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#14 【博物館】京から陸奥へ―藤原興世が歩いた千年の風景

博物館や資料館に足を運ぶようになってから、
時間の流れ方が少し変わった気がする。

展示を見る、というより、
昔の人の気配に触れる、という感覚に近い。

この日、偶然耳にした講座の題は、
「平安の昔、京の都から陸奥国府・多賀城へ――藤原興世が旅した風景」。

名も知らぬ人物だった。
正直なところ、軽い気持ちで席に座った。

けれど、こういう偶然が、あとから静かに心に残ることを、
私はもう知っている。

学芸員の語りは、調査や研究に裏打ちされ、少し堅い。
その分、確かな重みがある。

以前、「銛(もり)」の話を聞いたときもそうだった。
縄文時代に興味があって参加しただけなのに、
気づけば深く引き込まれていた。

それ以来、「知らないから行かない」はやめた。
なるべく、扉は開けてみる。

藤原興世は、藤原不比等を祖とする家系の貴族だという。
名前すら知らなかった人物の輪郭が、
話を聞くうちに、ゆっくりと立ち上がってくる。

平安時代、男子は二十一歳で官位を授かる。
建前では最下位から始まるが、
実際には父の身分によって最初の位が決まることも多かった。

『源氏物語』の世界が、
物語ではなく、制度として目の前に現れる。

興世は、京から陸奥守として多賀城へ向かった。
およそ1500里。
今の距離にして約800キロ。

「赴任」という言葉では軽すぎる。
人生をかけた移動だったはずだ。

私は勝手に、細い山道を馬で進む姿を想像していた。
けれど発掘調査で明らかになった東山道は、
幅十メートルを超える官道だったという。

約十六キロごとに駅路が置かれ、
宿があり、馬を乗り継ぐ仕組みも整っていた。

さらに、琵琶湖に架かる瀬田橋。
壬申の乱の頃には、幅九メートル、長さ二百五十メートルもの橋があったという。

湖面を渡る巨大な橋。
空へ伸びる塔。
寝殿造の館。

飛鳥や平安の世が、
急に遠い昔ではなくなる。

京の玄関口・羅城門から東西に道が延び、
東山道、北陸道、東海道には関所が置かれ、西にはなかった。

蝦夷への警戒のため、と聞き、
胸の奥がわずかに揺れた。

『火怨』を読み、
アテルイに心を動かされ、
平泉を何度も歩いた私にとって、
「まつろわぬ民」が敵とされた歴史は、簡単には割り切れない。

藤原興世は、その後も地方官を歴任し、
最後は従四位上にまで昇ったという。

出世物語として語ることもできるだろう。

けれど私の心に残ったのは、
官位ではなく、
京から陸奥へと続く長い道のりだった。

誰かの人生の移動を、
千年以上後の静かな部屋でたどる。

それは観光でも、勉強でもない。
時間を越えて、人の足音を想像すること。

博物館は、ものを見る場所というだけではなく、
過去と今が、そっと重なる場所なのかもしれない。

ときめきは、
華やかな出来事の中だけにあるのではない。

知らなかった名前。
遠い道。
聞き慣れない地名。

そうしたものの向こうから、
静かにやって来る。

扉をひとつ開けるたび、
時間は、少しだけ深くなる。

そして私は、
また次の展示室へと歩いていく。


すべてのはじまりは、ここから
▶︎「ときめきは、これから


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