文字を書くのが怖いけど、それでもどうやら好きみたい
文字を書くことが怖い。
いや、書くこと自体は怖くなくてむしろ大好きだ。ただ、文字の発信が無性に怖くなる時期が周期的に訪れる。
3年弱毎月noteを更新してきたくせに、今更なんだと思うけど文章の発信には勇気が必要だ。
特に、心を込めた文を投稿するときは。

自分の心に生まれた、濃厚な感情を煮詰めて流して、線の檻に閉じ込めたような文章は、時に人を深く傷つけると知っている。
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7月からまたnoteを沢山投稿していくぞー!と自分の中で決めていたのに、今日はもう7月3日。7/1時点で完成済みの記事は5つあったけど、結局投稿できなかった。
理由は''だから、ファンに恋なんてされたくない''的、やや問題作noteを中心に書いてしまったからだ(テーマは違うけどね)。
本音を閉じ込めたような文章には力があって、これらの記事を読んで私に興味を持ってくれた人は想定より遥かに多く存在した。それは、信じられないくらい嬉しいことだったから、今までnoteで本音を発信してきたことは、今の私の活動を大きく助けてくれていると断言できる。
心を込めた文章には人を動かす力がある。
その一方で、もしかしたら
いや、確実に
誰かを傷つけてきたとも思うのだ。
本音の文章には意見の偏りがあるから、私の主張を受けて、己の正義を否定された気持ちになる人もいるだろう。そこに想いを馳せ始めると、急に何も載せられなくなってしまうのです。
んー、それでもまぁ、載せるとしたら、「鈴カステラったら甘い香りで美味しそうでずるい!食べたら案外普通のくせに!」みたいなやつだけになっちゃうよ!
意見が違う人の他にも、私の主張が綺麗ごとに見えて不愉快になる人もいるかもしれない。
私は今、有難いことに不幸ではないし、死ぬほど困ってることはない。(本当にみんなのおかげです ありがとう)だから、そんな私の迷いや出来事なんて、誰かからすると贅沢すぎると思われるかもしれないし、ただの嫌味に見える可能性もある。自分でも贅沢な悩みだなこいつ、と思うもんな。
そうは言っても、私は私の眼鏡でしかこの世界を見ることができない。同じ出来事が起こっても、人の感じ方はそれぞれ違う。
私は、自分の感情に正直でいたい。
だから、自分の思想を載せる勇気を、もう一度取り戻さないといけない。
誰かを傷つける覚悟がないと、本当に伝えたい文章は書けないのだ。みんなに配慮していたら、言いたいことの芯がどんどん薄くなってしまう。
でもね、もちろん、お世話になっている人を傷つけたいわけじゃないの。noteを読んでくれる方の数が増えるほど、「この話題はあの人に刺さるかも...!」とか、気にしてしまうようになった。けれど「どう思われるか」という恐れを振り払った先にしか、共鳴はない。
ここ数年書いてて知ったけど、配慮しすぎない言葉のほうが、どうやら人の心に刺さるらしい。不思議だけどね〜
人の目を気にしないって凄くむずかしいけど、きっと、違いを認め合える人とだけつながっていくべきなのだろう。思想が違うからと煙たがったり、怒ってしまう・悲しくなってしまう人は、きっとその時の私に向いてない。文章で傷ついて、「もうまいるんを嫌いになった」と言うのなら、読むべきではないし、一旦、さようならの時なのだ。
だから、私の文章を、読みたいと思い続けてくれている限り、心からのありがとう。私はまた、こわくても、勇気がなくても、書いていって、思い切って載せてしまいたいと思います。
だってやっぱり、書くことが
だいすきだからね!
読んでくれてありがとう!
果たして他の5つは載せれるのか。
お楽しみに!

★追記
カステラの書きました
ももてん荘ではいち早く情報を公開したり
大切な未来を相談したりしています!
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