泣いた赤鬼
『泣いた赤鬼 2025借景のアルケミスト』
2025年 東京・浅草は極彩色のネオンと拡張現実の広告が飛び交う混沌とした熱気に包まれていた
だが雷門の喧騒を抜けた先浅草寺の裏手にある一角だけは奇妙なほどの静寂が保たれている
「…ここと…これだな…」
パチン 赤尾恭平は使い慣れた鋏を鳴らしたイロハモミジの表情が変わる 重苦しかった枝ぶりが嘘のように軽やかになり陽が差し込み風が通り抜けた
「相変わらず頭の固い仕事してやがる」
背後から聞こえた声に恭平は振り返りもせずに答えた「うるせえよ 頭使うと浪漫が減るんだよ」
そこに立っていたのは降谷碧 仕立ての良いスーツを着崩し常にタブレットを片手にしている開発コンサルタントだ この庭がよく見える朽ちた雑居ビルの一室のボロ事務所が碧の職場だ
「今の時代腕だけじゃ食っていけねぇよ」 碧はつまらなそうに呟くと恭平が仕上げたばかりの枝を見上げた
「……2、3、5、8……こっちの枝の広がりも3、5、8……お前知らずにこれやってんのかよ」
碧がブツブツと数字を呟く フィボナッチ数列 自然界で最も美しいとされる黄金比 恭平の剪定は計算などではなく感性だけでその法則を完璧にトレースしていた 更に枝の空間が実際には存在しない「奥行き」を脳に錯覚させる カニッサの錯視のような効果まで生み出している
「なんの呪文だよ 気持ちわりぃな」
「褒めてんだよ…いいか恭平…錬金術ってあるんだぜ」
碧はニヤリと笑った その笑顔の裏にある冷たい光に恭平は一抹の不安を覚えた
「いつかあのボロ事務所俺が稼いで新築にしてやるよ だから変な気起こすなよ」 恭平の言葉に碧は肩をすくめただけだった
それから一ヶ月もしないうちに事態は急変した
『浅草寺裏・大規模再開発プロジェクト』
その旗振り役としてニュースの画面に映し出されたのは他ならぬ降谷碧だった
「古いだけの木に経済価値はない すべて撤去し最新のARエンタメ施設を建設する」
碧の冷徹な宣言に世論は沸騰した
「ふざけんな!」 恭平は激昂し 碧の事務所へ怒鳴り込んだ だが 碧は会おうともしなかった 代わりに恭平は反対運動の先頭に立たされた 不器用な言葉で 庭への愛と景観の美しさ 樹木の尊さをメディアの前で語った
強面で無口な職人が涙ながらに訴える姿 それは瞬く間にSNSで拡散され
碧は「文化を破壊し街を売る悪」
恭平は「伝統を守る赤鬼」として認知された 結果 プロジェクトは白紙撤回 責任を問われた碧は会社を追われるようにして姿を消した
騒動から半年 浅草の風景は一変していた
ニュース映像を解析したネット民たちが 恭平の庭木の「数学的な美しさ」に気づき始めたのだ 『フィボナッチの庭師』『奇跡の錯視アート』 その噂は海を越え インバウンド客が殺到していた
そして恭平は今 ある店の前に立っていた かつて碧の「ボロ事務所」があった場所 そこは今 予約半年待ちの超高級カフェ『Blue』に生まれ変わっていた
重厚な窓枠が特徴の店内からは 恭平が手入れをした庭園が まるで一枚の絵画のように切り取られて見える 客たちは 一杯数千円のコーヒーを片手に その「借景」にため息を漏らしていた
(あいつ…これをやるために わざと…)
恭平の胸に熱いものが込み上げる 自分が守った庭が こうして価値あるものとして認められている だが その仕掛け人はもうここにはいない あいつは 自分の悪名を犠牲にして 俺に最高の舞台を残していきやがった
「…馬鹿野郎が…」
目頭が熱くなり恭平は鼻をすすった その時 ポケットのスマホが震えた
メールの着信 差出人は不明 件名はなく添付ファイルが一つ
開くと それは銀行の振込明細だった『景観管理費』として振り込まれた金額は恭平が何度も数え直すほどの桁だった
そして本文にはたった一行 碧色の文字でこう書かれていた
『 錬金術ってあるんだぜ 』
恭平は空を見上げ 涙を引っ込めてニヤリと笑った
「…やっぱり喰えねぇ奴だ…くくく」
終
