構造の消失、装飾の拡張──隈研吾をアップデートする
隈研吾建築は、しっかりとした構造体に装飾的な木のルーバーをとってつけたような建築ばかりで、建築的な面白みがない。しかし、これを逆手にとって、むしろその装飾を大きくせり出させてみたらどうだろうか。構造体と装飾との主客を逆転させる。そこには合理性はないかもしれないが、建築としての可能性はむしろそちらのほうにあるのかもしれないとも思う。
建築の歴史上、大きな役割を果たしてきたのが、実は万博だ。ロンドン万博における水晶宮(Crystal Palace)は、その後のガラスと鉄骨による近代建築を先取りするものであった。その合理的な建築に対して、隈は批判的だ。関東大震災をきっかけに、木造建築から大きな転換をする東京について、次のように書く。
コンクリートや鉄というヨーロッパ・アメリカ発の材料を受け入れたことで、ヨーロッパ・アメリカのコピー建築で埋め尽くされた、醜くて「大きな」都市へとなりさがったのである。
この関東大震災の歴史的出来事だけでなく、震災は、隈の建築思想に大きな影響を与えていく。まず阪神淡路大震災。倒れる高速道路やビル群を見て、周囲の環境を圧倒する「勝つ建築」ではなく、環境に溶け込む「負ける建築」を主張する。圧倒的な存在感を示すザハの新国立競技場は隈にとってまさに「勝つ建築」であった。木のルーバーを貼り付けた「負ける建築」に置き換えることができたのは、隈にとって大きな達成であっただろう。そしてさらに、東日本大震災をきっかけに、隈はさらにこの確信を深める。
建築をいくら「強く合理的で大きく」しても、この大災害には対抗できないと感じられたのである。それほどに、われわれの出会った津波の力は圧倒的であった。あの海の脇に、超高層マンションが建っていたらと考えると、背筋が寒くなる。コンクリートがいかに「強く合理的で大きな」建築を作ったとしても、自然というものの力、あるいは、怒りの前にはひとたまりもないことを思い知らされた。
隈は、「負ける建築」というコンセプトに加え、ここで「小さな建築」を主張する。その例として、日本建築をあげる。日本建築には、襖や障子といった可動の間仕切りが多用されており、いつでも空間を組み替え、変更でき、取り返しがつく。隈はそうしたジョイントシステムを「取り返しのつくシステム」と呼ぶ。「勝つ建築」や「大きな建築」では、取り返しがつかないのだ。

ここから先は

小山龍介のインスピレーションノート
ビジネスモデルやアート、哲学などに関連する記事を中心に、インスピレーションを得られるような考察を投稿しています。初月無料ですので、お試しし…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
