重なり合う島──緑島に刻まれた歴史のレイヤー
今回の台湾リサーチのハイライトが、緑島だ。台東市の富岡漁港から船で50分。台東市も台北からかなり遠く、なかなか行く日本人もいない場所だろう。
古くからオーストロネシア系の人々が往来していたと考えられるが、すぐ近くの蘭嶼のタオ民族のように明確な定住文化は見つかっていない。おそらく海洋ネットワークの拠点として、一時的に立ち寄る場所として使われていたのではないかと言われている。
その緑島の負の歴史が始まったのが、1949年以降の白色テロ期だった。大規模な政治犯収容所が建設され、数千人規模の収容が行われた。日本人にとっては、治安維持法に基づく取り締まりをイメージするとわかりやすいだろう。それがなんと、1987年の戒厳令解除まで続いていたのである。それが今では、緑島人権文化園區として、いわゆるダークツーリズムの場所となっている。


この白色テロの背景には、1945年以降に中国から移り住んできた、いわゆる外省人と呼ばれる人たちと、以前から台湾に住んでいて日本の統治時代も経験している本省人との対立もあった。1947年に勃発した二・二八事件は、その象徴的出来事である。
きっかけとなった出来事はこうである。専売局職員が台北で闇タバコの取り締まりを行った際、女性販売者に暴力をふるった。その暴力に抗議した群衆に対して威嚇発砲した銃弾が、見物していた通行人を誤殺してしまったのだ。ここから、大規模なデモにつながった。
これを鎮圧するために、なんと1万8千〜2万8千人もの人々が犠牲となったと言われている。そしてその後、白色テロと呼ばれる恐怖政治が敷かれ、14万人が投獄、そのうち3〜4,000人が処刑された。その一部が、緑島に収容された。
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小山龍介のインスピレーションノート
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