲板で寝転がって、キャプテンモルガンを瓶ごとやっていた。
煙草も同時に吸っていた。
背後では部下たちが帆の調整をしている。
俺は何もしていない。
これでいいのかと思ったことは一度もない。
副船長とはそういうものだと思っていたし、今も思っている。
クリームソーダさえあればもっとよかったが、船の上にそういうものはなかった。
これだけが唯一の不満だった。
海というのは広い。
どこまで行っても海だ。
飽きる人間もいたが、俺は飽きなかった。
だって酒があるから。
もちろん、飲んでばかりいたわけじゃない。
副船長というのは戦う時に先頭に立つ。
これは職務だ。
船長が指揮を執る間、俺が刃を持って前に出る。
それがルールだった。

見てほしい。この構え。
サングラスをかけたまま刀を突きつけている。
相手は赤いバンダナの敵対海賊だ。
誰かは言わない。
言う必要もない。
重要なのは、この時の俺の顔だ。
焦っていない。
怒ってもいない。
ただ、静かだ。
酒が入っているからかもしれない。
今の俺を見て「動けなさそう」と思う人間は多い。
わかる。
そう見える。
だが当時の俺は、この海域で名の知れた使い手だった。
一味の中でというだけじゃない。
あの海を渡るあらゆる連中の間で、だ。
今も昔もデブだ。
それは変わらない。
ただ、デブというのは動けないのとは別の話だ。
誰もがいずれ理解する。
たいていは手遅れになってから。
懸賞金の話をしよう。
3億8千万クラウン。これが俺の値段だった。

一味の中でこれを超えていたのは船長だけだ。
他の連中とは桁が違った。
それだけのことをしてきたということだ。
どこの港町の酒場に行っても、俺の手配書が貼ってあった。
最初は新鮮だったが、そのうち慣れた。
むしろ貼っていない酒場を見つけると少し寂しかった。
承認欲求が形を変えると懸賞金になる、という話はあまり聞かないが、俺の場合はそうだったと思う。
顔は完全に割れていた。
名前も知られていた。
それでも俺を捕まえようとする人間はほとんどいなかった。
港に着いて酒を飲んでいると、周りの連中がそっと距離を置く。
目が合うと視線を逸らす。
喧嘩を売ってくる酔っ払いも、俺の顔を見た瞬間に黙る。
居酒屋でこんなに静かになるのは俺の周りだけだった。
快適だった。
捕まえに来たのは、本当に強い奴だけだった。
筋金入りの賞金稼ぎと、海軍の中でも上の方の連中だ。
そういう相手とは何度かやり合った。
楽しかった。
転機があった。
ある日、噂を聞いた。
どこかの島に、誰も手をつけていない宝が眠っているという。
海賊の世界にこういう話は腐るほどある。
大半は嘘だ。
誰かが流したデマか、すでに別の誰かが根こそぎ持っていった後か、そもそも島が存在しないかのどれかだ。
行くだけ無駄だと笑い飛ばして終わりになることの方が多い。
だがこの噂は違う匂いがした。
情報を持ってきたのは、ある港町で出会った老人だった。
飲んだくれで、歯が三本しかなくて、話の半分は支離滅裂だった。
普通なら聞き流す。
だが残りの半分に、妙に具体的な話が混じっていた。
島の場所、廃墟の構造、宝が隠された経緯。
作り話にしては細かすぎた。
歯が三本しかない人間の言葉を信じることに迷いはあったが、俺の勘が「本物だ」と言っていた。
この勘は、これまで何度も俺を助けてきた勘だ。
歯の本数は関係ない。
船長に進言した。
行きましょう、と。
船長は少し考えてから頷いた。
それだけで決まった。
副船長の進言というのはそういうものだ。
軽い。
よく考えると不安になるくらい軽い。

島に着いた。
砂浜に上陸すると、部下たちが後ろから続いてくる。
浜には朽ちた廃船が乗り上げたまま放置されている。
誰かがここに来て、帰れなかったということだ。
普通の人間ならそこで足が止まる。
俺は煙草に火をつけた。
別に強がっていたわけじゃない。
ただ煙草を吸いたかっただけだ。
煙草を一服、深く吸って、俺は島の奥へ向かった。
廃墟の中は暗かった。
松明の明かりだけが石造りの壁を照らしていた。
部下たちが後ろに続いている。
足音が反響する。
奥へ進むにつれて、空気が変わった。
湿気とも違う、もっと古いものの匂いがした。
歴史の匂い、というやつだ。
好きではない。
そして、それは現れた。

鎧を纏った骸骨が、立っていた。
動いていた。
こちらを向いていた。
骸骨が動いている。
頭の中でその事実を処理するのに、数秒かかった。
隣の部下が「な、なんですかあれ」と言った。
俺は何も言えなかった。
海賊人生で初めて、言葉が出なかった。
骸骨というのは動かないものだという常識が、俺の中に深く根付いていたのだと、この瞬間に気づいた。
だが煙草はまだ口にくわえていた。
それだけは確かだ。
刀を構えた。
骸骨も構えた。
後ろの部下たちが息を呑む気配がした。
俺は一歩踏み出した。
ここで退いたら副船長が廃る。
何より、宝はあの奥にある。
死闘だった。
相手は痛みを感じない。
疲れない。
怯まない。
普通の人間と戦う時の読みが一切通じない。
何度か刃が掠った。
それでも骸骨は止まらなかった。
俺も止まらなかった。
デブは止まらない。
これは本当だ。
どれだけ時間が経ったかわからない。
決着がついた時、俺の煙草はとっくに燃え尽きていた。
あった。
守護者を倒して奥の部屋に踏み込んだ瞬間、それは目に飛び込んできた。
石の床の中央に、宝箱が鎮座していた。
大きかった。
古かった。
錠前はとっくに錆びて崩れていた。
部下のひとりが蓋に手をかけた。
開いた。
金貨が、溢れた。
宝石が、溢れた。
松明の光を受けて、それらが一斉に輝いた。
廃墟の暗い石室が、一瞬だけ昼間みたいに明るくなった気がした。
部下たちが歓声を上げた。
俺は黙って宝箱に近づいた。
手を突っ込んで、金貨と宝石を鷲掴みにして、高く掲げた。

この感覚は、何度経験しても慣れない。
骸骨との死闘も、煙草が燃え尽きたことも、歯が三本の老人を信じた自分の判断の危うさも、全部どうでもよくなった。
こういう瞬間のために俺たちは海を渡っていた。
後で均等に分けた。海賊は意外と公平だ。
宝を持って船に戻った夜、宴になった。
甲板に酒と食い物が並んで、全員が騒いでいた。
こういう夜が、海賊の仕事の報酬だ。
金も大事だが、この空気は金では買えない。
船長が俺のところに来た。
ジョッキを差し出して、でかい声で笑っていた。

うちの船長というのは変わった男だった。
とにかくよく食った。
どこからそんなに入るのかというくらい食った。
バカがつくほど前向きで、どんな状況でも「なんとかなる」と言った。
実際なんとかなってきたから、誰も文句を言えなかった。
頭で考えるより先に体が動く男で、それが何度も俺たちを救った。
俺とはタイプが正反対だったが、だからこそ補い合えたのかもしれない。
俺は自分の顔が無表情になりがちなのをわかっている。
笑っているつもりでも笑っていない、とよく言われた。
だがこの夜、俺は笑っていた。
船長と杯を合わせる時、いつもそうだった。
あの男と勝利を祝う時だけは、自然と顔が動いた。
なぜかはわからない。
ただそういう男だった。
俺が知っている中で、最も飯を食う男だった。
別れの話をする。
左腕をやられた。
詳しい経緯は言わない。
ある戦いの中でそうなった。
骨には至らなかったが、思うように動かなくなった。
先頭に立って刃を振るうことが俺の役目だった。
その役目を果たせなくなった。
それだけのことだ。
船長が引き止めた。
仲間たちも引き止めた。
「腕が一本でも戦えるだろう」と言う奴もいた。
気持ちはわかった。
だが俺の中で何かが決まっていた。
万全でなければ先頭には立てない。
先頭に立てない副船長は副船長じゃない。
それが俺の考えだった。
頑固だとは思う。
ただ、頑固でない副船長は副船長じゃないとも思っていたので、合計二つの「副船長じゃない」が重なって、答えは出ていた。

港で船を降りた。
吹雪いていた。
仲間のひとりが毛皮のコートを羽織せてくれた。
前を閉じろと言いたそうな顔をしていたが、俺は閉じなかった。
煙草に火をつけた。
船が見えなくなるまで、その場に立っていた。
閉じろという顔は最後まで続いていた。
石狩港だった。
それから俺は南へ向かった。
札幌という街に着いた。
すすきのという場所に根を下ろした。
海からは遠い。
船もない。
宝もない。
ただ、静かで賑やかだった。
クリームソーダが飲めた。
これだけで生活水準が大幅に上がった。
そんなこんながあって、俺は海賊を辞めた。
札幌に来て、すすきのに住んで、気づいたらネクタイを締めていた。
noteに記事を書いて、落語の話をして、喫茶店でクリームソーダを飲んでいた。
エレガンスジェントル・サバチーという名前で、視聴者様からの「ちょっと素敵だな」のメールを読み上げる生活をしていた。
悪くはなかった。
悪くはなかったが。
「うっかりパイレーツ」という言葉ひとつで、あれだけのことが蘇ってくる。
海の匂い。
甲板の感触。
キャプテンモルガンの味。
骸骨と斬り合った廃墟の暗さ。
宝箱を開けた瞬間の光。
船長の笑い声。
吹雪の中で見えなくなっていく船の輪郭。
歯が三本の老人。
やっぱり俺には、こんな生活は向いていないのかもしれない。
左腕さえ、何とかなれば。
左腕さえ何とかなれば、俺はもう一度——
変えた。腕を。サイボーグに。
迷わなかった。一秒も迷わなかった。「迷うべきか」と考える時間すら惜しかった。
左腕をまるごと、サイコガンに換えた。

保険は効かなかった。
高かった。
びっくりするほど高かった。
手術代だけで懸賞金の値段が更新されそうだった。
でも換えた。
後悔はない。
金で買えるものは金で買う。
これが海賊の哲学だ。
あと、サイボーグ化の話を誰かにすると「なんで?」と聞かれる。
決まって「なんで?」と聞かれる。
なんでって何が「なんで?」なのか俺にはわからないが、たぶん彼らは「札幌に住んでいた男が突然義手にした経緯」を知りたいのだと思う。
宇宙開発が進んだ。
義肢の技術も進んだ。
サイコガンという選択肢が普通に存在していた。
だから換えた。
以上だ。
「なんで」という疑問は完全に解消された。
今は宇宙海賊をやっている。
拠点は艦橋だ。
星雲をバックに立っている。
海の甲板と違うのは、足元に波がないことと、たまに重力がなくなることと、煙草の煙がどこへも散らず妙な塊のまま漂うことだ。
それ以外はだいたい同じだ。
髪が変わった。
金になった。
腕が変わった。
金属になった。
変わっていないのは煙草と、クリームソーダへの強い執着だけだ。
宇宙にクリームソーダはある。
あった。
感動した。
あの泡の感じが宇宙でも健在だった。
これだけで宇宙に来てよかったと思った。
骸骨との死闘に次ぐ、人生二番目の衝撃だった。
海賊というのは結局、どこにいても海賊なのだと思う。
海でも、宇宙でも、すすきののラウンジでネクタイを締めていても、根っこは変わらなかった。
変わらないなら最初から換えなければよかったという話もあるが、腕はもう換えた。
それに換えたのは腕であって根っこではないので、論理的には矛盾していない。
俺の中では。
というわけで。
「月夜のマティーニ」のコーナーは、本日をもって終了となります。
三通目のメールは、読めませんでした。
すみません。
うっかりパイレーツさんのメールの途中から記憶が飛んでいて、気づいたら宇宙にいました。
二通目に至っては存在したかどうかも怪しい。
視聴者の皆様には多大なるご迷惑をおかけしました。
エレガンスジェントル・サバチーは引退しました。
次回お会いする時は宇宙からお届けします。
皆様は4月1日、いかがお過ごしでしたか?
