川の街リュオーレの物語⑩ 小景(5) 広場の木陰
まだ夏は始まったばかりなのに、ひどい暑さだ。朝、店に来た客もそう言っていた。このところ毎日のように聞く、挨拶がわりのひと言だ。
日の当たらないところで少し休んでいこう。
額の汗を拭って、ムツカは数本の木が並ぶ方へ視線を向けた。たしか、あの下に腰掛けがあったはずだ。
体が、重い。外へは出なかった方がよかったかもしれない。
でも店にいたら、夫のイッゼフに気づかれてしまっただろう。写真館の仕事が立て続けに入っている今、それは避けたかった。
新市街の広場は、定期市のない日でも人が増えてきている。ぶつからないように、ゆっくりと木のある方へ歩を進めた。
日時計の前を通った。
「あら、ここにもあるのね」
ぼうっとしてきた頭でも、盤面に視線が寄せられる。
写真館が西の旧市街にあった頃は、いつも日時計で時刻を確認していた。もう十年以上前のことだ。
木陰のベンチに腰を下ろし、目を閉じた。
イッゼフには、買い物に行くと言ってきている。あまり遅く戻るわけにはいかない。
でも、しばらく動けそうにない。
夫と始めた写真館が、この数年ようやく軌道に乗ってきた。
「大きな街でもないのに、写真を撮る人がそんなにいるのか」何人もの人に、そう言われ続けた。
ムツカは、ずっと思っていた。写真はただの記録ではないと。川の流れに寄り添ってきた街だからこそ、新しいものも自然と受け入れられるだろうと。
時間はかかったけれど、間違ってはいなかったのだと思う。今では、街の外からも客が来るようになった。
自分たちの写真が認められているのは、誇らしい。
ただ、少し忙しすぎるかもしれない。店を手伝ってくれていた子どもたちが独立してボッフェンに行ってからは、なおさら。
日陰で風に吹かれると、少し落ち着いてきた。
横になりたい気分だったけれど、さすがにそれはできない。
少し、目を閉じてゆっくりしよう……。
名前を呼ばれた気がした。控えめに、もう一度。
少しずつ意識がはっきりしてくる。座ったまま寝てしまったようだ。
目を開けると、見知った顔があった。ハルナギだ。
「どうかした?顔色が、あまりよくなさそうだけど」と心配そうに聞いてきた。
「あぁ、ちょっとね。疲れてたみたいだ」
答える声に、力が入らない。
立ちあがろうとして、よろめいた。
ハルナギがさっと脇から支えてくれた。
「もうちょっと、休んだ方がいいよ」
並んでベンチに腰を下ろす。
「もう、歳だねぇ」
言い訳のような言葉が出た。
ハルナギは何も言わず背負い袋を下ろすと、中から水筒を出した。
「お茶、飲む?」
茶碗に注いで、差し出してくる。
「あぁ、ありがとう」
急に喉の渇きを覚えた。
ムツカは茶碗を受け取り、ゆっくり傾けた。
レモンのような香りと、何かが混じっている。
気持ちが静まっていくようなお茶だ。
少しずつ飲み干し、もう一度
「ありがとう」と言った。
体にいくらか力が戻ってきたようだ。
「さぁ、もう店に帰らなくちゃ」と
ムツカは立ち上がった。
まだ少しふらつく感じはするが、もう歩けるだろう。
ハルナギが寄り添うように立ち上がった。
「大丈夫、すぐそこだし」
一緒に行こうかと言い出しそうなのを察して、先に言った。
ハルナギは、少しムツカの様子を確認するようにしてから頷いた。
そして、懐から小さな包みを取り出す。
「これ、持ってきたの」
花の種だ。
「あら、いつもありがとうね」
声に少し張りが戻った。
ハルナギはときどき山野草の種を届けてくれる。
「今ごろがまく時期だけど。無理はしないで」
包みをムツカの手のひらに置き、ハルナギは文書館の方へ歩いていった。
忙しくても、写真館の庭は花で飾りたい。
それもこの街の記憶になるはずだから。
ムツカはゆっくりとした足取りで広場を横切っていった。
リュオーレの物語は、少しずつ続いていきます。
第1話の最後に、各話への道しるべを置いています。
